ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノを弾くと背中が痛い_001

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この記事の後に書いた記事(002)です。002の記事の方が具体的なことを書いていてます:

 

以下(001)は、古いブログに書いた記事です。

 

====20170903=====

このページへのアクセスがいつも一定数あるので、ピアノの機械的な演奏技術のことで悩んでいる人がけっこういらっしゃるんだと思いますが、

 

ピアノの先生に習っている方は、私のような素人のブログなんぞに答えを求める前に、まずはその悩みをレッスンで先生に相談してみてはいかがでしょうか。

 

ピアノの先生はその道のプロのはずですから、もらったお金に見合ったノウハウを教えてくれるはずです。

 

それでも、どういうわけかうまくいかない、あるいは、ピアノ先生の言うことがよく解からない場合は、先生を替えてみることを検討してはいかがでしょう。 ピアノの先生の質に問題があるかもしれませんし、人間同士のことですから、体格や運動能力の差や、価値観や生きてきた世界の違いなどで、意思疎通がうまくいかないこともあるでしょう。

 

いろいろなピアノの先生を試してみたけど、それでもなかなかうまくいかない人は、そのピアノの先生は、あなたにとってハズレの先生ですから、即刻やめた方がいいです。 じゃないと、あなたの貴重な人生の時間と、その貴重な人生を削って稼いだかけがえのないお金の無駄です。 あなたは、お客様です。 やめるのに遠慮は微塵も要りません。 客に満足のいくサービスを提供できなければ干される、これが健全な経済社会の在りようです(そうでなければ、それは、奴隷制度や悪徳宗教です)。

 

私のように独学に切り替えた人は、以下の文章から何かヒントを得られるかもしれないし、得られないかもしれませんし、その人には合わないヒントでかえって逆効果になってしまうかもしれませんが、素人が書くタダの情報を頼りにするのですから、それはその人の自己責任です

 

もっとも、お金を払って得る情報やノウハウも、どこまで正しいのかは、その人の主観によるでしょうし、ほんとうのことは大っぴらに世間に出回らないのかもしれませんし、よくわかりません。

 

ちなみに私は、子どものころからバッハと印象派以降を除いてクラシックピアノ(ありきたりな和音の展開でつまらないと感じた)が嫌いで、しかも子どもの頃にピアノの演奏技術で先生に褒められたことはありませんでした(指がまわらないうえに、曲の展開を勝手に予想して楽譜に指定のないコードトーンを弾いて(ミスタッチになる)注意されてばかりでした)。 また、家のピアノと先生宅のピアノの音色が違いすぎて(メーカーが違った)、当惑しているうちにレッスンが終わるという有り様でした。 その一方で、レッスンで習ったこともないのに即興や変奏が上手だったようで(そういうもんですよ)、大人になった今も、自分で作ったりアレンジしたものを楽しんで弾くのを趣味にしています(大人の世界で通用するレベルの音楽理論を現在独学しています)。 ただ、大人になってからハノンをやったり、いろいろなサイトやピアニストの動画を見たりして、自分なりに身体操作を工夫するうちに、子どもの頃よりもはるかに、いわゆる「指が回る」ようになりました。 

 

愚鈍な人間なので、一般にいわれるピアノの「上手い・下手」が何を意味するのか、その判断基準がよくわかりませんし、ピアノの演奏を「上手い」とか「下手だ」で判断すること自体がよくわかりませんが、そのような頭の弱い人間が思っていることなので、それを踏まえてお読みください。 と書きましたが、正式な知能検査(数時間を要する)を受診した結果、私は上位2%以内です(はい、おそらく上位0.5%以内の人たちから「こいつはとてつもなくバカだ」と思われる程度です。同時に、私は、上位0.5%以内の人たちに同情します、この世はさぞかし生きづらいだろうと。私のような愚か者からは想像できない世界ですが、どうか、悩まずに、楽しい人生を送られることを祈念します)。

 

でも、愚鈍ながら私は自分の考えが正しいと思っています。私は合気道や、日本の武術に基づく身体操作を参考にしています。 

(これも、私の個人的な考えなので、「自分の考えと違う」と感じたら読むのをやめるなど、主体的にしてください。 主体性がない向きは、人のブログを読む以前に、ご自分の主体性の確立が先決です。 主体性がない人生は、主(あるじ)が不在の、虚ろな人生ですから、人の情報に依存する前に、まずは自分の主体の確立が先決です、そうじゃない間は、何を、どう努力しても、虚ろな結果しか出ません)

 

それから、いろいろ検索してこの記事にぶちあたって読んでいる人の多くが、クラシックピアノを趣味にしている人ではないかと勘ぐりますが、スポーツを趣味にしたと思って、自らのフィジカルとよく相談するといいかと思います。 バッハやベートーベンの時代と違って、現代におけるクラシック音楽は、基本的に、作曲と演奏を別々の人間が行い、演奏者は「作曲家の先生の創作物である作品」の再生機能に徹して、作品を忠実に再現する、再現芸術です。 作曲家の先生の美意識や世界観を正確に再現できるだけのフィジカルと運動能力がなければ、まともに演奏できない、身体的・運動機能的に劣った人がやるには厳しいジャンルだと思います(そうじゃないと言うピアノの先生もいるかもしれませんが、であれば、世界的な(=ヨーロッパ内で全うな評価を受けている)一流のプロのピアニストにはどうして大柄な男性が多いんでしょうか?)。 作曲家の作品の再現演奏は、体格や身体運動能力が必須の、勝ち負けのつかないスポーツに近い、いや、技術的な優劣を見られるので、勝ち負けがつくスポーツのカテゴリーです。  一方、ジャズでは、たとえ人の作った曲であっても、演奏者は作曲家でもあり、音楽理論の知識やクリエイティビティといった頭脳的な能力を骨の中まで自分のものにしている上で、それを極限まで駆使して即興演奏を行うため、演奏者の芸術的存在が一丁目一番地です(脳の極限までの駆使という意味では、将棋に似ている)。 これに対して、クラシック音楽の一丁目一番地は、作曲家の作品です。 芸術作品は、作品であって、芸術家なのは、作曲家です。 演奏者の役目は、芸術家である作曲家が創った芸術作品を、楽譜に書いてある通りに正確に再現実行することであって、その行為自体は芸術ではない(クラシック音楽の即興演奏もありますが、そのためには、ジャズと同じように音楽理論の理解が必要ですし、第一に、クリエイティビティの幅が狭い。幅を超えるとすぐにジャズや現代音楽になってしまうから)。 ジャズは、音楽理論を理解したうえで「自分の音楽言葉(ボキャブラリー)」を育てていって、即興演奏によって自分だけのオリジナルなステイトメント(主張)を表現する音楽です。 メカニカルな演奏技術も大切ですが、それ以上に、音楽理論に基づいたうえでの表現者としての自分の創造性と主張がなければ、やっても無意味なジャンルです(ジャズの人が有名なジャズミュージシャンのアドリブ演奏をマネして黙々と練習すのは、名演奏家ボキャブラリーを学び、消化して、自分の音楽的なオリジナリティの肥やしにするためです)。

 

だから、クラシックピアノでは、運動的なvirtuosity(超絶技巧)を有り難がる文化があるんじゃないかと思います(原作者が書いた譜面のとおりに再現することがすべてで、それしかないから。その時代時代のお客様に楽しんでもらえることを第一目的に、演者が作品の主題を変えずにある程度アレンジすることが許されるのであれば、古典落語と同じジャンルです)。 短くて単純な構成で、ハーモニーへの考慮がすみずみまで行き届いた、とても響きのよい、作曲家の世界観が凝縮された、まるで俳句のような名曲も沢山あると思うのに、左右の手をそれぞれ高速でバラバラと動かすような派手で長い大音量の劇的な曲のほうが「偉い」と考えられている。 だからそういう曲を弾く人が「上手い」と思われるから、つまり、そういう曲が弾けなければ「上手い」と思われないから、誰もかれもがそういう曲を弾こうとして、カゴの中の輪っかの中のリスのように、何かに追い立てられるように練習するという、強迫観念にも似たものが支配しているような気がします。 が、クラシックピアノの演奏が、優劣で勝負がつくスポーツであると考えれば、納得がいきます。

 

とどのつまり、お金を消費して楽しんでなんぼの趣味の世界ですから、初心者でも「クラシックの大曲」を弾けば、その曲の強力な「威」を借りることができて、素人耳には自分の実力以上に聞こえると思うので、どんどん「大曲」を弾いたほうがお得だと思います。 10分以上のバラバラした大曲を、気持ちよさそうに騒々しく弾く人(メタル弾き)をピアノ会でよく見かけましたが、どんぐりの背くらべの素人の会なんですから、はっきり言って「弾いたもん勝ち」です。 

 

(そもそもピアノは騒々しい楽器です。「フォルテ」という名前のほうがふさわしい気がします。 電気(つまりPA)がない時代にポリフォニックな大音量を出せることは、作曲家兼演奏家にとって大きな魅力だったことでしょう。 大音量の曲はピアノの本領発揮といった曲といえます。 ベートーベンの時代は、現代のピアノの前の型のピアノだったそうですが、楽聖は弦を切りまくって演奏したそうです。

そして、人間は元来、大きな音に萎縮するようにできていると思います。 なぜなら、地震の地鳴りや崖崩れや鉄砲水や火山の爆発など、大きな音は生物の生命を脅かす自然現象の特徴だからです。 近くで何かが爆発したらみんな地面に伏せて丸くなって動かなくなるのは、自分の命が脅かされたことによる極度の萎縮と自己防衛によるものだと思います。

つまり、大音量を出す行為は、周りの人を圧倒&威嚇する行為であり、そうしたい意図があればそれを可能にする媒体やコンテンツを選ぶのが効果的な方策です。

tokyotoad1.hatenablog.com

 

話はもどりますが、独学でやっている人も、そうでない人も、興味のおもむくままに、大音量で威勢のいい曲でも、静かでしみじみとした曲でも、やりたい曲をどんどんやると、人間の芸術活動の命である、伸び伸びと燃える自己表現の炎を傷つけられることなく、小手先の技巧を超越して、だんだんサマになってくると思います。 「あなたは「初心者」だから、●●がちゃんとできてから「中級」「上級」にすすみましょう」なんていう「魔女の呪いの言葉」を浴びせかけられて、伸びやかな自己表現の炎に冷や水をぶっかけられて、インティミデート(脅迫)されて、はっきりいって魔女から「呪文」をかけられて、自信をはく奪されて自分の潜在能力のほんの少ししか出せなくなってしまう「演奏イップス」には絶対にならないようにしたいものです(一般的に、 

脅し(インティミデーション)があるところは、奴隷制度でまわっています(つまり、不当な搾取の構造がある。 でも、芸事に関しては、奴隷制度ないしはパトロン制度のどちらかになると思います。 娘さんや息子さんの夢をかなえるために幼少期からのお教室から楽器機材から大学の学費まで何千万円つぎ込んだうえに、いまだに、プロになった彼らの生活の面倒を見ている親御さんも多くおられると思いますが、そんな親御さんは、自分の爪に火を点すようなことには、決してなっていないはずです。 なぜなら、芸事というものは、今も昔も、お師匠さんについて習っている場合は、お師匠さんが死ぬまでお師匠さんにお金や労働奉仕をつぎこみ続ける、つまりは、お師匠さん(芸人)の人生をサポートするパトロン稼業だからです。 それを十分承知のうえで、お師匠さんと自分の子どもという、二人の芸人のパトロン稼業を喜んで続けられるのは、相当なお金持ちしかいないからです。)。

 

ピアノを心から楽しんでいる人たちについては、この記事の動画が参考になると思います: ピアノを独学している人の動画 - おんがくの彼岸(ひがん)

 

身体操作について参考にしている本やサイト、またそれらを通して私が気づいたことは、こちらのテーマに書いています

楽器とバイオメカニクスと日本の武術 カテゴリーの記事一覧 - おんがくの彼岸(ひがん)

 

 

この記事の続きの記事はこちらです:

tokyotoad1.hatenablog.com

tokyotoad1.hatenablog.com

 

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2018年3月現在の私は、ヒトとして生きるための肝心かなめの動きができていることがヒトのすべての活動において第一だと思っています。それができていないと、ピアノはおろか、立っていることすら、まともにできていないはずです(わたしも全然できていません)。

 

まともに立つこともできない人が、まともに手先を動かせるはずがありません。手先や足先など、身体の末端は、体幹との連動が必要な、ある意味もっとも制御が難しい部分だと思います。 だから、手の形を気にしたり指練習ばかりやっても、ある程度のところで止まってしまうし、いつまでたっても制御がきかずにカツカツ・ドタドタ・ガチャガチャ弾きの騒々しい演奏になってしまうんだとおもいます。

 

また、レッスンで先生にいつも同じことを注意されるなど、ピアノがなかなか上手くいかなくて、一生けんめい練習したら背中が痛くなってネットを調べてこの記事を読んでいる人のほとんどが、クラシックピアノを趣味にしているのではないか思いますが、まずは、スポーツを趣味にしたと思って、世界的なピアニストのCDを聴きながら、「これが野球だったらどうだろう?自分はダルビッシュ投手と同じ球が投げられるかなぁ?」みたいなことを考えて、地に足をつけると、悩みもグッと減るのではないかと思います。

 

(ちなみに、ジャズピアノであれば、機械的な練習よりも、アドリブができるようになるためにコードや理論を覚えなければいけませんから、肉体的な負担より頭脳的な負担のほうが大きく、ジャズピアノでは、ピアノを弾くと、背中よりも頭が痛くなると思います(愚か者の私はすぐ眠くなりますよ...)。 またポップスは、音の生成や合成などの機材の知識が必要で、加えて音楽理論も必要だし、演奏でコンピューターを多用すると思うので、生身の人間による肉体を駆使する表現活動にとどまらない総合的な音楽分野だと思います。 従って、ポップスでは、身体よりも、神経をすり減らすのではないかと思います(演奏中は、段取りや、音色の選択や楽器とPAとの接続状態やパソコン操作など、方々に神経を使う負担が大きいと思う)。 ポップスで最もフィジカルが必要になる場面は、まじめな話、演奏前の楽器の運搬や設営ではないでしょうか(スタッフさんにやってもらえない人は)。

 

歴代の大作曲家の先生(の多くが、作曲・伴奏・即興演奏・演奏をマルチにこなした音楽職人)が作ったり即興したのを書き留めた楽譜を、生ピアノで忠実にミスなく再現するのは、生身の人間にとってたいへんハードな再現活動です(こうやってパソコンを打っているだけで間違いまくって上書き訂正してばかりの人にとっては、人間技とは思えません)。

クラシックピアノのとくに「難曲」を弾けるようになりたいと思って何時間も練習して背中や腕が痛くなるのであれば、まずは、自分は、音楽ではなくてスポーツを選んだと悟ることです(実際のところ、楽譜通りに弾くことだけでは、芸術活動とはいえません。打鍵のタッチへのこだわりについてもしかり。打鍵のタッチはスポーツ技術であり、芸術ではない。 芸術活動は、無から有(コンテンツ)を生み出す活動です。音楽について言えば、その場で瞬間的に作曲演奏するインプロヴァイゼイション(インプロヴ=インプロ=即興演奏)や作曲が典型的な芸術活動であり、ジャズなどの既存曲のアドリブ演奏や、アレンジやリハーモナイゼイション(リハーム=リハモ)がそれに続きます)。

 

プロのスポーツでもテレビ番組の「SASUKE」でも、スポーツに必要なのは、

①その競技の要求に見合う体格(身長・体重・手の大きさなど)と、

②運動能力と反射神経に優れた、若くて強靭な肉体と、そして、

③先天的または後天的な、今現在の運動能力です。

 

それが乏しいと思ったら、あんまり悩まないで、楽しんで弾いたほうがよいと思います。じゃないと精神を病みます。 自分を追い込むのは、仕事などの自分の生命維持に必要な活動にとどめておいて、汗水たらして稼いだお金を喜捨して貴重なヒマを消耗して行う趣味は、なによりも楽しく愉快にやって日々を過ごす方が、有限な人生にとってメリットがあるし、理にかなっていると思います。 (でも悩むのが好きな人もたまにいるので、人それぞれですね。)

 

よく、「希望の曲が弾けるレベルになるまで、まずはこの曲で演奏技術をつけましょう」なんて言われたりしますが、ぶっちゃけ、「下手」に曲のレベルは無関係です。 その「簡単な」曲を、見当違いの身体操作のままでどんなに練習しても、「その曲を弾く」ことに慣れていくだけで、メカニカルな技術的にはたぶん「下手」のままです。

 

ショパンを弾いても、ブルグミュラーの練習曲を弾いても、指の「ドタっ」の着地は変わりません。短くてゆっくりした曲だとそれが短時間で、少ない回数で済むだけです。

 

ちゃんとした身体操作を教えてもらって、それを自分で理解して、そのようにできれば、どんな曲であっても、基本的にはその人にとって最適なレベルで弾けるし、そのレベル以上でも以下でも弾けない。それだけです。(ふつうの人はホロヴィッツにもダルビッシュにもなれません)

 

だから、フィジカル面や運動能力や反射神経に恵まれていない人、それに加えて、身体がコチコチで背骨がねじれたりひん曲がったりしている人(現代人に多い)が、身体操作をちゃんと教えてもらえずに、教えてもらったとしても理解できずに、どんなに練習しても、ずっと「下手」なままです。そういう人は、そのままの状態で何度生まれ変わっても、「下手」なままです。

 

子どもであっても、それを矯正するのはかなり大変だと思うので、社会人で日ごろ働いていたり、家事などでまとまった時間がとれない、そのうえ身体能力が下り坂の大人にとっては、よほど強靭な意志、というか執念がなければとても大変だと思います。 だったら、お金を喜捨して、貴重なヒマを消耗して行うのが趣味なんだから、もうあまり悩まないで、楽しく弾いて楽しく生きたほうが、限りある人生へのメリットが大きいと私は思います。  (でも、何度も書きますが、悩むのが楽しい人もいるので、人それぞれだと思います。)

 

じつは、肝心かなめの動きが出来ている、またそれを人に説明できる能力のある(または、それを教えてくれる太っ腹な)ピアノの先生がとても少ないので、多くの生徒は末節の動きばかりを教えられるままに手や指だけの練習ばかりして上手くいかなくてメンタルが不健全になっていくんだと思います。

 

そして、先生に教えてもらわなくてもその動きがもともとできる、ひとにぎりの人たちだけが、どんどん機械的に上達していくんだと思います(先生が教える必要がない。 つまり、身体操作を理解していない先生から的外れなことを教えられなくてすむので、ますます上達していく)。

 

とくに、クラシックピアノでは、創造的で頭脳的なジャズ(アドリブが必須なので音楽理論の理解が不可欠)とはちがって、第一に、作曲家の先生が創造した作品を、その世界観を忠実に再現すべく楽譜通りに正確に弾く媒体になりきって、アスレチックなミッションを遂行する能力を求められるので、運動神経のない人たちは身体的にもメンタル的にもキツく感じると思います(「運動能力のなさ」を、「頭脳の良さ」や「知識の集積」や「クリエイティビティ」にヘッジすることができない)。

 

でも、ネットでいろいろな分野のサイトや動画を見ましたが、ピアノだけではなくクラシックバレエでもダンスでも、スポーツでも、肝心かなめの動きを教えられる指導者が少ないので、「教わらなくても、もともとできている」人たちだけが上手くなっていくようです。 そして、そうじゃない子どもや大人は、そうじゃないまま練習するので心身を故障していくようです。

 

また、プロでも、理想的な身体操作ができているひとはとても少ないみたいです。それでプロでやっていけるということは、それを補てんできる身体的な素質に非常に恵まれている人たちなんでしょう(でも、常に身体に大きな負担がかかるプロの故障は、たいへん深刻なことでしょう)。 オリジナリティを問われる分野では、メカニカルなことだけが完璧でも大変厳しいと思いますし、音楽などのエンターテインメント業は、経済的にやっていけるためには、そのほかの色々な要素があることでしょう。

 

自分の人生が楽しく幸せになるように趣味を続けられるとよいですね。

 

さいごに、背中が痛くなったり指が腱鞘炎っぽくなるまで必死に練習する以前に、そうまでして練習しないと気が済まない原因に対処すべきかもしれません。 どうしてそうなってしまったのかを考えて、その原因の要素を自分の生活から取り除くと、フィジカルな問題も軽減されるのではないかと思います。 「上手」く聞こえる人に限って伸び伸びと自信たっぷりに演奏していて、「下手」に聞こえる人に限って何かの呪縛にかかったようにカチカチに固まって演奏するような印象がありますが、どうしてそうなってしまうのか? 素人のなかにも「演奏イップス」になっている人がたいへん多いような気がします。 素人の「上手い下手」なんて屁のようなもんです。 また自信というものは全くもって主観的なものです。 自信を失わせるような要素を生活から排除して、自信たっぷりに伸び伸び演奏できるようなメンタルを醸成する環境を整えることが、最も重要ではないかと思います。

 

もうひとつ、本当の意味でまともにクラシックピアノが弾けるためには、ピアノに負けない大きな体格と体重が必要です。 身長が160cm代のプロのピアニストは、スポーツ選手並みのフィジカルをしています。 そうじゃない先生からクラシックピアノを習う場合は、そういう視点で先生を見ると、演奏のことで注意されても不必要な落ち込みを避けることができます。

 

 

 ===以下は、過去の加筆分と、もともとアップした記事(2017年9月)です===

 

2017年10月現在、考えがさらに核心(もっと身体の芯のほう)に進んでいますが、思考の発展の記録として下記をそのまま残します。

 

また、2017年12月現在、身体が固くて運動オンチの人が肩甲骨を回してピアノを弾こうとすると、より自然な弾き方(というよりもピアノ以前の、普段の生活でのより自然な姿勢や動き)へ近づく最初のきっかけになると、個人的には思います。

 

つまりは、最初のきっかけでしかないし、最終的には肩甲骨をそんなに回さなくてよくなると思います。しかし、そうなる前に、いろいろなハードルを越えなければならないと思います(わたしの場合は胸郭出口症候群っぽくなったし、これからもいろいろなハードルがあると思う)。

 

下記の記事以降のこのテの話題については、こちらで書いています:

tokyotoad1.hatenablog.com

 

 

以下の記事は古いので、ピアノ演奏と肩甲骨については、下記の記事が最新です:

tokyotoad1.hatenablog.com

 

 

===以下は、もともとアップした記事です(2017年9月)===

 

ピンク音符打鍵のインパクトとリリースを調節しようと、背中から上腕にかけての筋肉を使い始めてしばらくたちますが、そうやってピアノを弾くと、背中が痛くなります(おしりも痛い。。)。

 

ピンク音符背中の両脇の、肩甲骨の下あたりが痛くなります。「自分は鳥だっ ペンギン!」と思って両腕をバタバタさせるとよく動くあたりの肉が痛みます。

 

ピンク音符背中の痛みが、ピアノのための筋肉を使って生じる良い痛みなのか、それとも悪い痛みなのか、よくわからないので、ネットを調べたら、いろいろな意見があるようです。

 

ピンク音符私は、鍵盤を叩こうと腕を振り下ろす力下矢印に対して、背中の筋肉が、「ガツンッ」とならないように打鍵のスピードにブレーキをかけようとする上矢印から、背中が痛くなるんだと思います。物理の道理に合っていると思うので、背中の筋肉ができてくれば痛みはなくなるんじゃないかと気楽に考えています。

 

ピンク音符ピアニストのジョッシュ・ライトさんが、背中の痛みに悩んだ経験を動画で語っておられるので、プロも背中が痛くなるんだと思いました。(というか、練習量を削れないプロだからこそ、背中の痛みが慢性化するんだろうね。。):

Overcoming Back Pain When Practicing Piano - Josh Wright Piano TV

 

ピンク音符ライトさんはこの動画の中で、アレクサンダーテクニックとヨガが背中の痛みに効いたと言っています。私はフェルデンクライスを少しかじったことがありますが、たぶん、人体の構造に逆らわない素直な姿勢と動きができるようになると、無理な負担がかからなくなって故障も防げるんだろうなぁと思います。ヨガは、ストレッチによる疲労回復の効果や、複数の筋肉の力をバランスさせて体幹を保つ練習になるんだろうと思いました。

 

【注】動画のピアニストの方は、別の動画によると11度に届く手の大きさを持っていて、また体格もかなり大きいと思います(おそらく身長は180cm以上あると思うし、上半身がガッチリしているし、西洋人なので骨が太いと思う)。そういうフィジカルな面を自分と照らし合わせて見ると、思い込みや勘違いを減らすことができると思います。

 

もとの記事: 

https://ameblo.jp/tokyotoad/entry-12305379030.html

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