ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

横浜と東京

 

東京湾の西岸に位置する横浜は、「東京」と俗に呼ばれる首都圏です。

東京都内の会社に通う人々が無数に暮らす、いわゆる東京のベッドタウンであり、

毎朝の通勤時間帯、JRの京浜東北線東海道線横須賀線や、私鉄の東急東横線京浜急行では、自分や家族の生活のために働く人達を押し込めた満員電車が、分刻みで東京方面へ大量の労働人口を輸送しています。

京浜東北線は埼玉県とつながっていて、横須賀線は30年以上前に千葉を走る総武線とつながりました。最近になって東海道線も北関東とつながりました。東横線副都心線を経由して埼玉県とつながり、京急は千葉の京成線に乗り入れています。

仮に、赤いインクを横浜にたらせば、横浜からこれらの鉄道を介して無数の人達が日々輸送されますから、あっという間に、東京・千葉・埼玉に、赤いインクは広まることでしょう。

首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)は、日本の人口の3割が住む、日本経済の中心です。 また、外国人が働く外資系企業が最も多く働いている場所でもあります(だから「高輪なんとか」とかいう駅が作られるんだ)。

3000万人の命と健康を守り生活インフラを維持する仕事に従事する方々の日々のお務めと心労に感謝し、頭の下がる思いです。 

 

ところで、先ほどの赤インクは、首都圏にとどまりません。

東京駅からは、これも分刻みで新幹線が発着していますから、赤インクは、またたく間に、日本国中に広まることでしょう。

 

東日本大震災の直後、大手町駅からホワイトカラーの外国人が一斉に姿を消しました。 まるで、バブル以前の大手町駅のように、日本人のビジネスピープルしかいなくなった大手町駅の地下通路を歩きながら、私は、不思議とホッとした気持ちになったと同時に、いまここに残っている人たち、他に逃げる場所が無い人たち、この場所にへばりついて生きるしかない人たちが持つ、土地の誇りを感じていました。 

 

日本全国どこでもそうです。 江戸っ子、浜っ子といった言葉がありますが、日本津々浦々に、その土地、その町で生まれ育った人たちは、その土地で誇り高く生きています。

 

落語の「百川(ももかわ)」に、「ムクドリ」という言葉が出てきます。 その土地に食べ物があるうちは群がって来るくせに、食べ物がなくなったり、何かが起きれば、その土地を捨ててどこかへ飛んでいってしまうムクドリ。 彼らは、その土地の状況が好転したからといって調子よく戻ってきても、大変な時にその土地にへばりついて頑張って生きぬいた人たちから、信用されるはずがありません。

 

震災後にイタリアに移った、イタリア人と結婚した日本人を知っていますが、かれらがまた東京に戻ってきても、まともに扱ってもらえるはずがないし、だからといって、ここで命を張って生きているローカル人に向けて不平不満を言う権利はないでしょ? 日本を捨ててイタリアをとったんだから、どんなに不便を感じても、どんなに人種差別を受けても、ケツをまくってイタリアに骨を埋める覚悟で行った、ってことですよ。 その土地が大変なときに、その土地にへばり着いて頑張った人たちだけが、その土地における信用を勝ち取り、その土地で大手を振って生きる権利を持つのです(その象徴が、その国の国籍を持つことなのです)。 その土地で代々そうしている人たちが大きな顔をしているのは当然です。 京都を見てみなよ、100年いても、まだ新入り扱いなんだよ。 一代、二代、三代....と、信用を築いていってこそ、その土地で徐々に居場所を確立できるのです。 京都には遠く及びませんが東京だってそうです。 三代目ぐらいになってようやく、すれ違うときは傘をかしげる・電車の車内で隣の空席に人が座る際に少し自分の席をつめる(人が多い土地でお互い気分よく過ごす知恵)、電車の車内では足を投げ出して座らない(都市部の高額なスペースを余計に占領して平気でいることは、スペースがたくさんある土地の出身の証(あかし)) 、駅に着いてからノコノコ座席を立って電車を降りない(駅に着く前に降りる用意をしないのは、土地勘が無いうえに非日常の世界に遊んでいる観光客か、時間がゆっくりまわっている土地の出身者、どっちにしても、よそ者の証(あかし))、といった、東京人の振る舞いが身につくわけです(そういうことを注意して電車に乗っていると、東京にいかに生粋の東京人が少ないかがわかります)。 

天然資源に乏しく、島国の日本で、最も価値があるのは、自分が日々コツコツと築いていく信用だけなんです。 一人一人が、コツコツ築いた信用の高い労働で築き上げたのが、各地の大都市圏であり、それを取り巻く国土なのです。  だから、ちょっとやってきただけの食い逃げ、やり逃げ、稼ぎ逃げ、楽しみ逃げ、捨て逃げ、汚し逃げは、人間とみなされずにムクドリ扱いされても仕方がないのです。 

でも、世界中、同じです。 世界中どこでも、ムクドリは、その土地のローカルからまともに相手にされないんですよ。

 

島国は、島ですが、陸であり、そこには、陸人としての生活とやり方があります。 日本は戦後、空襲で人間の血とおびただしい焼死体から溶け出した脂が染み込んだ焼け野原でした。 そこから、産めよ増えよの大号令で増えた、戦争のトラウマを背負いながらも黙々と、ひとつひとつきちんと仕事をする正直者の労働力(しか日本には資源がないんだよ、今も昔も)が、首都圏や各地の大都市でどんどん張り巡らされていった国鉄や私鉄各線にぎゅうぎゅうに押し込められながら毎日の通勤地獄を息抜き働きぬく、「ウサギ小屋に住むエコノミックアニマル」(つまり、日本人は動物とみなされていたわけです)とバカにされながらも、この地に人生を賭して築いたのが、東京であり横浜であり首都圏であり各地の大都市であり、2分おきという驚異的な間隔で各地をむすぶ新幹線網や、道路網や住民のための医療施設なのです。  フランスのクレッソン首相は当時、日本人をアリに例えました。 当時のフランスの首相が形容したところの、虫けらたちが、一生懸命通勤して各自の職場で働く無数の日本人であり、日本人が、日本の大都市圏とそれらを結ぶ交通網を作ったのです。  これらのインフラを維持している、無数の無名の日本人が安全に安心して働き生活できる環境を確保することが最優先されなければ、島人(陸人)の国である日本のインフラはあっというまに瓦解してしまいます。 去年の台風の時、西洋人の観光客が氾濫した多摩川を興味本位でスマホで撮っている写真を某経済新聞のネット版で見ましたが、彼らが飛行機で飛び去ってしまった後も、洪水の被害を受けて、今この時も、バカンスに行く余裕もなく自宅や生活の復旧に追われている日本人たちが、関東に、日本中にたくさんいるのです。 

 

これに対して、船で生まれ、船で子どもを産み育て、船で戦い、船で死んでいき、海中に埋葬される、海洋民族のやり方があります。 北欧の海洋民族は、自転車に乗れるより先に、ボートを運転できるようになるそうです。 今でもフィヨルドの岸辺にへばりつくような家に住んでいる人たちにとって、民族の伝統として、ボートを操れないことは、死を意味するからでしょう。 レジャーのカヤックだって、「沈(ちん)」してから転覆した舟をひっくり返してもう一度舟に乗り込む練習をしていなければ、仮に湖の真ん中で沈して低体温症で死んでも自業自得です。 海洋民族も漁師さんも、陸地を捨て海で生きるからには、海上に住んで海上で生活するメリットもリスクもすべて覚悟した上で、海上で命を張って生きているのです。 陸地にへばりついて、日々満員電車に揺られて命を張って生きている陸人とおなじように。

 

どんなことが起きても、その土地でやっていくしかないし、やっていこうとケツをまくって、その土地に自分の人生を投じて日々満員電車に揺られて生活のため家族のために額に汗して働き、その土地に骨を埋める覚悟で生きている、この土地の人たち。 平気で手を抜いたりズルをしたり嘘を言ったりホラを吹いたりテキトーに処理したうえに威張りくさるみたいなことが、決してできない、いや、そういうことを自分に許すことが人としての尊厳に反すると考える、不器用だけど正直者でひとつひとつの務めをきちんきちんとやろうとする、この土地に住む人たちの健康と命が、第一に守られることでしょう(もちろん、社命によって住み慣れた土地をしばし離れて不慣れな土地で奮闘する企業戦士とその家族たちも)。

 

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