ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノ譜の「初級」「中級」「上級」

 

古いブログに書いた記事です:

 

===20171205===

 

ピアノの楽譜によく「初級」「中級」「上級」の区分けがされていますが、かならずしも「上級」の楽譜が音楽性が高いとは言えないと思うことがあります。

 

たとえば、ピティナの編曲オーディションの基準に、上級はツェルニー40番程度以上と書かれていますが、たとえばそのツェルニー40番に音楽性があるのかわからないと思うからです、というかむしろ、子どものころツェルニーをたくさんやるうちに、音楽に関する大切な何かが破壊されてしまうのではないかと思うからです。「練習曲集」の最初の曲でツェルニーを揶揄ったドビュッシーが好きなので、とくにそう思うのかもしれません。

 

また、音楽出版業界として、たったひとつの曲をアレンジを変えて、ピアノの「初級」「中級」「上級」の楽譜をつくれば、ひとつの原材料から3つも製品がつくれます。さらに、「連弾初級」「連弾中級」「連弾上級」、「左手のための初級」「左手のための中級」「左手のための上級」、「大人ピアノの初級」「大人ピアノの中級」「大人ピアノの上級」、さらには 「ピアノとフルートのための初級」、「ピアノとフルートのための中級」、「ピアノとフルートのための上級」というように、「ピアノとなんとかのための。。。」方式でネタを無限に使いまわしできて、おいしいことです(キットカットがやっている方式です)。

 

たとえばJポップ曲があったばあい、「上級」製品を生産するために、原曲の雰囲気よりも過分に技巧・装飾的なアレンジを盛った「上級」の楽譜が出回る場合もあるかもしれません。その場合、その「上級」の楽譜は、真の意味で「上級」といえるのか、私にはわかりません。

 

以前参加したピアノ会で、Jポップの大ヒットバラード曲を弾いた方がいて、原曲の雰囲気がとても伝わる、素朴でシンプルな演奏をしていてとても素敵だなぁと思ったのですが、その人が弾いていたのは「中級」の楽譜でした。

 

「上級はむずかしくて、」と謙遜しながらも、その人が「でも、この(中級の)楽譜のアレンジのほうが好きなんです」という内容のことを話したのを、私は強烈に覚えています。その人が自分のなかに音楽性の判断基準をしっかり持っている、と思ったから強烈に覚えているのです。さらに、その人も私と同じツェルニー嫌いだったということも覚えています。

 

偶然にも別の会で、同じ曲の「上級」の楽譜を弾いた人がいたのですが、メロディーが途切れた合い間に、どこかで聞いたようなありがちなチャラい「おかず」を入れこんだ編曲になっていて、原曲の素朴な雰囲気はどこへ行ってしまったのか、と思いました。編曲をした人に脳はあったんでしょうか?

 

このばあい、「中級」の楽譜と「上級」の楽譜のどちらが、本当の意味で「上級」の楽譜なんでしょうか? 

 

また、「中級」や「上級」になればなるほど、オクターブを超える跳躍や、オクターブの連打が出てくるような「級分け」がなされているみたいですが、そうであれば、手が小さい人はどんなに練習しても永久に「上級」を弾くのが難しく、逆に10度以上が軽く届く初心者が「初級」をやるのは「宝の持ち腐れ」になってしまいます。宝を腐らせるのは罪だと思います。

 

ポピュラーピアノの楽譜を、自分の好みの響きに音を変えるなど、自分仕様にアレンジして弾く人たちとピアノ会でご一緒したことが何度かありますが、自分の音楽の基準を持っていて素敵なことだなぁと思いました。「初級」「中級」「上級」に関係なく、楽譜を自分流に盛ったり、気に入らないところはカットしたりと加工できると、音楽をするのが楽しくなると思います(クラシックではあんまりやっちゃいけないのかな?)。

 

「初級」「中級」「上級」という、誰かがつくった皮相的で商業的なカーストに捕らわれずに、自分の音楽の基準を持って演奏を楽しむ人が、本当の音楽上級者なんだと思います。

 

もとの記事: 

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