ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

楽器を自作する人たち

 

古いブログの記事のコピペ:

 

===20180304=====

YouTubeを見ていると、自分で作った楽器を演奏する人たちの動画がひっかかってきます。

 

2,000個(だったっけ?)のベアリングの鉄球をアクション部分に送りこんで鉄琴とリズムセクションを鳴らす、北欧のバンドの人が作った木製の精密な楽器とか、

何オクターブもある大型カリンバを作って演奏&販売する人や、

割り箸をアクション部分に使った、パーカッションつき手製キーボードを路上で演奏する人や、

小型のパイプオルガンを自作して自動演奏できるようにした人や。。。。

自分で作った楽器で奏でる自分だけの音。 人間の創造活動の極みだ。

 

ハーピストのズィーナ・パーキンズさんのエレクトリックハープは自作なのかなぁ?エレクトリック琴で実験的な音楽をやっている日本の人もいる。 たくさんの電球をつないで点滅させることで音を出す装置を演奏する人もいる。

 

悲しいことや嬉しいこと、自分の思いを表現したいとき、人は手をたたいたり足でリズムをとったりして、あふれ出る自分の気持ちを言葉にして、メロディーをつけて歌う。

 

楽器の原点は、人間の身体だ。 手のひら、足、声。 身体を鳴らして奏でる音楽が最も高貴だ。 心に最も近いからだ。

 

だから楽器は手や足や声の延長で、人間の表現活動の道具に過ぎない。 既成の楽器でそれを表現できないなら、自分で作ればいいんだ。 最も高貴なものは、自分が表現したい「それ」だ。

 

子どものころ、お箸やスプーンで食器をカンカン叩いて叱られたが、子どもは自分のまわりにあるものをたちどころに楽器にして音楽を奏でる。 多くの人は、「正しい」楽器をあてがわれて楽譜を「正しく」演奏することを求められて練習するうちに、最も高貴なものが枯れていって、楽器の僕(しもべ)になり下がっていく。

 

(冒頭の、楽器を自作する人たちのくだりを読んで、「なんだぃ、割り箸を使ったキーボードだなんて。 どうせ音楽の教養のない輩(やから)が作ったんだろう」と思った人がいるとすれば、仮にその楽器の作者がバークリーを卒業していると聞いたら、とたんに反応が違ってくるんでしょうか。 そうだとすれば、音楽に対する判断基準を、音楽を聴くことに置いてないんだろうね。 楽器の作者&演奏者さんの音楽が人の心をひきつけることと、その人がバークリーを出ているかどうかってことは、まったく関係ないんだよね。 それに「バークリーに行ったこと=スゴい!」ということではないしね。)

 

 

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