ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

レコーディング演奏での失敗

 

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===20180331=====

セロニアス・モンク カルテッドの絶対的テナー、チャーリー・ラウズさんが、アルバムの録音はだいたいファーストテイクが採用される、だから、演奏を間違えたら、その間違いが永遠にレコードに残る、と映画「Straignt, No Chaser」のなかで言っていたと思う。

 

演奏者の緊張感や、その結果としての演奏の出来を考えると、ファーストテイクの録音がいちばんいいのは、音楽の録音じゃなくても同じだと思いますが、

 

ラウズさんがソロのパートでちょっと遅れて入ってくる曲とかあるよね。即興のメロディーを一瞬ふと考えたその間(ま)なのかな?それとも狙ってのことなのかな? 安定感抜群のベテランの戸惑いやミスは、むしろそれが味というか、貴重なものが聴けたというものだ(ミスを有難がられるようになったら名人の域。何もしないでそこにいるだけで有難がられるようになったら神の域!)。

 

海千山千のピアニストさんでも2時間近く弾けば、やっぱり1か所ぐらいは私みたいな素人でもわかるミスをする。そんなとき、「ああ、この人も人間だったんだ~」と、なぜかほっとする。ミスのない生演奏を、不自然で薄気味悪く感じるように、もともと人間はインプットされているのかもしれない。

 

モンク大師のソロピアノ演奏でも、ベース音を半音間違え(たのかどうかは別とし)て、その直後にコードトーンをガーンと叩いて結果的にマイナー2ndの不協ベース音が地響きのように鳴り響く曲がある。また、その実奏採譜も、忠実にそれを書き留めている。

 

採譜者は、聞こえた音を忠実に譜面に起こすのが使命だけど、そうしてくれて有難い!なぜなら、ベース音が不協和音になったことで、音の破壊力がグッとまして、モンクワールドが全開になったからです(モンク信者の天国!)。

 

「正しい」「綺麗な」音は野暮の極みと言わんばかりに、そうなりそうなところにことごとくマイナー2nd(9th)をぶち込んでつぶしていくモンク大師のことです。狙ってやったのかもしれませんし、間違ったように仕立てた可能性もあります(しかも無意識領域での一瞬の判断によって!こういうことは、神と交信できるレベルに達した人しかできない)。

 

自分の弾く音はすべて正しい」と演奏するモンク大師です。音楽と楽器を完全に支配して服従させる絶対的な自信は、脳を酷使しての膨大な練習量と、プロとして生き残るために通ってきた修羅場の数と、豊富な経験値からくるものです。

 

それでも、プロであれば、素人が気づかない高いレベルでたくさん失敗をしたと感じて、次の修羅場にむけて修正してくることでしょう。

 

日本のとあるピアノトリオ+サックスのCDでも、サックスの人が、最後のヘッドの入りをまちがえて、フライングして一瞬「プッ...」と吹いてしまったあとに、ドラムが「これからだよっ!」と言わんばかりにダダダダ...!と叩きまくってから、みんなで一斉にヘッド、という曲がある。

 

生(なま)ものの良さ、人間だもの、の極み。それも込み込みで勢いのある素晴らしい演奏で、よく聴いています。サックスの人は後悔の極みだと思いますが、クヨクヨしている暇があったら次いこう、次!でプロの世界を張っているんでしょう。

 

そういった究極は、ジョン・コルトレーンの「Giant Steps」のトミー・フラナガンのピアノソロなのかな。「コルトレーン・チェインジ」と後世の音楽理論家たちが名づけた、当時とても斬新な20世紀の和声進行が超高速で目まぐるしく展開していく楽譜を、録音の当日に渡されて、コードを押えるだけでもスゴいことなのに、右手でソロもやるなんて、ピアノストにとっては鬼のような指令だよね。そして、しどろもどろのアドリブの末に、さいごにコードを押さえるだけになってしまった、その録音が、音楽史上に燦然と輝く金字塔的なアルバムの代表曲になったんだから、ピアニストとしては痛恨&恥辱の極み、なのか、いや、直前にあんなに難解な構成の譜面を渡されてすぐにアドリブが弾けるピアニストなんてどこにもいないよと開き直って、むしろ歴史的名曲の録音に参加したことを輝かしい勲章とするか。でも、非情にもピアニストを置いてけぼりにするあの超高速演奏だからこそ、疾走感にあふれた、時代を先取りした名曲が、ひときわ輝きを増すのかもしれないね。

 

 

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