ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノの練習と、呪いの言葉

 

野口晴哉氏の『風邪の効用』を読んだ。 この本に、興味深いことが書いてあった。 要約すると:

 

子どもに、「お前はなんて頭が悪いのかしら。頭が悪いから試験に落ちたのよ、だから勉強しなさい」と、励ますつもりで言っても、「頭が悪い」と、方向付けをしてしまったから、子どもは「自分は頭が悪いんだ」と思ってしまう。 もうそうなると、今度はしっかり勉強しようとしても、努力するほど逆効果になっていってしまう。

 

そして、

 

いったん、ある空想(イメージ)で方向づけられたら、意志でどんなに努力しても、その空想には勝てない。 「結局空想が方向づけられた方向に、身体の動きは行ってしまうということです」

 

もしかすると、魔女に「カエルになれ!」と呪文をかけられた王子様は、実際にカエルになったのではなく、人間でいながらにしてカエル並みに無力化されてしまったのかもしれない。 「茨(いばら)に閉ざされた城の中で永遠に眠れ!」と言われた王女様は、自ら茨の城に引きこもって、自分で自分を、まるで眠っているがごとき無力な状態にしてしまったのかもしれない。 

 

だから、昔から、言霊や呪詛は、恐れられてきたんでしょう。 武器も何も使わずに、言葉だけで、人を無力化してしまう、邪悪な力を持っています。 奴隷制度や身分制度、人種差別で使われる効果的な道具も、これでしょう。

 

たとえば、子どもの頃にピアノを習う機会がなくて、大人になってから、ずっと憧れていたショパンの曲を弾きたいと思って、ピアノ教室の門を叩いたら、先生から、「バイエルからはじめましょう」と言われたとします。

 

「バイエルからはじめましょう」の、言外の意味は、

あなたはピアノ初心者だから、ピアノができないショパンは無理なんですよ。だから、あなたは大人だけど、小さい子どもと同じように、バイエルっていう、いちばん低いところから始めるしかないんですよ。」 

ということです。

 

ちょっとまってください。 ピアノって、そんなに言うほど、難しいんですか?

 

12音が低音から高音まで、一列に整然と並んでいて、キーをたたけばその音が自動的に出るんだから、ギターやバイオリンや尺八やサックスよりも、ずっと簡単なんじゃないんですか?

 

そして、即興じゃないんだから、ピアノの楽譜どおりにキーをたたけば、少なくとも、作曲家が意図した音は出ます。 単に、楽譜を読む、馴れの問題だけなんじゃないんですか?  だから、ゆっくりでも、ちょっとずつ読んでいけば、読めないことはないよ。 だって、楽譜は、「五線譜のここにあるこの音は、この鍵盤の音ですよ。ここボリュームあげて、ここゆっくりして。。。」、って表示しているだけなんだから。 シャープやフラットが多すぎることが、難しいことなんですか?  黒鍵が多いことが難しいんだったら、ピアノを習っていない人が、西洋音楽の究極の例である「ネコふんじゃった」を、いとも簡単に弾けるのは、いったいどういうわけなんですか? ピアノでは、F#/Gbは、Cと同じくらい簡単なんじゃないんですか? それを、「ほら、こんなにシャープ(フラット)がたくさんある!」って脅かして、難しくさせちゃってるのは、いったい誰なんでしょうか?  そうだ、ピアノ警察だ

 

そして、大人は、子どもよりも大きな手を持っているんだから、大人になってはじめてちゃんと鍵盤を抑えられる曲が多いんじゃないんですか(20世紀以降のピアノ曲はそうでしょ)? それに、体格が大きい大人のほうが、偉大な作曲家たちが意図した音量に迫れる大きい音を出せるんじゃないんですか?

 

大人は、子どもとちがって、どんどん運動能力や記憶力が衰えてきます。譜面を見てキーを叩く反射能力もどんどん落ちてきます(50代なかばになると、その自覚症状がでてくると思います)。 人生の時間も少なくなってきます。 一刻もはやく、弾きたい曲の譜読みにとりかからなければ、ますます時間がかかるようになってしまいます。 

 

そんな大人に、子どもとおなじように、「バイエルがぜんぶ終わったら、こんどはブルグミュラーツェルニー。。。。」なんてやっていたら、弾きたい曲をなんにもできないうちに、寿命が尽きて死んでしまいます。

 

そんなレッスンに、いったい何の意味があるんでしょうか? (若い先生がたは、中高年の体力や脳の衰えを想像だにできないでしょうが。)

 

大人は、弾きたい曲を、ただ弾きたいだけなんだ。 指の形や、音質や、手の使い方や、ぺダリングより以前に、とにかく、今、弾きたいんだよ。 完璧に弾くつもりなんて無いんだよ。  ただ、好きな曲を弾きたいだけなんだ。 どんなに間違えても、アルペジオやトリルがガタガタでも、ドタドタ弾きでもいいじゃないか。 好きな曲を弾いて、幸せな気持ちになれれば、それが最高なんだ。 そんな、心からピアノを楽しみたい気持ちに、どうして、冷や水を浴びせかけるようなことをするのか? そうしておいて、お金まで取ろうとするのか?

 

先生がたは、試験の合格・不合格を尺度に、子どもたちにピアノを教えてきたから、失敗のないように、生徒の運動能力を超える曲は、やらせない、というマインドセットに凝り固まってしまっているんだと思う。 だから、「あなたには無理」になってしまうんだ。 でも、そこには、文化・芸術を楽しむ、本当の喜びはあるのか?  ミスタッチなく、音の粒や音色や強弱の加減を完璧に弾くことは、プロのピアニストだって難しい。 それに、一流のピアニストだって、年をとれば、若い時のようには弾けなくなる。 誰だって、年をとれば、演奏のメカニカルな質は劣化するのだ。 そんなことは、わかりきっているのに、どうして、大人のピアノに、「楽譜どおりに・ミスタッチなく・演奏技術も完璧に弾くこと」ばかりを求めるのか? 運動能力や反射神経が衰えてゆく大人にとって、もっとふさわしい内容を教えないのか? いや、その内容に関する知識がないんだろう、と、勘ぐられても仕方がないのではあるまいか。   

 

大人の生徒側としては、「初心者だから」とか、「黒鍵が多いから難しい」とか、「この曲は、音大生でも難しいのだから」とか言われたら、それは、悪い魔法使いの、いや、ピアノ警察からの呪文だと思って、毅然と振り祓うことが、とても重要です。 なぜなら、これらのネガティブな言葉は、言霊や呪詛になって、生徒を無力化してしまうからです。 無力化されて、劣等感を持ってしまったらさいご、どんなに練習しても、本来であればできるものも、できなくなってしまいます。 

 

そして、勘のいい人は、言葉で言われなくても、誰かの目や表情や行動から、「あなたには無理よ」というメッセージを感じてしまうと、その方向に自動操縦モードに入ってしまって、できるものも出来なくなってしまう(自分の意に反して、ついつい人の期待に応えてしまう、心の優しい細やかな人です)。 すると、自信を無くして、頭はうなだれて、目はいつも下を見て、胸も自信なく前下がりになって、猫背になる。 猫背になると、人体のパワートレインへの力の伝達効率が落ちるため、ますます体も手も、思うように動かなくなり、だからますます「私には無理なんだ、できないんだ」と思って、ますます自信が無くなって、ますます猫背になり、ますます体は思うように動かなくなり、。。。 

 

という無限のダウンスパイラル。 これを、宗教では「地獄」と呼ぶんだと思います。 こうなると、どんなに長く練習しても、どんなにお金をかけて習っても、時間とお金の無駄使いです。

(アレクサンダーやヨガなどを統合した身体操作を探求するBrainfreeさんのサイトに、古代エジプトの壁画の支配者階級と奴隷階級の姿勢の違いを開設するページがあります。 姿勢は身分にまでも表れる、という、とても含蓄がある視点だと思います。 姿勢が良いのは本来、お金を払ってサービス(労働の献上)を受ける生徒の方でなければなりません。 人生を賭けた伝統芸能の師匠と弟子の関係は、ある意味上司と部下の関係になるかと思いますが、それでも、弟子がリスペクトするのは師匠の芸(仕事)であって、師匠の存在すべてを敬い奉るような状態では、うさん臭い類の新興宗教になってしまいます。)

 

それから、大人になってピアノを再開した人たちのなかには、子どもの頃に先生に言われた一言が呪いのように心に残っている人たちが、少なからずいると思います(私もそうです)。 そういう場合は、子どもの時と同じ方法やマインドセットで練習しても、同じことの繰り返しになると思います。

 

ピアノ警察からの悪い言霊や呪詛は、自分の耳に入れないようにします。 まずは、「自分はできない」なんていう、なんの根拠もない「呪い」を、お祓いすることから始めるとよいと思います。

 

ピアノ警察には、素人のピアノ愛好家もいるので、注意が必要です。 ある意味、こっちのほうが、プロよりタチが悪いかもしれません。 「自分は上手い」と思いこんでいて、自分の優越感を満足させるために、「自分はなんとかの曲を練習している」とか「自分はピアノのなんとか検定何級だ」とか言っている一方で、「初心者」に理解のあるようなことを言ってみたり、「自分はクラシック(がいちばん高尚でそれ以外の音楽は野蛮で低俗なものと思っている、)だけど、ジャズにもポップスにも理解があるんですよ」みたいなそぶりを見せたりするのです。 こういうトリッキーな連中の巧妙なマウンティングの餌食にならないようにしなければなりません。 ところが、今は西洋音楽理論を始め、西洋音楽の歴史や、一流ピアニストの演奏動画や、西洋におけるクラシック音楽の実態などの、おびただしい動画を見られるようになって、一流のプロと自称プロと素人音楽のプロと単なる素人との違いをとても簡単にベンチマーキングできるようになったので、彼らの薄っぺらいメッキをすぐに剥がすことができます

 

趣味で地獄を味わうのは本末転倒。 まずは、この世の地獄から脱出すること。 死後の世界に天国があるかもわからないし、来世があるかもわからないので、生きている間に、心を天国にして過ごしたいものです。 

 

 

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私は、一部のピアノの先生やアマチュアのピアノ愛好家のなかに、西洋クラシック音楽を知らない/理解のない人たちを、「文化が無い」と見下すようなマインドセットがあるんじゃないかと勘ぐっています。 

でも、上から目線でピアノの奏法や音楽について「(文化の無い輩に) 教えてやる」と言わんばかりに語るのは、見当違いもいいところです。 だいたい、その自慢の演奏技術を駆使して演奏して、いったいいくら稼げるんですか?  芸術家の地位ってのは、もともと低いもんなんだよ(だから、一流の芸術家は、その自覚があるから、ケツまくって生きているんだ)。 

それに、日本人が西洋音楽をよく知らないのは当たり前。 ところで、日本人のクラシック音楽の専門家たちは、いったい何語で学んだのだろうか(まさか日本語じゃないよね)? もしかすると、生徒たちは、「サーロインステーキ大根おろししょう油ソースがけ」の作り方を教えられちゃっているのかもしれないよ。 それは、お醤油風味のクラシック音楽かもしれないよ。

それから、自分の国の伝統的な音楽を知らずして、西洋クラシック音楽に明るくない同国人を「文化がない」とは言わないだろうから、まずは、自国の誇るべき文化である、日本の伝統音楽について、じっくり語っていただきましょう(語れなかったら、それこそ、あんたたちの方が文化が無いよ! って言われても、文句は言えないよ)。

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