ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

2018年 紅白歌合戦

 

2018年の大晦日、恒例(を通り越してすでに形骸化している)紅白歌合戦のエンディングは、明治維新から平成の終わりまで、西洋の音楽や西洋経由のリズムを、日本固有の音楽や歌唱に何とか取り入れようと、不可能とも思えることに苦闘してきた日本の音楽家たちが、現時点で作り上げた現代日本の固有の音楽の集大成を見せつけて終わった。

 

ハーモニーは松任谷由実、西洋のリズムに乗って英語の歌並みに歌詞の情報量を増やす歌い方については桑田佳祐、ということだ。

 

音楽性については、ユーミンのほかにも、都倉俊一、さだまさし小田和正小室哲哉小林武史といったメロディーメーカーたちが苦闘してきたが、そのうち誰か一人を挙げるとしたら、やはりユーミンだろう。

 

また、「勝手にシンドバット」によって、「本来は七五調の日本語を、どのように西洋の音楽とリズムに乗せて歌えるか、そして、英語のポップス並みに、従来の日本の歌に比べてはるかに情報量が多い内容を歌詞にできるか」について、ディスラプティブな進化が起きた。 サザンなくしては、ミスチルも、今につづくJ-POPもなかったといえる。

 

ユーミン桑田佳祐が紅白のエンディングを乗っ取ってしまったことを、周りの誰も止めることができなかった。 止められるだけの実力と文化と知性を持っている人たちが、制作サイドを含めて誰もいなかったのだ。

 

いるとすれば、北島三郎石川さゆりだが、二人とも歌手であり、先生(作詞家・作曲家)ではない。 松田聖子だって、「渚のバルコニー」を作ってくださった大先生の一歩も前に出られる存在ではないのだ。

 

ただ、日本の伝統音楽・歌唱の流れを色濃く受け継ぐ演歌の大御所二人(北島三郎石川さゆり)の存在は、やはり光った。 そして、西洋音楽とアフリカ・ラテンのリズムを取り込んだ新しい日本の歌謡曲をシェイプした二人の大御所(ユーミン桑田佳祐)が絶対的に光った。 伝統的な音楽の路線上で生き残る演歌と、西洋の音楽を取り込んでハイブリダイズされた現代の日本のポップス。 今に至る日本の音楽・歌謡をサマライズする象徴的な大御所たちだ。

 

ユーミンサザンオールスターズが最も活躍した時代のJ-POPは、日本のポップスの頂点たる曲が多数存在する。 文化芸術活動は、その国の国力の反映だからだ。 小室哲哉小林武史などを経て、これから、GDPを外国人の購買力に頼るような落ちぶれた国に、優れたポップスが生まれてくるのだろうか。 それには、国が経済的に栄え、強い存在感を持ち続けることが必要だろう。

 

ところで、ユーミンのバックに輝く名プレーヤーたちに、卒倒するほど歓喜した人が多かっただろう。 個人的には、正隆さんと武部さんのツインキーボードには涙が出た。

 

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