おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

ピアノを弾くと背中が痛い_003_指すべりと身体の左右差

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最近こんな記事を書きましたが:

tokyotoad1.hatenablog.com

 tokyotoad1.hatenablog.com

 

その記事に書いた後半のとりとめもない部分は、こっちの記事に記載します(記事の末尾)。

 

それとは別件ですが、「中高年のピアノ演奏における指すべりの原因は、加齢による手の乾燥によるものなのか?」について、いま現在の私の考えを記載します:

 

以前から、歳をとるにつれて手が乾燥して、そのせいで、ピアノを弾くと指がスベるなぁと思っていたのですが、

 

指すべりのメインの原因は、「手の乾燥」よりも、「老化による筋力の低下 + 長年の生活による身体の捻じれと歪み ⇒ 身体の固形化 ⇒ 身体機能の衰え(フレイル)」のほうだと思いはじめました。

 

「手の乾燥」も、指すべりを起こすと思いますが、以前、「手の乾燥による指すべり」についてネットで調べたところ、「汗による指すべり」の情報は多いのに、「手の乾燥による指すべり」については、情報が極端に乏しいと感じました。

 

この理由は、もともと、ピアノを習う人たちが、主に子どもや若い人たちがだったからなのではないか、と勘繰っています。 肌の乾燥は老化現象。  中高年がピアノを気軽に始めるようになった今、今後、「手の乾燥による指すべり」の問題が脚光を浴びるようになると、私は予言します。

 

でも、指がキーの芯をジャストミートすれば、指先が多少乾燥していても、すべらないはずです。

 

だから、「手の乾燥」以前の問題として、指すべりのおおもとの原因は、「老化による筋力の低下 + 長年の生活による身体の捻じれと歪み ⇒ 身体の固形化 ⇒ 身体機能の衰え(フレイル)」ではないか? と勘繰るようになりました。

歳をとるにつれて、ふだんの生活でも、文字を書くとますます下手だし、よく物を落っことすようになったりと、全般的に手先が不器用になってきたなぁ、と感じているからです。

そう、今ハヤリの、フレイルです!

老化が進む中高年は、普段の生活がフレイルなんですから、ピアノを弾いてもフレイルです!  

 

老化によって手先がフレイルになり、キーをジャストミートできなくなったうえに、手も乾燥するもんだから、「指先が乾燥して指すべりする」と考えて、ハンドローションを塗りたくなるのかもしれません。

 

加えて、個人的には、右手よりも左手の指が鍵盤でスベりやすいと感じます。

これは、身体の左右差による捻じれと歪みによるものだと思います。

私は右利きで、「仕事をする右手」よりも「右手の運動を支える左手」のほうが、もともと不器用です。

そして、ある時、左手の指が、あたかも鍵盤上でつっかえ棒のように踏ん張っているように、感じたのです。

これは、普段の生活で、右手の運動量(回転運動)が多いために、運動による自重が常に身体の左斜め前方にかかり、そのために、身体の左半分に、右手の回転運動を支える支点や支軸ができていて、左半身はいつもその重みを支えるべく、地面や接地点で踏ん張っているのではないか?

鍵盤上では、左手の指先は、身体の自重が左前方に泳いでしまうのを支えようと踏ん張っているのではないか? だから、

弾いているように思っていても、実は、弾いていない。

実際は、鍵盤を押し返して、つっかえ棒のように踏ん張っている。

これが、左手の実際の動きなのではないか。

ピアノを弾くと、右手と左手の動きが違うと感じたり、レッスンで「左手の音のほうが大きい」と言われる原因は、これではないか?

 

野球のピッチャーでもバッターでも、サッカーでもテニスでも、利き腕や利き足は大きな回転運動を行います。 利き腕じゃない方の足は、その運動による自重を受け止めて、身体がブレないように、支点となって、地面を思いっきり踏ん張ります。

 

それと同じことが、ピアノでも起きていると思います。

だから、左手の音が大きくなるんだと思います! 左前方に泳いでしまう自重を支えようと、左手の指先が鍵盤の上で踏ん張るから。

 

ここに、根本的な問題が存在します:

「左手の音が大きいから、注意して弾きましょうね」って、単に言われて、すぐにそのように弾けるんでしょうかね?

 

これを解消するためには、身体の捻じれによる身体の左右の歪みを直すことが必要だと思います。

なぜなら、右利きの人は、日常生活で右手ばかり動かすために、左半身の機能が支点や支軸に特化して固まってしまっているために、左腕をまともに動かすことすらできなくなっていると思われるからです。

「自分はそんなことはない!」と思うかもしれません。 でも、単に「動いているつもり」になっているだけではないだろうか?

 

身体が捻じれて歪み、左半身が固まっていると、右半身もつられて固まっているはずです。 だから、指先でいくらうまく弾こうと思っても無駄だと、自分の経験から思います。 だって、全身が固まってるから、まともに動くはずないもん。

 

私がこのように思うのは、何年か前に、自分の演奏を後ろから録画して、左右の腕の動きの違いにビックリしたからです(自分の演奏を録画すると、たくさん気づきがあって、オススメですよ)。

また、マエケン運動」をすると左右の腕の動きが明らかに違うのを、感じたからです。

もっとさかのぼれば、子どもの頃すでに、ピアノを弾くときに左手が動かしづらいと感じていたからです!

さらに呆然としたのは、実家から引き取ったピアノの椅子の座面が、左に傾いていたからです!

つまり、私は、子どものころから、身体が左に傾いた状態でピアノを弾いていたのです!

私は、子どものころから、身体が捻じれて歪んでいたのです!

だいたい、椅子に腰かけたとき、左の座骨がどこにあるかわからないんですから!(←最近ようやく、左の座骨らしきものが「出てきました」)

身体が捻じれて歪んでいると、前回の記事に書いた、一か所のボトルネックによって全身が固まっている「あやとり人間」なのです。 どおりで、子どものから身体が固かったはずです。

 

中年になってピアノを再開したら、普段は支えて踏ん張ってばかりの左手を動かすからでしょう、ピアノを弾くと首の左側がモーレツに凝りました。 そりゃそうでしょう、半世紀も捻じれて歪んで固まっている身体で、普段支える仕事ばかりしている左手を無理やり動かすんですから。

 

それ以前の問題として、左の股関節の中に小石みたいなものが入っているような不快感があるし、「左足が悪いんですか?」と言われたことがよくあったので、「これは、ピアノなんぞの前に、エリザベス女王のお母さんがやったヒップOP(人工股関節を入れる手術)を受けることになったらヤバイ!」と思って、老後を健康に過ごすために、とにもかくにも、2017年の8月下旬から、身体をほぐし始めて、現在に至ります。

 

身体が固すぎるので、とにかく、「揺れているだけ」みたいな運動から始めました。 いろいろな情報を読んだ結果、「いち、にぃ、さーん!」で行う柔軟体操は、私のようなガチガチ人間には逆効果だと思ったのです。 股関節の癒着を取るために「びんぼうゆすり」を提唱しているお医者さんの記事を読んで、家にいるときに「びんぼうゆすり的に常時揺れている」ようにしました。 はたから見ると、ほぼ変人状態です。 でも、背に腹は代えられません。

 

身体操作の本を読んだり、DVDを観たり、サイトで情報を探したり、たまに身体操作のグループレッスンに参加したりして、身体ほぐしの情報を集積して試行錯誤をしました(今もしています)。

 

恐い経験もしました。たとえば、肩を揺らしていたら、とつぜん喉の奥で「バチン!」とゴムバンドのようなものがブチ切れる音がしたり、鼻の奥が「ベリッ」ってはがれたような感じがしたり、耳の奥がつったり、脳天の肉が「チリッ」と裂けたり、眼球が真ん中から「ビリっ」と裂けたような感じがしたり、股がジリジリ裂けたり、身体のあちこちの肉がかゆくなったり(これはしょっちゅうです、でも、皮膚じゃなくて、肉だから、かゆくても掻けない!)、一か月のあいだ胸郭出口症候群みたいになったり、全部の歯がだるく痛くなったり(顔や喉の筋肉が整い始めて位置を変えたためと思われる)、喉がオエッとなったり。 でも、自分の身体だから、どんなことがあっても自分で責任をとるぞ!と腹をくくって、いろいろ試行錯誤してきました。

 

2年以上続けていたら、現在は、股関節も以前に比べて動くようになってきたし、身体の捻じれもだんだんなくなってきました。 姿勢もずいぶんマシになってきました。 それに、経路(けいらく)っていうんですか? あるとき、仰向けになって身体をほぐしていたら、左半身がスーっと、何かの通りが良くなった感覚がありました。

 

そうなってきたら、つい最近ピアノで、左手の動きをいろいろ考えながらゆっくり弾いていたときに、滑らないように弾くコツがわかってきた気がしました。

PianoCareerAcademyのIlinca Vartic先生の、初心者向け動画で、Vartic先生が言っていた言葉が、にわかに実感としてわかってきました。 ああ、このことを言っていたのか!

 

つまり、身体が捻じり曲がって固まった状態は、身体がある種のマヒ状態なのです。 だから、そんな身体では、言われたことを絶対にできないので、理解できるはずもなく、余計に頭がパニックになって、身体がさらにこわばって、ますますできなくなる(悪循環=この世の地獄)。 むしろ、身体が整っていれば、言われる以前に、すでに出来ている(好循環=この世の天国)! ということを、実感しました。

 

「肩を下げて!」と言われても、下がらないんですよ。 上がったまま固まってしまっているから。 本人は、肩が上がっている自覚が全くないんですよ。 全身の骨格が整って、全身の筋肉が緩んではじめて、肩は下がるんです。 肩だけ下げることは不可能です。

「親指をもっと柔らかく使って!」や、「手首を柔らかく!」といった指示も、同様に、不毛で無意味なんです。 親指や手首が固い人は、全身が固まっています。 もちろん、肘も肩も足首も股関節も固いはずですよ。 

丹田に力を入れて!」という指示。 その「丹田」とは、いったいどこにあるんですか? 丹田に力が入らないような姿勢で固まっている人に言っても、わかりようがありません。

できる人は全部できるし、できない人は一つもできない。 これが、身体運動の冷徹で残酷な真理です。 一事が万事なんです。

 

でも、「ピアノで左手が動かない原因は身体の捻じれや歪みである」と説明するサイトは、皆無。 プロ&アマ問わず、ほとんどのサイトが、「動かない左手のための指練習」のことばかり。 「なんとかテクニーク」とか「かんとかメソッド」を習得したと謳っているピアノレッスンのサイトもです。 「なんとか筋やかんとか筋をどうとかこうとか」と言われても、身体が固まっている人は、それらの筋肉を意識できるはずがありません! だって、捻じれて歪んだ身体の中で、重力を懸命に支えている場所の筋肉の層が、地層のように圧迫されて、ビーフジャーキーみたいに化石化しちゃって、それが身体の全体の動きを阻害するボトルネックになっているから。 当然、動かせるはずないんですよ! 「脱力脱力」とお題目(おだいもく)のように唱える「なんとか奏法」なるメソッドも、ガチガチに固まった、脱力とは無縁のガチガチコチコチ人生を生きている身体で理解できるんでしょうか? できるはずないでしょう?

(話はそれますが、「なんとかテクニーク」などを習得したピアノの先生よりも、武道やダンスやスポーツ畑出身の、純粋な身体操作のプロのほうが、人間の動きの本質を見抜く目を持っていると思います。 『スーパーボディを読む』という本に、グレン・グールドの演奏姿勢について1ページほど解説がありますが、著者の伊藤昇氏は、グールドの左右の身体の使い方の違いについて非常に鋭い指摘をしています。 グールドの演奏姿勢について、ピアノの専門家や愛好家は、口をそろえて「ひどいもんだ、マネるべきではない」と、にべもなく一笑にふしますが、実は、身体の動きをガチで研究している武道系やスポーツ系やダンス系の人の方が、本質を見抜くんですよ。)

 

中年になってピアノを再開したときも、指先の動かし方の注意ばかり。 できないと「あなたには無理」みたいなことを、やんわりと言葉や目つきで言われる。 うなだれて家に帰って、言われたように指の形を注意して練習しても、何十年の会社勤めや日々追われる生活によって身体が固まっているうえに、ダメ出しばかり受けて悲壮感で身体に力が入りまくってガチガチなのが、自分でもわかるし、一向に指先のコントロールがきかない。

 

もういい加減やんなっちゃったので、ピアノのレッスンをやめて、2年前の夏に、YouTubeで見つけたPianoCareerAcademyを有料サブスクして、Ilinca Vartic先生の初心者向けレッスン動画を見まくって、先生の柔らかくて優雅な腕の動きをマネはじめた。 つまり、マネる価値のある優れたお手本を選んで、イメージトレーニングを始めたわけです。 3か月ほど経ったとき、ピアノ会で「腕の動きがきれい」と言われたので、これはいける!と思いましたお世辞でも嬉しかった!)。 以来、自分が信じるやり方でやっています。 優れたお手本を使ったイメージトレーニングは効果があると実感しています。

(Vartic先生が優れたお手本だと思ったのは、腕の動きもさることながら、姿勢がスッとしていて、話し声がソフトで穏やかだったことも理由です。 声がソフトで穏やかな人は、身体全体もリラックスして力(りき)んでいない、と思ったからです。 キンキンした喉声(のどごえ)の先生は、演奏フォームも性格も、力(りき)んでいて、演奏に芸術性が無い、つまり、下手なはずです。 そして、

先生の力みや緊張が生徒に伝染すると思いますよ。

 

Ilinca Vartic先生は本物だ!と思った理由は下記の記事に書きました:

tokyotoad1.hatenablog.com

 

身体の動きが悪ければ何をやってもダメ!と悟って以来、2年以上、身体の左右差と捻じれと歪みを意識しながら、身体をほぐしてきました。 

その結果、ようやく、左半身が動き始めたので、支えてばかりだった左手を動かせるようになってきました。

そして今は、子どものころよりも格段に左手が動きます。  

左手を上手く動かせると、首の左が凝らないばかりか、ほぐれてきさえします。  左の股関節もだいぶ動くようになってきました。

 

身体は、頭のてっぺんからつま先まで、全身がネットワークでつながっている。 そのネットワークが整っていれば、身体のシステム全体がスムーズに動く。 反対に、ネットワークのどこかに、一か所でもボトルネックがあると、システム全体が動かなくなる。

だから、末端部分でいくら練習しても、いくら柔軟運動をやっても、焼け石に水

これが、私が実体験から得た結論です。

 

このことから、私は、「まず身体の捻じれと歪みを最小化することが先決で、それによって、姿勢が良くなり、身体が動かしやすくなり、実生活の質が上がる。 そうなったときに、別に意識しなくても、スポーツでもピアノでもダンスでもなんでも、それなりにやりやすくなっている」 と考えています。

 

だから、捻じれた歪んだコチコチの、歩くのもおぼつかないようなフレイルな身体のままで、やみくもにスポーツでもピアノでもダンスでも上達しようと、いくら悲壮に練習したって、意味がないし、効果もほとんどないし、かえって「できない地獄」の餓鬼になってしまう。 そういう結論に達したわけです。

 

であれば、技術的なことを深刻に考えすぎてこの世の地獄に堕ちるよりも、自分の生体の健康のために身体をほぐしながら、好きな曲を楽しく弾いてハッピーに過ごす方が、ずっと人生のバリューが高い。

 

ハッピーに過ごしていると、安らかな気持ちになるから、身体がほぐれてくるし、そうなれば、おのずと、できるものが、自分なりに、できるようになってくると思います。一事が万事。 いつも心の状態を天国にしておけば、全てが好循環で回り始めます。

 

だからこそ、そういうことまで頭が回らないのに安易にダメ出ししてきたり、「あなたにはできない」とか「あなたは劣っている」という有形無形のメッセージを投げてくる、ドリームブレイカーたちを、遮断し、排除することが、必要です。 身体ばかりか、心までフレイルになっては、人生真っ暗だからです。

 

注: 以上の内容は、ピアノ演奏の運動的な側面に関して述べたものです。 「音楽」という、クリエイティブな頭脳を駆使した人間の創作表現活動(=芸術活動)は、全く別の次元の話です。 

 

tokyotoad1.hatenablog.com

 

tokyotoad1.hatenablog.com

 

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以下は、数週間前に書いたものですが、まとめるのが面倒くさいので、とりあえずいっしょにアップします:

 

身体の捻じれと歪みは、ふだんの生活にも大きな悪影響を及ぼすと思うので、股関節の手術をするようなことにならないように、必死でやっています。 いわゆる、近ごろよく言われるところの、「フレイル(frail)」にならないためには、身体の捻じれと歪みを取り去る必要があると思います。

 

「一事が万事」というのは本当で、

   何らかの環境の影響で、身体が固くなる ⇒ 固い上に猫背になる ⇒ 身体が捻じれる ⇒ 骨格がひんまがって歪む ⇒ 歪んだ体は動かなくなるので、動きが固くていびつになる ⇒ いびつだからクラシックピアノといった運動的なことをやるとうまくできるはずがなくて悩む ⇒ そのうえ、猫背の姿勢が脳を圧迫しているので、メンタルが暗くなる ⇒ ますます身体が捻じれる⇒。。。

 

という、悪循環な人生になってしまいます。 これが、地獄です。

 

いちばん絶望的なパターンは、そんな人が、クラシックピアノを習って、レッスンで「あなたは手首が固い」とか「親指が固い」とか「もっと腕を柔らかく!」とか「肩の力を抜いて!」とか「肘を回さないで!」とか、いろいろ言われることです。

 

なぜなら、そんな人は、おおもとが固いために、そんな末端のことを言われても、できるはずがなく、ますます動きがぎこちなくなって、ますますダメ出しされて、すっかり自信を失ってしまう可能性が大きいからです。

 

肘を回そうとするのは、固い体で必死になんとかしようとするから、動かせるのが肘しかないから、そうするんだと思います。それを「やっちゃダメ!」と言われると、もう万策尽きてしまうわけです。

 

それを、教える側はぜんぜんわかっていないことが多い。

 

できていない人に対して、「肩の力を抜いて」や「手首を柔らかく使って」とか「おなかを引っ込めて」とか「丹田に力を入れて」言うのも、同様に無意味です。

 

これらの指示は、無意味どころか、本末転倒だと思います。 なぜなら、これらは、「できていない人にとっての努力目標」ではなく、「できている人の結果としての状態」の形容だからです。

 

できている人は、肩の力が抜けていて、手首を含めてすべての関節が柔らかく、お腹が引っ込んでいて、丹田なるものに力が入っている、という、ぜんぶできている状態になっているんだと思います。

 

だから、できない人にいくら指示しても、できるわけがないのです!

 

もし指示するのであれば、「どうやって?(how?)」まで教えてあげなければ、残酷すぎます。

 

でも、「どうやって?(how?)」は、教えることが大変難しい。できていない本人が、自分の頭と身体で考えながら、試行錯誤して、発見していくものだからです。

 

クラシックピアノの「スーパーレッスン」なんかのテレビを見ると、もともとものすごく弾ける子に、先生が表現について教えているようです。 これが、クラシックピアノのレッスンの本来の姿だと思います。

 

「手首をやわらかく」とか言われているうちは、本当のレッスンになっていない。 だって、表現できる身体能力が、ないんだもん。

 

野球では、ボールを投げて18メートル先の的にノーバウンドで届かない人に、ツーシームの投げ方や配球の戦略を教えても、その人はピッチャーには絶対になれないわけですが、それと同じことが、クラシックピアノのレッスンで往々にしてなされている気がします。 

 

一方で、アドリブ演奏や作曲&編曲など、自分の脳内の理論的な知識を活用する活動がはいってくると、話は全く違ってきます。 なぜなら、アドリブ演奏は、その人の音楽知識の集積、つまり、その人の頭脳がモノを言うからです。

 

名画を模写するのも楽しいことですが、自分の心の表現として思いのままに絵を描くことは、無上の喜びです。 「技術」と「芸術」の違いはここにある、と、戦後の日本の芸術神、岡本太郎氏も言っています。

 

正真正銘のプロの芸術家は、プロですから「技術」はもちろんですが、究極的には「技術」よりも「芸術」で勝負していることを、鑑賞する側の人間は、よくわきまえて鑑賞する必要があります。 「あの演奏家は上手い」とか「下手だ」とか「間違えた」とかのレベルで鑑賞するのは、不毛で虚ろで貧しい行為です。

 

狩野芳崖日本画「悲母観音」が、見る人の心を射るのは、この絵が技術的にいかに優れているかではなく、「暖かい闇の中で生を受けたのに、何らかの理由でこの世でお日さまの光を見ることなく、何も知らないまま冷たい闇のなかに吸い込まれて消えていく、無垢の小さないのちが、観音様に救われて、永遠に光かがやく世界に連れていってもらえる」、その光景が、万人の胸に迫りくるからです。 画家の筆致や色づかいは、その感動を助ける、技巧であり、作品の心ではありません。

 

ミュージシャンでも演奏家でも芸術家でも芸人でもエンターテイナーでも、その当人の人生を賭けた創造性の爆発を、鑑賞する側は目の当たりにして感動するのが芸術鑑賞です。 

 

私は、人種を問わず日本語ネイティブの日本人であれば、岡本太郎氏の著作、ならびに、世阿弥の「風姿花伝」を、読むことが必須だと思います。 岡本太郎世阿弥は、数百年の時空を超えて、日本の芸術の真髄を、それぞれの視点で、つまびらかに語っているからです。

 

前に書いた記事「ピアノを弾くと背中が痛い_001:

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