ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノはスポーツ

ピアノはスポーツとほとんど一緒だと思います。身体を動かして自分の思いを人に伝えるか(芸術)、雌雄を決するか(スポーツ)の違いだけだと思います。芸術は、自己表現を音とか色とか動きとかに物理的に表して人を感動させるし、スポーツは、勝負のために極限のプレイをして人を感動させます。

 

楽譜をマニュアルどおりに正確に弾くのが目標なら、スポーツで空手の型とかボール競技のフォーメーションをやっているのと同じです。自己表現の気持ちがそこに入っていません。

   

だから、人前でマニュアルどおりにミスのないようにピアノを弾く意味がよくわかりません(自宅やスタジオで練習するときは別です)。下手でもまちがえても、その人の思いやキャラクターがさく裂する演奏が好きです(アマチュアの場合です。お金を頂くプロはそうはいかないと思います)。

 

そうはいっても、ピアノでも身体的な技術があったほうが、自分の思いやキャラを表現する幅がひろがります - あくまで、自分を表現するためのツールとしてです。

 

ピアノの音が悪いとか、ミスタッチやひっかけが多いといった、技術的な「下手」の要素のうち、かなりの部分が、ピアノを弾くために必要な筋肉がそもそも足りていなかったり、骨や関節の使い方がわかっていなかったり、わかっていても体がこり固まっていて動かないだけのことではないかと思います。

 

ピアノの音が悪いと言われた場合、音がうるさい、音量やタッチの調節ができない、ドタドタ弾きになる、ということではないかと思いますが、それは、打鍵のインパクトを細かくコントロールできる筋力がなく、あっても体の動かし方がわからず、わかっていても体が思うように動かないから、思わずキーがドスンっと沈んでしまうからだと思います。

 

また、「芯がある音」とか「粒のそろった音」とかいわれますが、それは、体幹がしっかりしていれば、自分が発揮する力のタメがぶれたり漏れたりせずにしっかり指先まで伝わって、強弱にかんけいなくクリアーできれいな音が出せるんだと思います(野球のバッティングでいう「会心の当たり」と同じメカニズム)。

 

ミスタッチについては、覚え違いや雑念といった脳内の原因ではなくて、たとえば、キーの場所はちゃんとわかっているのに指が今一歩届かなくて引っかかってかすれたとか、逆に、勢い余って隣のキーを弾いてしまった、といったミスタッチは、単に、目標地点に間違いなくヒットするコントロールが身体能力的にできていないからだと思います。

 

長期間かなりの時間を練習に費やしても相変わらずドタドタ弾きだったり、着地に失敗してばかりいる場合は、ピアノの演奏に必要な筋力と動きを実現する練習ができていない。 だから、練習を工夫して、筋力をつけて動きが身につけば、問題の多くは簡単に解決するのではないかと思います。

 

芸術的なセンスがないのではなくて、単にフィジカルが足りてないだけのことかもしれない。

 

「歌うように」と言われても、頭の中で歌っていても打鍵のインパクトとリリースを物理的にコントロールできなければ、脳内のイメージはいつまでたっても音に反映されない。100メートルを10秒以内で走りたいと思っただけで、ふつうの人が走れるわけがない。

 

だから、まずは必要なフィジカルと動きを実現すれば、ピアノのレッスンで同じことを何度も注意されることがぐっと減るのではないかと思います。

 

音がよくないままの人は、もしかすると、私のような、頭で考えるのは好きだけど体を動かすことが苦手な文科部系の人が多いんじゃないかなと勘ぐります。子供のころから運動オンチで、いつまでたっても逆上がりができず、体育の授業では先生から呆れられ、通信簿も体育だけが目立って悪く、スポーツをやってもいいことがひとつもないので、文化的な「芸術」だったら....、と思ってピアノに向かう人がいるんじゃないかと思います。

 

ところが、「芸術」といっても、楽器の演奏や歌唱やダンスや演劇などは身体を使います(絵画でも絵筆を動かす)。そして悪いことに、運動オンチの人は、日常生活に必要な範囲を超えた身体の動かし方を知らないし、頭ではすぐ理解できるのに、身体の動きがぜんぜんそれについていかないので、なかなかうまくいかないんだと思います。

 

逆にピアノの先生は、もともと運動的な勘が良いからピアノも上手くて、褒められてどんどん練習するうちに必要な体幹や筋肉が意識しなくても自然について、ますます上手になったからピアノの先生になっているのかもしれません。だとしたら、何度おなじことを注意をしても一向に上手くならない目の前の生徒が、どうしてできないのか、想像するのがむずかしい先生もいるんじゃないかと思います。

 

一方、運動オンチの生徒のほうは、「音が悪い」とか「音量の調節ができない」と指摘されつづけ、いろいろサイトを調べたり、練習を工夫してみたりするのですが、スポーツにある、長期にわたる地味な練習の積み重ねで体を作っていくというプロセスに全く慣れていないので、頭の中でノウハウばかりが空回りして、おおもとの体づくりがぜんぜんできていなくて、一向に上手くならずにますます悩むというドツボな状況にはまってしまう人もいるんじゃないかと思います。

 

「正しい姿勢を保って」と言われても、今まで猫背で生きてきた人は「正しい姿勢」の作り方の見当すらつかないうえに、体幹が貧弱だから胴体だけではぜんぜん支えられず、肩や腕の筋肉まで固くしないと姿勢を保てないので、いちばん柔軟に使わなければならない肩や腕がガチガチになって、着地もままらならず、ますます音がやかましくなるという、最悪の状態になってしまうような気がします。

 

よくピアノを弾くのに「力を抜いて」と聞きますが、それ自体が重い両腕を中空に維持しながら、それなりに重みのある鍵盤を力を抜いて弾くためには、そもそも、力を抜いても腕や上体を保って弾けるだけの力がなければならないのではないでしょうか。力のない人が力を抜いてしまうと、もともと力がないうえに、額面どおりに解釈してぜんぶの力を抜いてしまうので、力はほんとうにゼロになってしまいます(ピアノを弾く力もない)。

 

ピアノの演奏は身体を動かして弾く物理的な運動です。念力では弾けないので、物理的な(フィジカルな)動きをするのに自分の身体(フィジカル)を動かします。だから、フィジカルに動く能力がないと、どんなに芸術的なビジョンを脳内に描けても表現できません。崇高な観念と、お粗末な伝達手段(自分の身体)の間に、大きなギャップがあります。

 

運動オンチでスポーツもろくにやってこなかった私のような人は、ピアノや芸術のセンスがないのではないかとクヨクヨする前に、まずはフィジカルをつくったほうが結果的に近道になると思います。

 

先生には、そんな生徒が少しでも上手くなるような道を示してもらいたいと思います。もしくは、生徒が「自分が運動オンチだ」と思っているのたら、ピアノのレッスンを受けるまえにスポーツのレッスンを受けてフィジカルを作ってからやったほうが、ピアノ上達のコストパフォーマンスがよいかもしれません。

 

技術的なことばかり書きましたが、最終的には、「技術的に下手」であっても、自己表現がさく裂する渾身の演奏が、いちばん尊いものです。マニュアルどおりに弾こうとする演奏は、空手の型の披露と同じです。空手は試合になると勝ち負けがつきますが、芸のパフォーマンスは自分を表現して人の心をつかむことです。弾き終わったあとで「トリルが上手く弾けなかった」みたいな技巧的な反省を過度にする人を見ると、この人は自己表現ではなくてスポーツの型を披露したんだなと思います。

 

tokyotoad