ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノ演奏の身体操作&メンタル面で参考になると思うサイト(20190309アップデート)

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過去にアップデートを続けてきた記事の、2019年3月9日現在の最新版です。

2020年9月にアップデートした最新版はこちら:

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ピアノや楽器演奏を超越した、普段の生活~人生そのものの質を高めるために参考になるサイトや本を、自分のためにリストアップしてまとめました。

 

身体と心は切り離せないので、フィジカル&メンタルの両方の著作物をとり混ぜてリストアップしています。

 

リストアップの順序は:

① 日本の古典的名著 日本人(日本国籍を持っている人で、心が日本人の人(←人種・出自を問わず))だったら、是非読んでおきたい、戦後(20世紀後半)の日本の古典的名著

② 現代の日本の名著 主にプロ向けの本

③ 現代の著作物&サイト(物心ついた時から身体が「固まっている」運動オンチ(私)が、最も有益と感じるものから順にリストアップしています。 生まれながらのダンサーやスポーツが得意な人にとっては、リストの後半のほうが有益になるのではないかと想像します)

④ メンタルトレーニング関係の本 

 

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①★日本の古典としてぜひ読んでおきたい本:

 

★ 竹内敏晴 『ことばが劈(ひら)かれるとき』『思想する「からだ」』

「表現すること」の本質を鋭く突く。 「体育座り」に象徴される、戦後の子ども教育の罪が明らかになる著作。 音楽教育やピアノ教育も同じだ。 「子どものため」と唱えながら、実際には子どもの才能の芽をつむ教育が行われてきたことに、絶望と無力感を覚える(が、社会が機能するために、社会の歯車となって規格化された仕事を忠実に遂行する労働人口を確保&維持するためには仕方のないことではある)。 

子どもの頃に聴覚に障害があった著者が、聴覚の回復のために習ったピアノが役に立たなかったという記述は、とても興味深い(楽譜という視覚情報を鍵盤を押して聴覚情報に変換する行為は、聴覚の訓練にはならないということだ)。 

昭和のころ、「引っ込み思案な子だったから、親が自分を子ども劇団に入れたら、積極的な性格になって、そのまま役者になりました」というような俳優さんたちがけっこういたのは、この竹内氏の影響だったのかなと思う。

 

★ 橋本敬三 『からだの設計にミスはない』『誰にもわかる操体法の医学』『万病を治せる妙療法』

日本に古くからある民間療法(整体や鍼灸)に基づいた、「気持ちよく」を第一にした施術。 私の身体の左右のゆがみの症状が、ドンピシャリ説明されていた! 「鍋を頭にかぶったよう」な頭痛のことも! もっとはやくこの本に出会いたかったよ! 

右利きの人で、ピアノで左手が動かしづらい人は、読むと原因がわかると思う(身体の左右の歪みの説明は、まさにその通りだと思った)。 

明治以降、「進んだもの」として日本で崇められた西洋医学では治らなかった患者たちが、東洋医学の民間療法で治っていくのは何故なのか。 

医学と同じことが、音楽でも言えるのではないか。「劣ったもの」とみなされる日本の音曲(おんぎょく)の、西洋音楽にはない複雑性を理解&称賛できるに足る文化と洗練性を、私たちは失ってしまったのではないか。 読みながら、そういう気持ちになった。  

Webテキスト操体のサイトを見ると、操体法の概要がわかる(橋本敬三氏が考案した操体法のサイト人間はなにをするにも60点でよい、という考えはとても深い(←素人は1000点中600点、プロは1000点中960点、ということでしょう(TOEICとおなじだね...)。

 

★ 野口三千三 『原初生命体としての人間』 『野口体操・からだに貞く』 『野口体操・おもさに貞く』

身体操作のヴィジョナリ―。 身体の概念や、言葉の呪詛的な力(言霊)についての造詣に敬服する。 日本ならではの深淵さや繊細さの慧眼(けいがん)にあふれた本なので、この人の本を、英語などの他の言語に翻訳するのは、不可能だろう。

「芸大にサーカス学科やチンドン学科を作るべき」と唱えた野口三千三先生は、芸術の本質をご存知だった。 それに耳を貸さなかった文化機関に、文化はあるのか? つまりは、ハコではなく、コンテンツ(人間)なのだ。 坂本龍一は、さいしょから坂本龍一だったわけで、芸大に入った人がみんな坂本龍一のようになるわけではないのだ。

「芸術家」を名乗る日本人なら、「日本には、アメノウズメという芸術の開祖がいる」ことを肝に銘じて、芸術に一命を賭して欲しい(アメノウズメと同じ覚悟を持って、自分の存在を、恥ずかしくて隠しておきたい部分も含めて、何かのために放り投げられないんだったら、本物の芸術家であるとは言えない。芸術とは、かくも厳しく激しく、人の命を削るものなのだ。 西洋であれば、この世で道化(fool)として生きる覚悟があるか?ということだ)。

 

上記の三人(竹内敏晴、橋本敬三野口三千三)は、「戦後日本の身体操作・表現の三大ヴィジョナリ―」だと思う。 ただし、この人たちがヴィジョナリ―だったわけで、彼らの死後、それらを現在受け継いで教えている人たちがヴィジョナリ―であるかはわからない。 むしろ、精神も含めてまるまるそのまんま教えている人たちは、少ないと思われる。 なぜなら、ヴィジョナリ―とは、先人のノウハウや知見を自分のものにしたうえで、新たに自分のオリジナルな知見(付加価値)を加えて、同世代の社会のニーズに合って、しかも先進性のあるコンテンツを、社会に対して提示した人だからだ。 

この三人は、それぞれ、身体的な障害や、明治以降の「負け組(幕府側)」のバックグラウンドや、経済的困窮という生来のハンデを背負いながら、生きるために脳と身体を120%回転し、戦前・戦中・戦後の日本を必死に生き、深く傷つき、一生懸命考えて苦闘した人たちだと思う。 だからこそ、ヴィジョナリ―になったのだ(苦労知らずの坊ちゃん嬢ちゃんには、わかるまい)。 この人たちの著作物は、日本の財産だ。

 

  ★ 森田正馬 『神経質の本体と療法』  メンタルが身体に及ぼす影響について参考になった。楽器演奏・声楽関係の患者さんの例もちょこっと出ていた。

 

★ 池見酉次郎 『心療内科  同じく。メンタルが身体に及ぼす影響について参考になった。楽器演奏・声楽関係の患者さんの例もちょこっと出ていた。

 

★ 植芝盛平  

合気道の開祖。 まだ読んでいないが、この人もヴィジョナリ―だろう。 私がこの人の語録の本を読んだとしても、理解できないだろう。 理解できる人は、100人に0.5人もいないのではなかろうか。 そういう場合は、佐々木合気道研究所さんのサイトが参考になる(理念や原理にいちいち納得する)。

合気道がいまも組織的に存続しているのは、ヴィジョナリ―な開祖の死後に、弟子たちの中に、ある程度ヴィジョナリ―な人や優秀な実務家が何人かいて、開祖の後を上手に引き継いだからだと思う。 企業や文化や宗教を問わず、ヴィジョナリ―な創始者の死後、それをどう引き継いでいくかが、存続の鍵だ。 じゃないと、次々と現れる新しいヴィジョナリ―たちのコンテンツと競合できなくっていく。

 

ここまで、「ヴィジョナリ―」っていう言葉を多用しすぎて自分でも笑えるが、創始者とか開祖とかいう人にはヴィジョナリ―な人が多いから、仕方がないというか当然といえます。

 

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②★現代の日本の名著:

白井一幸『メンタル・コーチング』

北海道日本ハムファイターズのコーチとして、2006年のチーム優勝に貢献した白井氏の、選手の実力をひきだすコーチング方法(←「ティーチング」ではないところが重要!)。 自らの選手時代のスランプとそこからの復活も語る。 

私の思い出&所感: 2006年の日本シリーズ。 札幌ドームの大歓声の応援のなかで伸び伸びと躍動する日ハム選手たちとは対照的に、表情はこわばり、動作も鈍くなり、ほとんど固まってしまった中日ナイン。 「実力は上」といわれていた中日の選手たちが、石のように固まってしまい、実力を出せずに敗れてしまったのをテレビで見ながら、私は、メンタルの恐ろしさを感じていた。 プロ野球の一軍のレギュラー選手は、どのチームでも、実力はさほど変わらないはずだ。 では、日ハムの選手たちが、その実力を如何なく発揮できたのは何故なのか?  白井氏の本は、それを可能にしたコーチングを説明する。  

 

白石豊・脇本幸一 『スポーツ選手のための心身調律プログラム』

プロのスポーツ選手のための本。

白石豊氏は、白井一幸氏(上記)が選手時代に陥ったスランプの脱出を助けたトレーナー。 この本は、国内外のメンタルトレーニングの代表的な書籍も紹介しているので、参考になった。 白石氏の著述部分(メンタル編)は、膨大な練習によって完璧なパフォーマンスを実現した一流のプロ選手が、大舞台で実力を出すためのメンタル強化のノウハウを紹介していて、プロと比べたら練習量が実質ゼロのお気楽なアマチュアには猫に小判だと思う(プロ級の練習量をこなしてこそ、役に立つ内容だ)が、読むだけでも参考になる。 

脇本氏によるフィジカル編も、選手生命を賭けたプロ選手のための内容だが、骨盤~背骨が人間の動作でいかに大切かや、患部の周辺部のケアが患部の治癒を促すこと、心理ストレス面がスポーツリハビリに及ぼす影響などを論じていて、とても興味深い。

英語の「educate」の本来の意味の説明もあったと思う。 英語圏のことは知らないが、少なくとも戦後の日本の「教育」が、「education」とは似ても似つかないものだったことを、思い知らされた。 身体が固まってしまった子どもたちは、その犠牲者であり、彼らを救済する具体的な策は、事実上まだ無い(「ゆる体操」ぐらいではないか)。

 

  

③★現代の著作物&サイト:

 『物心ついた時から身体が「固まっている」運動オンチ(私)が、最も有益と感じるものから順にリストアップしています。 生まれながらのダンサーやスポーツが得意な人にとっては、リストの後半のほうが有益になるのではないかと想像します

 

高岡英夫  『「ゆるめる」身体学』

身体がガチガチに「固まっている」人は、この人の「ゆる体操」ぐらいしか、とりつくしまがないだろう、と思うので、筆頭に挙げます(他には、橋本敬三氏(上記)の「操体法」ぐらいか)。

上記の「三大ヴィジョナリ―(竹内敏晴、橋本敬三野口三千三)」や、伊藤昇(下記)らが提唱した、20世紀の日本の身体操作の思想とノウハウを統合して、現代社会のニーズに合うように再構成し、自らのオリジナルな内容も加えて、「ゆる体操」などを提唱している、とても頭の良い人だと思う。 

野口三千三に代表されるように、従来の身体操作法は、ダンサーや役者などのプロの表現者や武道家といった、身体能力がとても高い、一握りの人たちのためのものだった。

これに対して、高岡英夫は、年齢や身体能力や柔軟性に関係なく、誰でも楽しく続けられる体操法を提唱した。 さらにこれを、収益力の高い「検定ビジネスモデル」によって提供している点が、この人の頭の良いところだ。

「身体が固い」という「断定的な表現」ではなく、「身体が(今は)固まっている(けど、ほんとうは柔らかいんだよ)」と表現したことも大きい。 言葉の呪詛的なパワーを知っている。

「身体が固い子どもは、小さい頃から何らかの原因で身体を固め続けて、固まってしまっていて、緩めることも締めることもできない」という考察は、極めて的を得ている。 「肩の力を抜いて!」と何度言われても、できないのだ。 そのことが解からない先生やインストラクターが多すぎる。 だから、最も身体をゆるめる必要がある人たちは、いつまでたってもゆるむことができなくて、グループレッスンなどで絶望し落ちこぼれて、ますます足が遠のいてしまうのだ。

高岡英夫の「ゆる体操」は、そういった身体が固まっている人や、高齢者といった、今まで無視されていた層の大きな潜在需要を掘り起こした。 

言葉を「言霊」と認識して、身体の動きにリンクさせる方法は、野口三千三がやっていたことだが、野口三千三があまりにもヴィジョナリ―すぎて、一般的ではなかったし、ヴィジョナリ―の死後、その内容がどれだけ伝わっているか疑わしい。 高岡英夫は、ヴィジョナリ―たちのコンセプトを、「納得できたような気がする」ような気持ちになるような理論的なものを使って説明して、ブルーオーシャン向けに広く訴求しつつ「検定ビジネス」フォーマットで収益を上げている点が、まことに巧妙秀逸だ。 が、ペテンとは言えない。 もしこれをペテンと呼ぶんだったら、ピアノ(検定)や音大や華道や絵画などの芸術だって、広告業界だって出版業界だって健康産業だって、ぶっちゃけ、「〇〇症候群」や「〇〇障害」を次々と量産する医療製薬業界だって、とどのつまり宗教だって、何でもかんでもペテンになってしまう。 

ちなみに高岡英夫氏は自らを「科学者」と呼んでいるが、この肩書きも間違ってはいない。 東大文学部→東大大学院卒業ということなら、「人文科学」の学者と自称することに差しさわりはないだろう。 人文科学には、哲学も文学も音楽学も美術学も含まれる。 つまり、物理学や化学などの自然科学の「科学者」ではない。 ここにも、この人の言語やレトリック使いの巧妙さが見て取れる。 もっとも、人文科学者だったら、言葉やレトリックの駆使はお手のものだろう(理系アタマの人は、この人の著作を読むと散文的に感じるかもしれないし、理論のためのソリッドな根拠づけについて「?」と感じるかもしれない。 個人的には、この人はとても高度なレトリックの技を持っていると思う。 人文科学者の真骨頂だ)。

背景の根拠づけや事業フォーマットがどうであれ、「心を緩めて身体が揺れ動いていれば、おおよその身体の不調は軽減される」というのは、この世の物理学にのっとった真実だと思う。 でも、それをそのまま商品として売るのは、ミもフタも無いから、いろんな理論的なもので根拠づけして、バリュー(有り難み)を持たせなければビジネスにならない。 それは社会が求めていることだから仕方がない、というか、しごく当然のことだ。 「食べなければ痩せる」ではミもフタも無いし、ビジネスにならないから、「パイナップルダイエット」や「ロウカーブダイエット」などが次々と世に出され、その度に人々が飛びついてゆくことで、この世の経済は回っているのだから。 高岡英夫氏は優秀な事業家だと思うし、そのことについて批判を受ける理由はないと思う。

 

吉田篤司 『首からユルめる!』

ゆる体操」や「操体法」のほかに、身体がガチガチな人でもどうにかやれるし、効果もあると感じたので、二番目に挙げます。

西洋のアレキサンダーテクニック(AT)とクラニオセイクラルセラピーを統合した身体操作法が、地味ながらジワジワ効いてくる。 統合したところが、この人のオリジナルな点だろう。 いろいろな体操法をやりながら、この人のサイトの内容を試しにやってみると、突破口になったので、個人的には合っていると思う。 オカルト的な用語にカモフラージュされて、けっこう真理があると思う。とくに、股関節を動かす方法や、古代エジプト壁画に見る支配階級と奴隷階級の姿勢の違いなどは、インスピレーションになった。

身体がやわからい、固まっている、運動神経があるなしに関係なく効果があると思う。

ATなどの西洋発祥のボディワークは、ともすれば、もったいぶって権威的に教える人もけっこういるかと思うが、吉田氏の文章には、そういうところが全然ないどころか、ところどころオカルトチックで良い意味であやし~雰囲気すら醸し出されているところが、かえってホンモノ感があって好印象だ。 

(西洋では伝統的に、ATもフェルデンクライスもシアツもオステオパシーも、ニューエイジ的なオルタナティブメディスンにカテゴライズされるから、ある程度の「あやし~」感じは、かえってホンモノチックだ。 逆にそういう要素を隠して、おちょぼ口(ぐち)で、何も知らない演奏家向けに訴求・誘導するほうが、ある意味アクドいよ。)

 

 ☆あべこべ体操(北洞誠一さん)の動画やサイト。

フェルデンクライスも、身体の柔軟性や身体能力にあまり関係なくできて、効果が感じられるものだと思う。 フェルデンクライスさんは柔道をやっていたので、個人的にはATよりも興味がある。 

「あべこべ体操」は、フェルデンクライスなどをベースにした体操。 前身のニューストレッチプログラムの動画も効果があると思う。 誰でも無理なくできる体操を提唱している。

 

ここまでは、身体が固まっていて運動オンチの人にとって、取り組みやすい人たちだと思います。

 

また、個人的には、下記の方たちのサイトから勇気をもらいました:

孤高のヨギ―さんの柔軟性に関する記事、そして、

MIYUのストレッチ奮戦記:孤高のヨギ―さんの記事にリンクがある、クラシックバレエを習っている方のサイト

大和部屋(やまとべや)さんのサイト(水泳をやっている方で、腰痛改善のために股関節の柔軟性を上げた方)

 ↑上記の◆の方たちは、リアルな体験記を掲載されている。インストラクターやボディワーク施術者や医師の考えを鵜のみにせず、自分の頭でいろいろ考えて突破口を開いた人たちだと思う。とくに水泳の方は、八方ふさがりのような状況で、どんなに大変だったろうと思う。

 

上記の◆の方たちの体験記にインスパイアされ、最近では、とくに操体法(&新正体法)・ゆる体操・『首からユルめる!』・フェルデンクライス系の体操から、毎日できる範囲でやっています。 操体や整体で歪みを取りながら、全体的にゆるめて、固くなっている部分をある意味で「崩落」させて、重力でだら~んとさせる戦略です。 身体をほぐしはじめて1年半。 ちょっとずつですが、左の股関節の動きが良くなってきています。  

 

ここから先は、私が身体が柔軟で身体能力が高ければ、ぜひやってみたいと思う人たちです:

  

★伊藤昇 スーパーボディを読む』 

武道系やスポーツ系ブログの人の多くが勧めている。 例にとり上げられた人たちの顔ぶれがすごいが、マイケル・ジョーダンタイガー・ウッズ坂東玉三郎が主な考察の対象だ。 沖ヨガや野口整体の影響を受けているらしい。 若くして他界されたのが残念だ。 『スーパーボディを読む』と同じフォーマットを使用して、高岡英夫氏が『究極の身体』を書いたと思われる。

   

オーガニックマイムJIDAIさんサイト(←4WD車のたとえは、私が直感したパワートレインの動きを強く裏付けてくた。この方も肝心かなめの動きを知っている人だと思う。) ダンサーなどの身体表現者は、とくに参考になると感じる。

 

日野武道研究所さんのサイト(←この方も肝心かなめの動きを知っていると思う。もとフリージャズのドラマーの方で、ダンサーやスポーツ選手など広く教えている) 武道・ダンスなどの身体表現・介護などのワークショップをされている。

 

★こんにゃく体操 (←もともと芸大のオペラの生徒たち向けの体操らしい。俳優やダンサーや歌手などの身体表現のプロ向けの印象があるが、素人も参加できるようだ。)

 

★八田永子さんのサイト(←体操・バレエなど、指導者も含めて指導。ピアノでもスポーツでも、この方のような身体操作のプロにダブルで習わないといけないんだろうなぁと思った(つまり、その分野の指導者は、人間の基本である身体操作のノウハウを知らないということが、多くの悲劇を生むモトになっていると思う。))

 

★体玄塾さんのサイト(←同上。バレエでもちゃんと立てない人がいる、つまり、バレエ教室では立ち方をちゃんと指導されないんだと知った。)

  

チンパンのブログ(←読みものとして面白い。体操も紹介されていて、身体が柔らかければやってみると面白そうだな~と思いながら読んでいます)

 

きだみのる鍼灸整骨院さんのサイト(←武道出身の方。ストリートダンスの身体操作を指導。一般の人向けのワークショップもある。武道系出身の方は身体操作への意識が鋭いと思う)

 

 

上記の方々の注目ポイントや表現や言葉はそれぞれだが、根本的には同じことを言っていると思う(おなじヒトの身体のことなので)。

  

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④♡メンタルトレーニング、メンタル関係の書籍:

 

♡ J.E.サーノ: 「サーノ博士のヒーリング・バックペイン」 「心はなぜ腰痛を選ぶのか」 メンタルが身体に及ぼす影響について参考になったた。楽器演奏・声楽関係の患者さんの例もちょこっと出ていた。

 

♡ Kenny Werner  Effortless Mastery - Liberating the Master Musician Within 

著者はジャズピアニスト。 膨大な練習量をこなし、普段はミスタッチもしないようなプロが、ここ一番でどうして崩れてしまったり、ひどい場合は、メンタルを蝕まれてピアノ自体が弾けなくなってしまうのか。 プロの音楽家がメンタルの重圧に対処するための本。 メンタルトレーニングで「ゾーン」等と呼ばれている「三昧(ざんまい)」の境地を、著者は「space」と呼んでいる。

私の所感: アマチュアは、この本に書いてあることを実行しても、間違えるところは間違える。だって、基本的にアマチュアは、絶対的に練習不足だから。 とはいえ、アマチュアでも、読むと参考になると思う。

 

♡ William Westney  The Perfect Wrong Note - Learning to Trust Your Musical Self

日本語訳は『ミスタッチを恐れるな』だが、原文の英語では、そのような上から目線で脅しつけるような題名ではない。 だから私は英語の原書で読んだ。 クラシックピアノをやる人向けだが、メンタル面で参考になる内容も多い。 この本で引用されていた、アマチュアのチェロ奏者の方のコメントは、アマチュアにとって、とても参考になる(この、チェロ奏者の方の本も出版されているが名前を忘れました。日本語訳も出ていると思う)。

 

♡ Louise Hay You Can Heal Your Life,  The Power Is Within You

アメリカの自己啓発で最も名の知られた一人。 日本語訳も出ていると思う。 自己重要感が低くて何をするにも自信がない人にとって、励みになる著作が多い。  

平易で、強いメッセージ力がある英語の文章や語り口が、英語コミュニケーション力のためにも、役立つと思う。 日本語でも英語でも、シンプルでわかりやすい言葉づかいが、最も強力に人に伝わるのだ。

私はこの人のオーディオブックを何冊か持っています。本人が朗読していて、言葉に力があります。 オーディオブックと、英語の原書と、日本語訳の本を入手して、聞いたり読み比べたり何度も音読やシャドウイングをしているうちに、英語が上達すると同時にポジティブな心持ちになっていって、一石二鳥ではないかと、私は思います。

 

以下は、①の日本の古典の項目で既に記載した方々です:

♡★ 森田正馬 『神経質の本体と療法』  メンタルが身体に及ぼす影響について参考になった。楽器演奏・声楽関係の患者さんの例もちょこっと出ていた。

 

♡★ 池見酉次郎 『心療内科  同じく。メンタルが身体に及ぼす影響について参考になった。楽器演奏・声楽関係の患者さんの例もちょこっと出ていた。

 

 

以上です。 

私は、もはやピアノがどうこうよりも、将来、人工股関節を入れなければならないのではないか? という大きな危惧のもと、少しでも身体をほぐそうと、一年半やってきました。

現時点で、だいぶ身体の左右差がなくなってきたと感じています。

 

この世で生きていくことは、人間を固めていくことだと思います。 大多数の人たちは、幼い時から、自由な個性や才能の芽を摘まれて、社会の規格の型にはまるように訓練&教育されていきます。 じゃないと、職場で協調して仕事ができないからです。 仕事ができなければ、お金を稼げませんから、生きていけません。 継ぐ稼業も資産もなければ、自分がコマネズミのように働きまくってお金を稼ぐしかありません。 だからほとんどの人たちが、自分の夢を殺して、息を止めて(「生きる」を止めて)、毎日毎日、決まった仕事をする歯車として働いています。 フニャフニャの歯車では、仕事になりません。 心も身体も固めて、業務遂行のために緊張状態を保持して、みんなカチカチの歯車になって、それが互いにかみ合いながら、おおきな社会をまわしているのです。 歯車ひとつひとつは、社会がまわっていくために、とてもとても重要なのです。 だから、そのように生きてきて、身体がコチコチに固まってしまっても、恥じることはありません。 むしろ、誇りに思うべきです。 身体が固まってしまったのと引き換えに、良いこともたくさんあったはずです。 ただ、歳をとっていくと、医療費がかさんでゆくし、健康を損なうと、やりたいこともできなくなって、幸せが遠のきますから、そのためにも、できる範囲で身体をほぐしていったほうがよいと感じています。  

 

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以下は、ほぼ今までの記事のままです:

 

よく言われることですが、「できない、できない」と思っている限り、または、「あなたは、できない」という内容の言霊を受け続けている限りは、いくら必死に練習しても、できるようにならないと思います。まずは、否定的な言霊の発生源を徹底的に排除して、「できる」という心理になる環境を整備することです。

 

それから、やっぱりよく言われることですが、何についても、自分の頭で考えながら練習することが、とても大切だと思います(ダルビッシュ投手もそう言っていた)。ある方法で練習して成果が出なかったら、自分の内部感覚を研ぎ澄ませて、いろいろな本やサイトを読んだり、興味のある身体操作のレッスンに通ったりして、それらの知識を自分にカスタマイズするべく、いろいろ自分で考えて試行錯誤してみることが大切だと感じます。

 

 身体操作については、まずは生きていくための肝心かなめの動きを自分で会得しようと、いろいろ試行錯誤することによって、楽器の演奏のための身体的な技術も大きく向上すると、実感しています。 なぜなら、手先の動きだけ一生けんめい矯正しても、モトがひん曲がっていれば、モトからの力のほうが圧倒的に大きいので、ねじったゴムひもを離したときのように、すぐに戻ってしまうと思うからです。

 

それから、最も基本的なことですが、幸せに、肯定的に生きていけるように心がけることが、姿勢のためにも、身体操作のためにも、趣味のためにも、そして何より人生のために、とても大切だと思います。

 

 

以下は、2018年3月24日にアップした元の記事です:

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楽器の演奏というか、それ以前の、生きるための自然な身体の動かし方を模索していますが、

 

生きるための基本的な姿勢や動きができていることが、楽器演奏でもスポーツでもダンスでも、すべての基本なんだと実感しています。

 

たとえばピアノで、いわゆる「指がよく回り」、音量や音色の調節ができる人は、スポーツやダンスもある程度できて、しかも声が良いはずです(肩まわりが柔らかい証拠)。だって、運動オンチの人がピアノを弾く時だけ身体が素晴らしく動くはずがないからです。体格や指の長さのない小柄な人はなおさら、運動神経で身体的なハンデを補わなければなりません

(↑ただし、「メカニカルに上手い」ことと、聴く人の心を芸術的に感動させる演奏の間に、相関関係は全くないと思います (技術的に「感心」させることはできると思います)。)

 

身体が硬いと股関節も硬いと思うので、まずはそれを柔軟にしないと、楽器はおろか、何も始まらないと感じています。

 

 股関節が硬かったり、左右の股関節の開きが具合が全然違う場合は、楽器の演奏以前の問題として、まずは健康のために股関節を柔らかくするのが先決だと思います。それによって、動きの質が良くなり、生活の質も良くなって、それに比例して楽器でもダンスでも、その人の身体能力に見合って楽しくできるようになると信じています。

 

身体が硬くて運動オンチの人は、だいたい真っ直ぐ立つことも座ることもできないので、身体の芯の動きも悪く、末端の動きや見た目の形だけ細かく指導されてもうまくいかないと思います(逆に、先生は身体が柔らかいから、生徒ができない理由が想像できないんでしょう)。でも、いろいろなサイトを見ると、プロのミュージシャンでも、身体が柔軟なスポーツ選手やダンサーでも、ヒト本来の身体の動きができている人は少ないようです。

 

おそらく、日本の武道を下敷きにした身体操作による楽器の演奏法が、日本以外の場所で開発されて世界的に広まる時が、いつか来るんじゃないかと思います。そして、『弓と禅』など禅を下敷きにしたメンタルトレーニングを本家本元の日本人が有難がって逆輸入しているのと同じような情けない現象が、楽器演奏の分野でも起きるのではないかと感じます。この予感が是非とも外れてほしいと、強く思います。

 

(こんなブログでも、どこかで見ている方がいるみたいで、ほかのピアノブログでこの一連の記事にインスパイアされたような記事のタイトルを見かけるなぁと思ったことがありました(内容がかぶらないように、たまに見ていました)。それから、たとえば絵画などの趣味ではそんなことはないように思うのですが、クラシックピアノをやっている人で、練習に悲壮感がただよっている人が多い気がするんですが、どうしてなんでしょうね? 何がそうさせるんでしょうか?それとも、そういう傾向のある人がやりがちなんでしょうか(悩んでいる状態が好きな人もいますからね)? 「クラシックピアノは肉体系のスポーツだ」と思うことで突破口が開ける(または、いい意味であきらめがつく)ような気がしますし、楽譜の正確な再現ばかりを気にするのではなくて、その曲について音楽理論的な解釈を楽しんでみるとか、いろいろな楽しみ方があると思います。そうすれば、頭脳系の活動も入ってきます(ちなみに、即興演奏で音楽理論が必要なジャズや、理論に加えて音色合成などが必要なポップスは、頭脳系の要素が大いに入っています)。 どんな趣味でも、楽しくやっていけるといいですね。)

 

 

関連記事:

2018年8月18日にアップした記事:

身体操作&メンタル面で参考になると思うサイト(20180818アップデート) - おんがくの彼岸(ひがん)

2018年3月24日にアップした記事:

身体操作で参考になると思うサイト - おんがくの彼岸(ひがん)

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