音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

ピアノの練習とイップス

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古いブログに書いた記事です:

 

===20180601===

 

まさにそのとおりだ!と思ったブログ記事を読んだので、リブログします:

 

「自分は初心者だから」とか「小さい頃習ったけどヘタだったから(←先生に褒められなかった)」とか思って、こじんまりした曲ばかりやっているよりも、夢にまで見た大ネタをいちどやってみると、いろいろ感じたりわかったりすることが多いと思います。どうせうまく演奏できないんだから、かえって気楽に練習できますし、だいたい大ネタはプロでも(というかプロであればなおさら)演奏するのが恐しいものですから、気楽に練習できる身分はアドバンテージといえます。

 

スキーで、初心者なのにいきなり「八方尾根のコブ斜面」に連れていかれて、へっぴり腰のハの字ボーゲンで、なんども転びながら滑るのと同じで、ひどい滑りだけど、「それでもなんとか滑れた」という自信になりますし、「もっとスイスイと滑りたいなぁ」というモチベーションのアップにもつながります。

 

スキーでは無理をすると転んでケガをしますが、楽器の演奏では間違えてもつっかえてもケガはしませんし、ゲームのフィールド(=楽器の全音域・音量の幅)を使いこなすための空間把握の感覚を早いうちからつけると、スキーといっしょで要らぬ不安が減ると思います。鍵盤楽器だったら、楽器の音域が狭かった時代のもの(モーツァルトなど)よりも、近現代のほぼ全音域をつかう曲や、鍵盤の端(はじ)から端(はじ)まで駆け抜けるランが必ずでてくるジャズの大家のトランスクリプション譜のほうが、演奏するために必要なリーチや規模や体力を実感できるとおもうので、できないのをデフォルトにしてチャレンジすると良いことがあるし、そうしてよかったと、本当に思います。

 

また、歳をとるにつれて何をやるのもますますおっくうになっていくと思うので(←私)、趣味でも何でも、安易な方向に流れがちになってきます。最近、こじんまりした曲を何曲か練習して悦に入っていたのですが、ふと気がついたら、以前までダメもとでやっていたモンク大師の大ネタを弾くのが面倒くさいなぁと感じている自分にゾッとしました!老化は気づかないうちに心の隙間に入りこんでくるものだと、生命的な危機感を感じた次第です。

 

ですから、心身の老化が進んで面倒くさくならないうちに、ダメもとでもなんでも、大ネタにチャレンジしたほうが、心も生命も若く保てるんだと実感します。

 

そのチャレンジにブレーキをかけるようなことを言ったり匂わせたりする人がいたら、その人は、上記のリブログした記事のなかにある、「あなたの潜在能力を鎖で不自由にして、あなたを無力化しようとする人」ですから、注意&警戒すべきだと思います。その人がそういう意図で言ったのではなくても、言葉には害毒というか、呪いの力があります。これが言霊(ことだま)というものであり、その恐ろしさだと思います。

 

ピアノで生徒が技術的に絶対に無理な箇所を、音を抜いたりして簡単にしてやらせようとする先生がいますが、どうやら、先生というものは、ミスタッチがなるべくないように一曲を「無難」に演奏し切ることが最重要課題であり、「無理のない、無難な程度」に刈りこもうとするようにインプットされているようです(受験や検定が中心のマインドセットなのかもしれません)。つまり、大失敗を良しとしてそこからいろいろ経験したり学ぶことをさせてくれません

 

そう言われて「無難」なレベルで練習するうちに、自己表現の魂は小さく小さく刈り込まれて、ミスタッチをおそれる、ビクビクした、緊張ばかりのちっとも楽しくない、「無難」な演奏になってしまう気がします。

 

上記のリブログ記事の子象やノミの話のように、人の潜在能力を不当に制限して、もうそれ以上の能力を心理的に出せない「社会的なイップス」にしてしまうのは、奴隷制度や階級社会で使われる常套手段ですが、それは、趣味の楽器演奏にとどまらず、実生活でも仕事でも、常に起こり得ることです。悪い魔女に呪詛をかけられて自分のポテンシャルを茨(いばら)で覆われたお城で眠らせたまま、人生を終えることのないようにしたいものです。

 

YouTubeを見ると、初心者がピアノを始めて、その上達する過程を公開する動画がたくさんありますが、なかには2年足らずでクラシックの大ネタを弾くようになる人もいます。動画の真偽を疑う向きもあるかもしれませんが、少なくともその人たちは、自分のポテンシャルに魔女の呪いをかけられることなく、伸び伸びとした環境でやれているんだと思います。

 

かたや、立派な体格の人がピアノの鍵盤の真ん中あたりでチミチミ弾いているのを見ると、本当にもったいないなぁと思います。まるで大リーガーが球場のホームベースの上で野球盤をやっているように見えます。ピアノの最大の特徴は、広い音域を駆使したポリフォニックの大音量を出せることであり、その特徴を存分に生かせる体格を持っているだけで絶対的なアドバンテージなのに、メンタルが刈りこまれてしまっていて、指先のことばかり気にして、「スケールの大きさ」というその人の絶対的な長所が殺されてしまっている。持って生まれた素質を生かさないのは世の中のためにならず、生かすように導かないことは罪なことです。

 

でも結局のところ、茨(いばら)のお城には王子様も水戸のご老公もウルトラマンも助けにはきてくれません。人のせいにしないで自分でやる人だけが自由になるんだと思いますそうなったら、「あなたにはまだ早い」とか「初心者がやるものではない」とかいう外野の声が、もはやなんの意味も持たなくなり、むしろそういう外野が気の毒に思えてくるものです。呪文にかかって自分で自分を鎖につないでいるのは、彼らのほうだからです。

 

(じつは、演奏イップスは、市井(しせい)のピアノの先生に多いんじゃないかと思います。 演奏家として生計を立てられないからピアノの先生になっていると思われるからです。 私が、ピアノの先生に習いたくない理由は、ここにあります。 劣等感に感染したくないからです ちなみに、演奏で生計を立てている、音大でクラシックを専攻したピアニストのレッスンを受けたことが1回だけありますが、教え方がぜんぜん違いました(決してネガティブなことを言わない。 演奏への気持ちをノせてくれる。 生徒(私)が努力すれば出来そうなことだけアドバイスする、など)。 特に、「楽しんで弾くように」とアドバイスされました(←このアドバイスについて、「なんだ、そんなことか」と思った人は、人間の本質への理解が浅い人です)。 でも、レッスン料が激高だったので、私には経済的に続きませんでした。 それに、さすがプロ、いろいろな意味で芸能人でした(カタギからお金を得ようとする方法などが)。)

 

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tokyotoad1.hatenablog.com

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もとの記事:

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