ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

2019年の当ブログの人気記事トップ3

 

 

2019年、当ブログで最もアクセス数が多かった記事ベスト3です:

 

位: アクセス数の11% 

これは、3歳から10年以上クラシックピアノを習っていたにもかかわらず、中学時代に日本のポップスのテンションコードがぜんぜん聴きとれず、また大学時代にジャズ研の人たちの演奏を聞いて、「子どもの頃に何年も習っていたピアノは、いったい何だったのか?」と、途方に暮れた苦い経験に基づいて書いた記事です。

一般論として、「ピアノを習っています」というのは、「楽譜に書いてある通りにピアノを弾く方法を習ってます」ということであり、「音楽を習っています」ということではない、というのが、実体験から私が痛感したことです。

 

 

位: アクセス数の16%

これは、小学校高学年のときに、ピアノの先生の家の練習会で、音大のお姉さんと高校生以下の女の子ばかりの生徒たちに混ざって、たまたま、普通の大学に通うお兄さんが参加したとき、ピアノの先生の家のグランドピアノから、今まで聞いたこともないような大きな音がして、遠い目になってしまったことを発端に、自分なりに観察したことをまとめたものです。 

記事の中にも書いていますが、私の考察が正しいか、間違っているのか、といったことよりも、プロからアマチュアまで演奏動画が見放題の今日、自分の目で見て、自分主体でいろいろ考えて、物理的に可能なことに対して前向きに工夫し、物理的に不可能なことに対して明るく自覚して、自分ならではのキャラを追求していくことが、人間的な人生の道なのではないか、というのが、この記事の趣旨です。 

キーボードで10度以上が届く人は、20世紀以降の作曲家の曲に対する物理的なハードルが大変低いので、そういう曲を弾くと、自分のキャラが各段に際立つと思います(どんなに小さいころからピアノを習って、どんなに指が回って、きれいな音を出せる人でも、自分の物理的なスペックを超える曲を弾くことは不可能ですから)。 

現行の世界標準サイズアコースティックピアノ以外を否定し、「生身の人間によるミスの無い生演奏」を絶対視して、それにこだわり続ける限り、人種や性別や手の大きさや体格や様々な身体的障害や病気や老化といった肉体的(動物的)なハードルを、決して超えることはできないのです。

 

 

位: アクセス数の20% 

当ブログのアクセス数の5分の1が、この記事の閲覧です。 

黒鍵が多いキーに慣れようと、自分で試行錯誤していたなかで、思ったことをまとめた記事です。

どうしてこの記事の閲覧数がトップなのか、よくわかりませんが、記事の内容に何か訴えかけるものがあるのかもしれません。

ぶっちゃけ、この記事の内容をすべてのキーに適用して、単音メロディーと、コードを把握して、その無限の組み合わせを自分のものにしていくのが、音楽語と楽器演奏をマスターする基本、というか、全てだと思います。 どんなに美しい音を出せても、音楽語の文法を知らなければ、音楽で自己表現ができないからです(音楽語の文法で自己表現ができることは、プロであることの証しです。 もちろん素人はこの限りではありません。 また、プロであっても、非伝統的な音楽や、ミュージカルサウンド以外の音による音楽表現は、この限りではありません。 楽器によって表現できる音は限られます。 たとえば、四半音といったマイクロトーナルな音楽は、ピアノなどの伝統的なキーボード楽器の伝統的な演奏方法では表現できません。 これに加えて、自分に心地よいリズムの探求があります)。

だから、べつに人に習わなくても、自分が好きな音楽をたくさん聴いて、フレーズやコードをマネしようとしたり、音楽雑誌やサイトを見て理論を知ろうとしたりと、自分で夢中で続けていれば、日本語を覚えたように音楽語が脳内に蓄積されて、やがて自分の音楽語で自己表現できるようになると思います。 楽器を問わずジャズの人達が即興演奏ができるのは、楽器上の音の位置と組み合わせと文法を自分のものにしているから。 真の意味で音楽を知っている人は、音楽語を自在に操って音楽語でフリートークができる人です。

私は、半世紀も生きてから、上記のことを独学ではじめて、3年ほどたった今では、ピアノを習っていた子どもの頃より、音楽語の語彙が大幅に増えました。 この経験から、楽しく夢中で続けていれば、独学でも、大人から始めても、音楽を自分のものにすることは十分可能だと思います。 

 

音楽の最終目的は

声や楽器やパソコンや、無機物や有機物やサンプリング音といった、

この宇宙に存在する、音波を発することができる森羅万象を使いこなして、

自分を表現することです。 

芸術の最終目的は

自己表現による、人間礼賛です

 

 

来年も、できる範囲で、細々と続けていこうと思います。

 

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