ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

矢野顕子崇拝

 

2016年9月26日に、古いブログに書いた記事:

 

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矢野顕子氏の曲を聴いたのは、小学校時代、伯母の家でLP『いろはにこんぺいとう』を強制的に聴かされた時に遡る。

 

『いろはにこんぺいとう』のジャケット写真からして、強烈な存在感を放つレコードだったが、

 

何といっても、A面最終曲の「行け!柳田」を何度も聴かされたことは、今でも読売巨人軍があまり好きではないほどのトラウマになってしまっている。

 

特に、「土井のところが面白い!」と伯母は何度も、「〽 6番~ん ドドドィ ドドドィ ドドィドィ!」と矢野顕子が絶叫するくだりあたりを狙ってレコード針を落とし、私はそれを聴かされ続けた。これがトラウマにならないことがあろうか(そんな伯母も、そして土井さんも、既に鬼籍に入って久しい)。

 

それ以来、私は矢野顕子サウンドを恐れた。

 

なのに、NHK銀河テレビ小説の「夏草の輝き」の主題歌だったアッコちゃんの曲が異様に耳に残り、コピーしたりしていた。

 

そして中学時代、デビューアルバム『JAPANESE GIRL』を聴いた時、アッコちゃんの方向性に深く感銘した。

 

昭和の名曲『丘を越えて』や青森ねぶた祭りの曲をポップスにアレンジした曲、というか、そういう曲を選んでアレンジする行為に、とても共感した。

 

当時、日本の歌謡曲やポップスよりも、洋楽のほうがエライような風潮があったような気がする(どうして?西洋のものだから?日本人のコンプレックスから?)

 

そんな中で、古くてダサイと思われがちな日本の懐メロや民謡を、最先端のポップスで再解釈&再構築したアッコちゃんの価値観を尊敬した。

 

アッコちゃんは他にも、NHK新日本紀行」のテーマ音楽(by冨田勲)を「やめるわけにゃいかないわ」という曲にアレンジして歌ったり、「ちいさい秋見つけた」をぶっとんだアレンジで香ばしく焼き直したりしている。

 

名盤『ごはんができたよ』に収録されている「青い山脈」や「げんこつやまのおにぎりさま」、故忌野清志郎氏の曲をカバーしたアルバムなど、アッコちゃんの異次元のセンスと美意識が炸裂した編曲作品は枚挙にいとまがない。

 

日本の珠玉の唱歌や歌謡曲、ポップスの隠れた価値を、アッコちゃんならではの意外性を効かせて最大化し、新たな名曲に生まれ変わらせるのだ!

 

このような至高のアレンジをする最たる人物が2人いる。一人は、ドビュッシーだ。ブリテン島北部のヒースの花咲く丘や、スペインのグラナダ、錦鯉が描かれた日本の蒔絵箱、町が丸ごと沈んだという言い伝えが残るブルターニュ地方の海岸。それらをベースにイメージを膨らませて、壮絶な名曲にしてしまった。元ネタは音楽ではないが、異なる媒体を横断するクロスメディア的な編曲だと私は思う。

 

もう一人が、ジャズ界の巨星セロニアス・モンクだ。一般の人が考える洗練性や優雅さの遥か先を見通していたモンクは数多くの名曲を作ったが、他の人の作品もモンク流にアレンジして、モンクならではの名曲に仕立て直してしまった。セロニアス・モンク カルテットによる滝廉太郎作「荒城の月」は、まるでモンクの自作曲に聞こえ、あえて控えめに仕立てたダンディーさと乾いた覚醒感が、モンクが育った土地マンハッタンの究極の都会性を立証する。

 

アッコちゃんは私の中で、この二人と並ぶ最高のアレンジャーとして君臨し続ける。

 

 

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