古いブログに書いた記事です:
===20180212===
先日、クラシックピアノの即興演奏について下記の記事で書きましたが:
クラシックピアノ即興演奏の動画(ポップス&ジャズの参考にもなる) - おんがくの彼岸(ひがん)
私は、私と同じ大人の素人さんの参考というか話のネタのつもりで書いたもので、子どもに即興演奏を教えたほうがいいとは書いていません。
私は子どものころピアノでくだらない曲を作ってはふざけてピャラピャラひいたり、おかしな歌をつくって歌ったテープも残っていますが、べつにピアノの先生から即興や作曲を習ったわけでもありません。そんなもん習わなくたって、鳴り物を与えられれば子どもは面白がって鳴らすし、心のままに歌うものです。
というのは、人間にはだれでも、生来、即興的な活動の能力が備わっているからです。子どもは、わざわざ大人に手とり足とり教わらなくても、自然に即興しています。子育てをした人なら毎日、驚きと喜びをもってそれを目撃してきたはずです。
子どもは、べつにピアノを習わなくても、メロディーを即興して歌いますし、クレヨンを持てば、たちまちクルクルと絵をかきます。音楽がなくても、身体で動かして嬉々としてダンスを踊ります。これが人間本来の即興活動です。
「アルプスの少女ハイジ」が放送されていたころ、冒頭のテーマソングのヨーデルをまねて、
「ヨロレイレイヨロレイヨロレイレイヨォ~~~~ヨ~ヨ~ヨロヨロレイレイオオオオォォォ~~~!!」
と小学校の休み時間にふざけて絶叫していた男子は、まさにグレート・インプロバイザーです。学校にはこんなのばかりがいましたし、私も友達も多かれ少なかれみんなそうでした。子どものころの生活は、替え歌やヘンテコ踊りや落書きやおかしな言葉あそびなど、即興活動そのものでした。
それらを、即興活動と思わないで、「音楽は、音符どおりに歌うものです!」とか、「ピアノやバイオリンを習わない子供は音楽はできない!」と高圧的&一方的に言う大人のせいで、子どもの天賦の音楽的な即興の才能は早々に踏みつけられ、無能化されます。
そうしておきながら、一方で子どもに即興演奏を教えてお金をとろうとする行為は、残酷であるどころか、無知蒙昧では済まされない、罪深いことです。
でも、このように、子どもの即興の芽を摘むような音楽の教育方法が一般的なんだと暗い気持ちになり、また私も知らず知らずそれに利用されていた、というか、ネタを都合よく解釈されて、どこかの教師に使われていたことにショックを受けました。その贖罪のためにこの記事を書きます。
即興演奏ばかりか、ピアノを習っていなくても、子どもは普通に作曲や編曲の天才です。個人的な経験ですが、ピアノもバイオリンも習っていない小学校の同級生たちが、面白半分で実際にはとても高度なアレンジの歌を作って歌い、私たち他の子どもたちも大笑いしてそれから面白がって歌って学校で流行した、その作品を、数十年たった今も忘れることができません(ピアノを習っていない子だからこそ作れたんだと思います)。
その歌については、次回詳しく書こうと思います。1970年代の、どこにでもいる、ピアノもバイオリンも習ってない小学生の、おそらく習っている子よりもはるかに高度で洗練された音楽の能力を、ネット上に刻んでおこうと思います(近日アップ予定)。
以下、小島美子氏の『歌をなくした日本人』(音楽之友社、1981年)からの文章を引用します:
「 それにしても、「音楽はむずかしくてできない」とは、ほんとうにおかしなことだ。日本人は昔から歌も踊りも大好きで、伝統音楽などは、この小さな島国にはまったく珍しいほどたくさんの種類の音楽や芸能がある。種類の多さということになると、ヨーロッパの音楽などは、とてもメじゃない。」
「 それに小さな子どもたちを見ていると、実によく歌っている。.(中略)..その時その時でひとりごとみたいにいいたいことを勝手なふしで歌ったり、友だちに歌いかけたりしている。」
「 ところが西洋音楽をやっているピアノの先生とか、学校の先生とか、西洋音楽の教養あるママさんたちとかは、それがメロディであることに気が付かない。.(中略)..かわいそうにこういう人たちは教養が邪魔しているから、それがメロディだということがわからないのだ。」
「 かくしていまの音楽教育は、音楽の落ちこぼれをたくさん製造し、それに満たされない先生方は、できる子どもだけを集めて特訓し、コンクールで好成績をあげ、先生は出世するという仕組みになっているのである。」
(注:原文で強調点表記の箇所は下線としました)
もとの記事:
https://ameblo.jp/tokyotoad/entry-12352102322.html?frm=theme
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