おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

「ネコふんじゃった」が泣いている

 

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2021年6月に追記: この記事を書いてからもう2年以上が経ちましたが、いまだに当ブログでいちばん読まれている記事であることは興味深いことです(←2022年8月の次点では、当ブログで4番目に多く読まれている記事の地位をずっと確保している)。 腕に覚え有りと自負している(ように見える)アマチュアピアノ愛好家ばかりかピアノ教師までもが「ネコふんじゃった」を「ピアノを弾けない輩(やから)でも簡単に弾ける、ピアノ下手の象徴」みたいに見下している印象があったこと、にもかかわらず「ネコふんじゃった」のキーはピアノ好きでも恐れおののく「最も難しい」キーであること、加えて、にもかかわらずキーボードを弾いたことがない人でもスグに弾けるようになる曲であること。これらの矛盾する要素たちの間にいったい何があるのか?みたいなことを考えつつ、音楽語を思いのままにスラスラ話したいと自分でいろいろ試行錯誤する過程で考えたことが、この記事です。 この記事を書いてから2年以上経った現在、ようやく、「音楽語が真に堪能な(つまり音楽文法に基づいて心のままに自由自在に即興演奏できる)人たちにとって鍵盤がどう見えているか」が実感としてわかってきたような気持ちになってきました。 キーボードの鍵盤は、人それぞれ、見え方が違うようだ。 これを悟った気持ちになっただけでも、私にとっては大きな進歩です。 こちら側から見ると難しく見えることも、あちら側から見ると簡単なことが、音楽に限らず、人生や世の中にはいろいろあると思います。 そして、「こちら側」から「あちら側」へたどり着く道は、転んだり、足にマメができたりと、痛い思いをしながら、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、独りぼっちで歩く道。 そうして歩き続けてはじめて、偉大な先達たちが残した言葉の意味が、言語を超えた次元で心の底から理解できる日が、来るかもしれない...。

 

=====以下、記事の本文です=====

 

「ネコふんじゃった」。 ピアノなどの鍵盤楽器で、はじめて弾く曲。 しかも、ピアノを習ったことのない人でも、ちょっと練習すればスグに弾けてしまう曲。

 

だから、「ネコふんじゃった」は、「ピアノ初心者」や「ピアノが下手」の形容として使われる。

 

そして、ピアノを習い始めると、「ネコふんじゃった」は「幼稚だ」、「低級だ」、「くだらない」と、「ちゃんとしたピアノレッスンを受けている者が弾くものではない」、というイメージを持って、弾かなくなる。

 

実は、このとき、音楽に関して大変なしくじりをしでかしてしまっているのだ。 いうなれば、スタートでけっつまづいて、片足をねん挫して、そのまま足を引きずりながら走り続けている(当の本人は、そんなこととはツユ知らずに、すばらしいフォームで走っていると思っている)、みたいな人がほとんどなのだ。 

 

だから、ピアノを始めたとたんに「黒鍵ばかりの調は難しい」なんていう、魔女(別名:ピアノ警察だ!)の呪文をかけられたもんだから、黒鍵が多いキーを異常に恐れるようになったり、ピアノを何年もつづけてから「そんじゃぁいっちょ、ジャズでもやってみるか」と軽く思い立っても、「移動ド」がないもんだから早くも12キー練習でつまづいたりするのだ。 だから、ジャズや現代音楽をどこかの宇宙人がやっている音楽みたいに思って、聴かなかったことにするいや、ほんとは、わからないからなんだよね、でも、「自分はピアノを2歳3歳の時からずーっと習ってきて、ショパンもリストも弾けるんだから、音楽がわからないはずがない!」って思っていたいから、無意識に、聴かなかったことにしちゃってるんだよね、みたいな、音楽オンチへの道をまい進していることになっているのだ。 

(ちなみに、音楽のことを知らないからこそ、ポップスというジャンルを「低俗な音楽だ」と堂々とさげすんだりもできるのだ。 音楽オンチだから(耳が悪いから)、シンプルかつ強力なメロディーの背後に、最先端の音楽理論や手法をふんだんに取り入れたハーモニーや、複雑なリズムが鳴っている、ポップスという音楽の、その洗練性や複雑さが、物理的に耳には入ってきても、脳が認識できないから、脳をす通りしてしまっているのだ。 あたかも英語で「L」と「R」が聞きとれないのと同じようにね

 

だから、私は、昔の私にもどって、「ネコふんじゃった」と仲良くなって、もう一度やりなおしたい!

 

そう、「ネコふんじゃった」のスケール(音階)で、遊ぶんだ!

 

「ネコふんじゃった」のスケール、ネコスケールの ド・レ・ミ は、

3つまとまってる黒い鍵盤だ: 

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さっそく、ネコスケールで、チャルメラをひいてみる。

〽ドレミ~レド、ドレミレドレ~

 

「ピアノでふざけるんじゃありません!」なんていう外野の声は、無視、無視! ピアノで遊んで何が悪い!? いや実は、「ピアノは真面目に練習しなければならない」と考えたその時点で、ピアノはもはやピアノではなくなってしまっているのだよ。

 〽ドレミ~レド、ドレミレドレ~

 

ところで、音楽の授業でならった「ド」は、白鍵の「ド」だった。 じゃあ、こんどは白鍵スケールのドレミで、チャルメラを弾いてみる。

〽ドレミ~レド、ドレミレドレ 

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こんどは、右手でネコスケールのドレミを、左手で白鍵スケールのドレミを、

同時に弾いてみる:

〽ドレミ~レド、ドレミレドレ~

〽ドレミ~レド、ドレミレドレ~

 

ぜんぜんハモっていない、ふしぎなサウンドがうまれる。

(このとき、私は、ストラヴィンスキーと同じことをやりはじめていたのだ。 右手と左手のキーが違う、20世紀の音楽を奏で始めていたのだ。 ピアノのレッスンでは、ショパンやリストのその先、そう、素人相手のレッスンでは決してたどり着くことのない、20世紀の音楽を演奏していたのだ!

 

こんどは、白鍵スケールのドレミと、ネコスケールのドレミを

順番に弾いてみたり

ドレミドレミミレドミレド

両手でテキトーにいろいろドレミドレミレドレミレドとかばらばらに弾いてみる。 

(このとき、私は、ドビュッシーのように、ホールトーンスケールを奏でていたのだ!)

 

ネコスケールにもどって、3つまとまりの黒鍵が、ネコスケールのドレミ。残りの、ふたつまとまった黒鍵も、ドレミと一緒にポロポロ弾いてみる。 つまり、ピアノの黒鍵だけをポロポロてきとーに弾いてみる。 すると、なんだか、和風っぽい。 この2つまとまりの黒鍵は、左から、ソとラだ。

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ネコスケールの5つの黒鍵は、ドレミ・ソラだった。

 

ここで、また、何か弾いてみよう。「炭坑節」なんかどうだろうか?

〽つきが~でたで~た~、つきが~でた~ぁヨイヨイ、

ドレミでは

〽ミソソ~ラドド~ド~レドラ~~ソラ~ラソラ

(下線の音は、上のドとレ)

イントロやエンディングの「〽チャチャラカチャンチャカ」は

〽ソミレドレ、レレ、ミレドレ、レレ、ソソミソレミドラ、ソミレドレ、レ(下線は、上の音)

 

2020年1月追記:

ネコスケールの5つの黒鍵(ドレミ・ソラ)を使って、日テレの「笑点」のテーマのメロディーも弾ける。

〽ソッソソソラソ、ッラッラ(ぱふっ!)... ソラソソソソ~ソ ララソラ~....

( ↑ めおと楽団ジキジキの、鍵盤ハーモニカで「笑点」のテーマを頭の額(ひたい)を使って弾く芸は、黒鍵が白鍵よりも飛び出している特性(おでこで黒鍵を押すことができる)を利用している。)

 

 

日本の伝統的なスケールは、ドレミ・ソラなんだ!

でも、日本には、もうひとつの伝統スケールがある。沖縄スケールだ。

沖縄スケールは、 ドミファソシド だ。

 

ネコスケールでは、ファは、ミのすぐ右隣りの白鍵。

シは、ドのすぐ左隣の白鍵になる。 これで、沖縄スケールも弾ける

〽ドッミ ファッソ シッソ ファッミ....

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そして、「炭坑節」のドレミ・ソラに、沖縄スケールにあるファとシを合わせると、

ドレミファソラシド になる。

これが、現在の西洋音楽で使われている、ダイアトニックスケールだ(が、そのルーツは西洋の歴史よりももっと古いらしい)。

 

 

確認すると、下記の画像で、ネコスケールは、レッド系の色で塗られたキーだ(白鍵スケールは、ブルー系の色)。

ネコスケールでは、ドレミ・ソラが黒鍵、ファとシが白鍵だ。

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  ↑ ネコスケールでも、白鍵スケールでも、「ミとファ」、「シとド」は、直接隣合っていて、そのほかの、たとえば「ファとソ」、「ラとシ」などは、間にひとつキーが挟まっているので、直接隣り合っていない。 「ミとファ」、「シとド」は、他の音の間柄よりも、もっと近しい間柄だ。

 

 

これで、ネコスケールがわかったので、好きな曲を弾いてみる。たとえば「世界に一つだけの花」のサビの部分とか:

 

〽ドドド~ソ ソ~ファミ レ~ミファ ミ~レ~、ドドド~ミ ミミレ~ ド~~ド(下線は、下の音)

 

なれてきたら、右手はネコスケールで、左手は白鍵スケールで、一緒に弾いてみる。

(ふたたび、ストラヴィンスキーと同じことを、やっているのだ)

 

と、ここまで遊んできましたが、あらためて「ネコふんじゃった」を弾いてみる。

 

〽ネコふんじゃった、ネコふんじゃった、....

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ここで気がついたのは、

まず右手で「ラソ」をひいてから

①  左手で「ド」を弾いて、右手で「ミとド(上のド) 」を同時に弾き、

左手が「ド~ラ~ソ~」と降りてきた後で、

② 左手のソを弾いて、右手で「ファとシ」を同時に弾いている。

 

ここを分解して、

① まず、左手でソを弾いたまま、右手でファとシを押さえ、

両手を鍵盤から離してから、あらためて、

②  左手でドをひいたまま、右手でミとドを押さえる:

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 今、私は、西洋音楽の絶対的な特徴を、この手で弾いているのだ。

「左手:ソ、右手:ファ・シ」 を同時に押さえたあと、

「右手:ド、右手:ミ・ド」 を押さえると、なんか、未解決だったものが、晴れて解決してスッキリ!一件落着! みたいに感じたら、それが、西洋音楽西洋音楽たらしめている最大の特徴なのだ。 

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西洋音楽では、シはすぐ上のドに、どんなことがあっても、絶対にたどり着きたい。 

そして、シと同時に弾いたファは、すぐ下のミに行きたい。

そうしてあげなければ、シとファが、とくにシは、踏ん切りがつかなくなって、とても可哀想なのだ。 

だから、

「左手:ソ、 右手:ファ・シ」 ときたら、西洋音楽では必ず、

「左手:ド、 右手:ミ・ド」 に落ち着いて、これにて一件落着。そしてつぎの新たな展開に進んでいくのだ。

 

この、一件落着モーションを、ケイデンスというんだ。

( ↑ 英語読みを使っています。音楽用語は英語読みで覚えたほうが、YouTubeやネットでたくさんの良質な音楽理論のコンテンツを見るのに言語障壁がないので、便利なんです。ジャズやポップスにもすんなり行けるしね。)

 

とくに、「ネコふんじゃった」のケイデンス

「左手:ソ、 右手:ファ・シ」(V7) ときたら、

「左手:ド、 右手:ミ・ド」( I ) で一件落着!

は、

水戸黄門の「助さん、格さん、こらしめてあげなさい! → チャンバラシーンでテンションマックス! → そして格さんが胸元から印籠を出して、悪代官が地面にひれ伏して一件落着!」や、

「おい、遊び人の金公はどこにいるんだ? 金さんとやらを出してもらおうじゃねぇか!と悪人たちがおシラスでお奉行様につめ寄ってテンションマックス! そのあと、大上段から北町奉行の遠山の金さんが啖呵を切りながら桜吹雪の刺青を見せて正体を明かし、これにて一件落着!」

と同じ働きをする。 

西洋クラシック音楽は、時代劇のラストシーンのように、かならず、緊張感のある展開になった後にいつもの「お決まりの結末」で終わることになっているのだ。

 

「ネコふんじゃった」という曲は、右手のモーションは「ファ・シ」を同時に弾くのと、「ミ・ド」を同時に弾く、この2種類だけだ。 

つまり、「ネコふんじゃった」という曲は、西洋音楽の最大の特徴「テンション & ゾルーション(リリース)」を、これでもか、これでもか、と繰り返している曲なのだ。 

だから、「ネコふんじゃった」ほど、西洋音楽とは何かを雄弁に、かつ、これ以上ないほど簡潔に表現している曲はないのだ!

 

(ちなみに、「ネコふんじゃった」の曲の中には、「左手:、右手:ファ・シ」の組み合わせもでてくる。このコードは V7 じゃなくて viiハーフディミニッシュ(シ・レ・ファ・ラ) が3回ひっくり返った形(インヴァージョン)だ。V7と同じく「ファ・シ」という 2つの緊張(テンション)要素があるので、V7と同じように、 I コードに向かわずにはいられない性(さが)を持っているのだ。)

 

西洋クラシック音楽において、時代劇の終盤の【大立ち回り(チャンバラ)やお白洲のシーン ⇒ はれて解決!大団円のハッピーエンド】の展開と最も似ているのが、ピアノやヴァイオリンの協奏曲のカデンツァの部分だ。ソリストの長~いソロ演奏(本来は即興演奏)の部分は、まさに、はれて解決!&大団円のハッピーエンドの結末を知りながらもハラハラドキドキで見ているチャンバラシーンや、お白洲で悪もんが悪あがきをしてお奉行様(=遊び人の金さん)に食ってかかっているシーンに相当する。つまり、最後の解決のスッキリ感を最大化すべく、テンションを引っ張れるだけ引っ張って大いに盛り上げている部分なのだ。

 

「でもさぁ、時代劇って、勧善懲悪っていう、いつもお決まりの結末で、つまんない」と思う向きもあろう。 それは、音楽において、「西洋クラシック音楽って、いつもお決まりの「ファ・シ (V7)」⇒「ミ・ド (I)」の終わり方で、古臭くて、もう飽きた!って思うのと一緒。 そう思った人たちが、西洋クラシック音楽のいつものお決まりの展開のウラをことごとくかくようなコード進行を目指したのが、モダンジャズフュージョンという音楽ジャンルだ。 20世紀の音楽をリードしたこれらの音楽ジャンルで使われるコード進行やケイデンス(終わり方)は、ポップスで多用されまくっている。 かつてのZooそして今のEXILEの定番曲「Choo Choo Train」(作曲:中西圭三)で、西洋クラシック音楽のような終わり方を探してみれば、いかにポップスが音楽の先端を走るジャンルであるかが、よくわかるだろう。 自分の大好きなポップスの歌の中に、西洋クラシック音楽的なコード進行のケイデンスを探してみるとおもしろいかもしれない。

 

実は、西洋クラシック音楽には、「ファ・シ (V7)」⇒「ミ・ド (I)」という定番の終わり方のほかに、あと2種類、違う終わり方がある。 西洋クラシック音楽も、西洋クラシック音楽なりに、お決まりの展開を避けることをしていたのだ。 そんなことを思いながら「Choo Choo Train」を聴いてみるのも楽しいかもしれない。 そして、「Choo Choo Train」を聞くと、なぜかワクワクして腰が落ち着かなくなって踊り出したくなるうえに、ずっと踊っていたくなる気持ちになるのは、一体どうしてなんだろう?といったことに思いをはせたくなるかもしれない。 しかしながら、絶対的な唯一の音楽理論は無い。 音楽理論家が二人そろえばたちまちつかみ合いのケンカが始まる、という話もあるそうだ。 理論的に何が正しくて、何が正しくないか、なんてことは、音楽においては、さしたる問題ではない。 大切なのは、楽しくて魅力的な音楽は楽しくて魅力的だ!という、ただ一点だけだ。  

(「楽しくて魅力的」が芸術の真髄だ。「楽しくて魅力的」にはいろいろな側面があるが、共通しているのは、鑑賞者の予想を超えていくことだ。 だから、芸術家はネタバレを嫌う。 人のネタをバラす行為は、芸術家つぶしだ。 その意識がない人は、どんなに芸術的な大学を卒業していても、芸術家の心を持っていない、というか、ぶっちゃけ、芸術家になる素質が無い(先生にはなれてもね)。)

 

 

話をもどして、

 

 「ネコふんじゃった」をどんどん弾きすすんでいくと、左手が右手の上を交差する部分を過ぎて、「〽ニャ~ゴ、ニャ~ゴ」のところを弾き始めたら、左手パートにネコスケールにない音がとつぜん出現した。 それは、ネコスケールのドとレの間の白鍵だ。 名前をつけよう、ドのすぐ上だから「ディ」がいいや。 すると、左手は

〽ド~ソ~ド~ソ~、ドシド「ディ」レ~。

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ところが、続く部分

〽レ~ソ~レ~ソ~、レ「ディ」レ? の次にも、新たな白鍵が登場した。

レのすぐ上だから、「リ」がいいや。 すると、左手は

〽レ~ソ~レ~ソ~、レ「ディ」レ「リ」ミ~。

 

あとは、ネコスケールのドレミファソラシドで弾けるから、最後まで弾けたのだった。

 

(ドとレのあいだの音を「ディ」、レとミの間の音を「リ」としましたが、クロマティックソルフェージュの音の呼び方を使いました。)

 

ここまできたら、「ネコふんじゃった」で使うすべての音の名前「ド「ディ」レ「リ」ミファソラシ」がわかった。 「ネコふんじゃった」をスラスラ弾けるようになったら、こんどは、白鍵スケールで、「ネコふんじゃった」を弾いてみたい。

白鍵スケールの「ディ」は、ドとレの間にある黒鍵、ネコスケールでは「ソ」に当たるキーだ。

白鍵スケールの「リ」は、レとミの間の黒鍵、ネコスケールでは「ラ」に当たるキーだ。  

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 さいしょは戸惑うけど、慣れてないだけ。 ゆっくりゆっくりやっていけば、白鍵スケールでも、「ネコふんじゃった」が弾けるようになる。 さいしょは慣れないけど、難しいことは決してない。 ていうか、難しいことなんて、この世にはないのだただ慣れていないだけなんだ。 「北半球の冬は、南半球の夏」みたいに、最初はちょっと戸惑うけど、単に慣れてないだけ。 遊んでいるうちにだんだん慣れて、フツーになってくる。 そして、白鍵キーでも「ネコふんじゃった」が弾けるようになる。

 

(つまり、はじめにネコスケールに慣れてしまうと、白鍵スケールが難しく感じてしまう。 なのに、ピアノを習ったほぼ全員が、ハ長調のキーは簡単に感じて、黒鍵ばかりのキーを難しく感じてしまう。 この原因は、さいしょに鍵盤上でスケール内の各音の間隔(メイジャーならWWHWWWH)を把握して、スケールごと相対的に動かす「遊び」をする前に、楽譜上の音符と鍵盤上の音の絶対位置をつなげる「訓練」をしてしまうからだ。 だから、実は音楽をする上で死活的に重要な、スケール内の各音のインターバルが脳内にしっかり刻み込まれる前に、譜面どおりに再生する機械的な能力ばかりに重点をおいて「訓練」されてしまうから、誰かが作った複雑な楽譜はミスなく再生演奏できるのに即興演奏がまったくできないような人たちが、大量生産されてしまっているのだ。 英語の教科書を音読できても英語が話せない人たちを大量生産してしまっているのと、まったく同じなのだ!)

 

ところで、白鍵スケールで「ネコふんじゃった」をひいていて、私はふと、気がついた。

白鍵スケールのファは、ネコスケールのシ、白鍵スケールのシは、ネコスケールのファなんだ。

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ところで、さっきの、西洋音楽西洋音楽たらしめている、ケイデンスでは、シはドに行きたがり、ファはミに行きたがるんだよね。

すると、ネコスケールで「ネコふんじゃった」を弾いた時、右手で「ファ・シ」をおさえて、そのあと右手を広げて「ミ・ド」を弾くけど、そのときに、もしネコスケールの「ファ・シ」が、白鍵スケールの「シ・ファ」に入れ替わったとしたら? 

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白鍵スケールの「シ・ファ」のそれぞれすぐ内側には、白鍵スケールの「ド・ミ」があるから、こんどは右手をすぼめて、「シ→ド」、「ファ→ミ」と弾けば、白鍵スケールに入れ替わって、これにて一件落着のケイデンスにできるのでは?

 

 そして、白鍵スケールで「ネコふんじゃった」が弾けるようになったら、こんどは、

右手でネコスケール、左手で白鍵スケールを弾き始めた。 

右手でネコスケールの「ファ・シ」を、左手で白鍵スケールの「ソ」を弾いた時

あれ?と一瞬、キツネにつままれてしまった。

それまでぜんぜんハモっていなかった右手と左手の音が、突然ハモりだしたのだ! 

それもそのはずだ。ネコスケールの「ファ・シ」は、白鍵スケールの「シ・ファ」だ。だから、

左手で白鍵スケールの「ソ」を弾いた時、右手では、白鍵スケールの「シ・ファ」を弾いたことになるのだ。

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(ここで私は、そうとは知らずに、ジャズ理論のトライトーン・サブスティテューションや、クラシック音楽理論のオグメンテッド6コードのところをウロウロしていたのだ)

 

と、ここまできたが、ネコスケールには、ドとレの間の「ディ」、レとミの間の「リ」のほかに、「ネコふんじゃった」では使わなかった、間(あいだ)の音がのこっている。 ファ・ソ・ラ・シに挟まれた3つの白鍵だ。 

 

ついでだから、この3つの白鍵にも名前をつけたい。 この3つの白鍵がでてくる適当な歌はあるだろうか?

 

「ドレミの歌」はどうだろう? だんだん、ネコスケールのドレミファソラシドと仲良くなってきたところだ。 さっそく、ネコスケールで、「ドレミの歌」を弾いてみよう。

 

〽ドはドーナツのド、 レはレモンのレ、....

〽ドーレミードミードーミー、レーミファファミレファー

 ミーファソーミソーミーソー、ファーソララソファラー

 ソードレミファソラー、 ラーレミ、?

 このミのつぎは、ファとソの間の白鍵だ。

 ファからソへ上がっていくから、ディのときとおなじように、フィと名付けよう。

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 ソードレミファソラー、 ラーレミ「フィ」ソラシー、

 シーミ「フィ」、?

 こんどは、ソとラの間の白鍵だ。

 ソからラへ上がっていくから、スィにしよう。

 ソードレミファソラー、 ラーレミ「フィ」ソラシー、

 シーミ「フィ」「スィ」ラシー シ、?

 こんどは、上のドまであがってからシに降りてきて、シとラのあいだの白鍵だ。

 シから降りてくきたから、テにしよう。

 おいおい、だったらセだろう? でも、いろいろ事情があるようだから、テと呼ぼう。

 

これで、ドレミの歌を、ネコスケールで弾ける。

〽ドーレミードミードーミー、レーミファファミレファー

 ミーファソーミソーミーソー、ファーソララソファラー

 ソードレミファソラー、 ラーレミ「フィ」ソラシー、

 シーミ「フィ」「スィ」ラシー、シ「テ」ラーファーシーソードー

 

そして、「ネコふんじゃった」で出てきた、ド・レ・ミの間(あいだ)の音「ディ」「リ」と、

「ドレミの歌」で出てきたファ・ソ・ラ・シの間(の)音「フィ」「スィ」「テ」を、ネコスケールに合わせたら、

ネコスケールのドからドにはさまれた、すべての音を弾ける。

 

ということは、ネコスケールを使ったら、鍵盤上で、どんな曲でも弾ける!

 

ついでに、白鍵スケールの「フィ」「スィ」「テ」も知っておきたい:

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白鍵スケールのフィは、ネコスケールのドだ!

白鍵スケールのスィは、ネコスケールのレ!

白鍵スケールのテは、ネコスケールのミ!

「ネコふんじゃった」にでてきた:

白鍵スケールのディは、ネコスケールのソ!

白鍵スケールのリは、ネコスケールのラ!

 

ここで、ネコスケールと、白鍵スケールを見比べてみると、

白鍵のファとシの音が入れ替わっていて、

片方の「ド・レ・ミ」は、もう片方の「フィ・スィ・テ」に、

片方の「ソ・ラ」は、もう片方の「ディ・リ」になっている。

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ネコスケールと、白鍵スケールは、鏡のこちら側と、向こう側のような関係なんだ

 

これで、ネコスケールと、白鍵スケールで、どんな曲でも弾けるんだ

 

「練習」なんて思わないで、さいしょに弾いたチャルメラみたいに、キーボードで、ネコスケール白鍵スケールで、いろいろ「遊ぶ」んだ。 人間だって、動物だって、生まれてから、はじめて何かをマスターするときは、さいしょは、遊びからはいる。 遊びながら、いちばん大切な、基本のことを、ちょっとずつマスターしていくんだ。 「練習」じゃなくて、「遊び」が大切なんだ!

 

ネコスケールと、白鍵スケールで、いろんなメロディーを弾いて遊んでいるうちに、両方のスケールの構成音と、スケールの中にある間(あいだ)の音すべてと、仲良くなってきた。

 

しかも、左右違うスケールで同時に弾いて遊んできた

 

じゃあ、こんどは、楽譜を弾いてみようか?

ブルグミュラー25練習曲のさいしょの曲「すなおな心」はどうだろう?

左手は白鍵スケール(Cメイジャー)で、右手はネコスケール弾いてみよう。

この曲は、キーがCメイジャーだから、左手は楽譜通りにひいて、

右手はネコスケールだけど、楽譜をドレミにすれば

〽ソミレドソミレド ラソファラソファ....

って、ドレミにすればかんたんに弾ける!「ネコふんじゃった」や、「ドレミの歌」でやったみたいにね。

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 そうして弾いていると、13小節目の、右手にF#がでてくるところ、そう、「すなおな心」の中で「どうなるどうなる!?」ってなるところ。 時代劇でいえば、格さんが印籠を出す直前、または遠山の金さんが桜吹雪の刺青を見せるクライマックスの直前。 この曲のテンションが最高潮になるところだ。 そこで、「ネコふんじゃった」と同じような、一瞬ハモリ現象が起きた (この小節に出てくるEbは、レとミの間なので「リ」と同じ音)。 しかも、「ネコふんじゃった」の一瞬ハモリ現象より、なんかニュアンスがあってカッコイイ!

(ここでわたしは、コンビネーション・オブ・ディミニッシュトを体験していたのだ。コンビネーション・オブ・ディミニッシュトについては、西直樹先生のこの動画を参照:)

www.youtube.com

 

 ブルグミュラーの「すなおな心」だけじゃなくて、キーがCメイジャーの他の曲の楽譜をドレミ読みすれば、ネコスケールでも、弾くことができる。 バッハインベンションの1番「〽ドレミファレミドソ~ド~シラシ~ド~」 を、両手ともネコスケールで弾いてみたり、左右でネコスケール白鍵スケールを使いわけて、弾いて遊んでみる

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こうして遊んでいるうちに、ドレミ読みでネコスケールで、弾けるようになってくる。 

つまり、「移動ド」の感覚ができてくる。

そして、先生たちが「難しい」という、黒鍵が多い、いや黒鍵が最も多いキーで、いろんな曲を、簡単に弾くことができるようになってくる。 

 

 

ネコスケールの音楽上の名前は、F#メイジャー(=Gbメイジャー)スケールだ: 

piano-music-theory.com

 

でも、ネコスケールを簡単に弾けるのに、クラシック音楽でいうところの「嬰ヘ長調(フィスドゥーア)」や「変ト長調(ゲスドゥーア)」の楽譜は弾けない。 なぜなら、楽譜はハ長調がいちばんシンプルになるような書き方なので、鏡の向こうの分身のネコスケールの表記がややこしくなってしまうからだ。

 

子どもでも、大人でも、ピアノ初心者は、「白鍵ばかりでいちばん簡単だから」という理由で、最初にCメイジャーや、黒鍵が少ないキーの曲の楽譜ばかりを練習させられる。 そのうちに、「黒鍵が多いキーは難しい」という、先入観が骨の髄までしみ込んで、黒鍵恐怖症になっていく。

 

だが、どうだろうか? ピアノを習ったことがなくても「ネコふんじゃった」を簡単に弾けるんだから、ネコスケール(F#(Gb)メイジャースケール)をドレミ読みにして、遊んで弾いていれば白鍵スケール(Cメイジャースケール)とおなじくらい簡単に覚えられる。

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しかも、黒鍵をすべて使っているネコスケール(F#(Gb)メイジャースケール)ならではの利点がある。ネコスケールをドレミ読みにすることで、日本の伝統的なヨナ抜き音階や、沖縄音階と、ダイアトニックスケールの特徴が、視覚的によくわかるし、なによりも、ネコスケールでは白鍵となる「シとファ」の特異性が際立つ。 そして、「ネコふんじゃった」を弾くことによって、ケイデンスへの理解や、音楽理論のいったんにも触れることができたのだ。

 

「ネコふんじゃった」は、もっと一緒に遊んでほしかったんだ。 いっしょに遊んで、ネコスケール(F#(Gb)メイジャースケール)と、仲良くしてほしかった。 リーディングトーンのことや、西洋音楽のキモであるケイデンスや、トライトーン・サブスティテューションなどの音楽理論や、20世紀以降の音楽で使われるポリトーナリティーや、移動ドや、音楽のいろんなことを一緒に楽しみたかった。 F#(Gb)メイジャースケールと、鏡の向こうの分身のCメイジャースケールを同時に弾いて、チャルメラを弾いて「おもしろいおもしろい!」と遊んでほしかったんだ。 バイトーナルなチャルメラを弾いてストラヴィンスキーリゲティと同じことをしたり、いろいろな曲を弾いて遊んでいるうちに、現代でも通用する音感が育ったかもしれないのだ

 

なのに、「ネコふんじゃった」をひいていると、「そんな曲を弾いてふざけているんではありません!」といって叱ったり、「ネコふんじゃったしか弾けないの?フフン」なんて、「ネコふんじゃった」をバカにする。 そのいっぽうで、「「ネコふんじゃった」は、楽譜にすると、こーんなに難しいんですよ!」と、生徒の恐怖心をあおる。 「ネコふんじゃった」にとっては、踏んだり蹴ったりだ。 「ネコふんじゃった」は、バカにされ、化け物扱いされ、泣いている。

 

ところがどうだ? そうやって、ピアノの「正しい」レッスンを何年もやって、気がついたら、シャープやフラットがおびただしくついた楽譜に恐怖心を覚えたり、2歳3歳のころから習っているのに移動ドがないもんだから、プロになってから苦労したりと、なんだかとてもトンチンカンなことになってしまっているのだ。

 

 「ネコふんじゃった」をバカにしてきた報いだ!

 

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↓ そんな報いを受けた私が、ネコスケール(F#(Gb)メイジャー)をはじめとした黒鍵ばっかりのキーと、なんとかお友達になれないかと、苦闘していた頃の記事です(いまはかなり、仲良くしてもらえるようになりましたが、これからです。←2020年7月の時点で、いろいろ工夫をしてきた結果、ずいぶん仲良しになりました)。 今から始めるんだったら、上記に書いたように、「ネコふんじゃった」と「ドレミの歌」をネコスケール(F#(Gb)メイジャー)白鍵スケール(Cメイジャー)で弾いて遊んでから、いろいろな曲をやっていくとおもいます。 どうして12キーで弾くことにこだわるかというと、私は自分の音楽語で心のままに自由に表現できることが夢だからやっているので、譜面を弾くことのほうが楽しいと感じるなら、こんなことはやらないと思います :

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私がピアノが初めての人だったら、:

まず、上記に書いた方法で、「ネコふんじゃった」+「ドレミの歌」などを使って、F#(Gb)メイジャースケール(とオルタード音)のキーボード上の位置を遊びながら親しんで、それからCメイジャースケールを覚えて、この2つのスケールがキーボード上で鏡のこちら側と向こう側のような分身の位置関係にあることを把握します。それから、B(Cb)とF、C#(Db)とGを覚えます。 そうすることで、黒鍵を全部使うキーに対する恐怖心を、最初の段階で、完全に潰しておきます。 一方で、Cメイジャーのキーの音数が少ない楽譜を使い、音符をドレミ読みして、覚えたキーのスケールで弾く遊びをしていきます。 その後は、サークル・オブ・フィフスを順行・逆行したり、トライトーン関係でペアで覚えながら、黒鍵の多いキーのスケールから、同じように慣れていく遊びをします。 単音のスケールだけではなくダイアトニックスケールから立ち上がるコードも弾いていき、それをバラシて弾いたり、いろいろなパターンで弾いたり、クロマチック音も入れて、慣れていきます。 子どもに教えることがあったら、やっぱり同じように、キーボードでたくさん遊んでもらうと思います(ピアノの先生じゃないので教えないけどね)。  でも、12(15)キーのメイジャースケールと各種マイナースケールがすべて骨の髄にしみ込むまで、かなりの年月がかかると思います。 子どもの頃にピアノのレッスンで何年もかけて少しずつ覚えていったプロのジャズピアニストの動画を見ました。 「えー!?何年もかけてだって?」と思う向きもあるかもしれませんが、音楽もなんでもそうですが、ひとつのことを脳の表層で「点ベース」で理解するのと、それを脳内で他の情報とリンク&統合させて「立体化したノウハウ」として骨の髄に染み込ませて自由自在に操れるようになるまでには、相当な年月のタイムラグがあることは、この世でかなり生きてきた人であれば察しがつきます。 とはいえ、「ネコふんじゃった」+「ドレミの歌」だけでも、12キーで弾けるようになると、ぜんぜん違うと思います。 言語をマスターするのと同じで、脳内に刻んでから自由に応用できるまでには、かなりの年月がかかると感じます。 ジャズの動画や本やサイトでは、ほとんどのプロや先生が「(スケール、モード、リックなど、なんでも)12キーで練習をするように」と言っています。 つまり、キーボード上の音の位置を各キーで完璧に把握できてはじめて、即興演奏ができるようになるんだなと思います。 記憶力が条件反射力が下り坂の中年以降に始めると、一生かかるかもしれませんが、地味でつまらないことの繰り返しをやり続けることが、長い目で見ると基本のキなんだろうなと思います。 ただ、西直樹先生も動画のひとつで言われていたと思いますが、あんまりコンをつめすぎて単調な12キー練習ばっかりやっていると精神を病むようなので、あくまでも遊び感覚で、気長に楽しんでいこうと思います。

キーボード上で12キーで音楽を弾けることと、楽譜を見て弾けることは、まったく別物だと思います。 よく、日本語を聞く・話すことは簡単だけど、日本語の文章を読むことは難しい、といわれますが、これと同じだと思います。 アダム・ニーリーさんの動画に、楽譜を信仰する風潮に一石を投じる動画があって、興味深く見ました:楽譜が読めると、耳で聞いたら複雑すぎて構成音がわからない曲も、譜面には一字一句書いてあるから、読んで再現できるし、楽譜は、自分の作った曲の内容を人に伝えるために有用な媒体だと思います。

 

クロマティックソルフェージュによる音の名前:

上記の記事では、曲中のメロディの上がり下がり(シャープ/フラット)に合わせたクロマチックな音の名前を使いました。

マイナーキーの場合は、たとえばAマイナーのスケールは、Cメイジャースケールのエオリアン「ラシドレミファソラ」をつかってシャープを足す(各種マイナースケールの違いだけがハイライトされる)または、パラレルキーのCマイナーの「ドレミ♭ファソラシド」を使って、マイナーの特徴をハイライトする(「ミ♭」(や「ラ♭」)の呼び方が違ってくる)のどちらが効果的なのか、今のところわかりません。(←2019年11月現在、メジャーキーでもマイナーキーでも、1 2 ♭3....と数字読みにする、ドレミ...読みにするの、両方ともいけると感じています)

ただ、これは、簡単なメロディや単純な作りの曲をドレミ変換するには便利ですが、曲が途中で転調するなど複雑な構成の曲になると、楽譜の全部をドレミ変換するのは現実的ではなくなってくると思うので、シンプルな音楽を使って12キーのスケールに馴染むことを目的に使うのがよいのではないかと思います。(または、クラシックのアナリシス方法のように、いちいち転調した先のキーのドレミ読みにすれば、古典的な曲であればいけます)

クロマティックソルフェージュの音の名前を、ジャズのコード(b9、#9、#11、b13)や、スケール内のモードをF#アイオニアン、F#ドリアン...のように同じ音始まりで覚える場合に使うと、けっこう混乱すると思います(が、やろうと思えばできると思います)。

慣れてくれば、転調がはいる曲も、別のキーや、左右バイトーナルにして弾けるようになりますが、 あくまでも12キーに馴染むための遊びでやることです。 1曲まるまるバイトーナルでできるようになっても、初見演奏能力と同じで、あくまでも技巧であり、楽屋ネタですから、人前で自慢げに披露するようなものではありません。 こんな機械的なものを人前でノーミスでドヤ顔して弾くだけの人と、どんなにつたなくても自分の気持ちを自分の音楽言葉で伸び伸びと表現する人の、どちらが人間的に豊かで文化的に高尚な人かは、一目瞭然です。 それに、たとえばバッハインベンションの1番はハ長調ですから、それを嬰ヘ長調で弾けば、まったく楽譜どおりに弾いていないので、クラシック音楽的には、全ての音がミスタッチになり、0点! 落第です)。 

 

「ネコふんじゃった」に使われているコード: 

 ベース音に基づくと、パッシングコードを含めて最低でも4種類の基本的なコードが聞こえるはずです。 クラシック音楽の基本的な理論上でも、インヴァージョンを除いても4種類は聞こえるはずです( 4種類をすぐに言えないピアノ/音楽の先生は、音楽の基本を知らないピアノ/音楽の先生です。 ジャズ文法を知っている人は、もっとたくさんの種類のコードが脳内で聞こえているはずです(ジャズ文法をあまり知らない私でも、7~8種類聞こえます)。 

 

この記事を書いた理由:

F#(Gb)メイジャースケールとD#(Eb)マイナースケールを覚えていたときに、「ネコふんじゃった」について、この記事に書いたようなことを思いはじめたのですが、検索しても、この記事と同じ内容・方向性の情報がネット上になかったので、今回、自分の考えをまとめるために記事として書きとどめました(V-I のプログレッションに関して書いているピアノの先生のサイトがありましたが、私にはどうしても、他のパッシングコードも聞こえてしまうので、「おかしいなぁ、どうして  Iコード と Vコード のことしか書かないのかなぁ?」と思っていました。 しかも、「V」ではなくて「V7」にしたほうが、リーディングトーンについて語れるのに、どうしてそうしないのかなぁ?とも思いました。 私だけでなく、複雑なコードを駆使したポップスをカラオケで歌って育った人たちは、IコードとVコード以外のコードが聞こえているはずです。)。

ところで、どうしてそのピアノの先生は「V7」じゃなくて「V」を使ったんでしょうか? 実は、ここに、クラシックピアノというかクラシック音楽の和声の守備範囲(の狭さというか古さ)が象徴されている、と私は思います。 子どものころ、純粋なクラシックピアノを習ったとき、ドレミファソラシドの「V度」の和音に「7」がついた「V7 = ソ・シ・レ・ファ」の和音(Gdom7)は教わったと思いますが、他の度はどうだったでしょうか? ドレミファソラシドの「I 度」に「7」がついた和音は教わらなかったんじゃないかと思います。 そうなんです! クラシック音楽の世界では、「I 7 = ド・ミ・ソ・シ」つまり Cmaj7 は存在しないのです、いや、存在してはいかんのだ! この記事の本文(上記)にクドイほど書いてある内容が、その理由です。 これが20世紀以降の和声になると「ド・ミ・ソ・シ」は有り!大有りですっていうかこれが基本です。 そのうえ、「ド・ミ・ソ・シ・上のレ」も大有り、「ド・ミ・ソ・シ・上のレ・上のフィ」なんてもうめくるめくように有り!です(もっとも、音が増えてゴチャゴチャしてくるのでいっぺんに全部の音を鳴らすことはなくなっていきます)。 クラシック音楽の「I 度」の和音(ド・ミ・ソ)の上に乗っかっていったこれらの音たちが、西洋音楽の歴史的進化を具体的に表しているのです。  クラシックピアノだけを純粋に習った人がポップスを即興で弾くとなんだかダサい音楽になってしまう和声的な理由が、ここにあるのです(これにリズムの進化(してないこと)が加わって、ますますダサく聞こえてしまうのです)。

 

以上のように、私のような音楽のドシロウトでも、独学で、この記事に書いた程度の内容は思いつくことができます。 音楽でも、なんでも、自分で試行錯誤しながらやっていかなければ、誰にどんなにお金を払って習っても、なんにも残らないんです。

 

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