ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

久々でもないが「てんでんこ」

 

地震の前には、動物が群れをなして逃げるなどの異常行動が見られるそうですが、私も吹く風の中に何かを感じたので、冬眠前のシマリスのごとくチマチマといろんなものを買いためていました。 それでも、パニック買いの列には並びましたよ。 だって、「たくさんあります」って言っているトイレットペーパーがいつまでたってもちょっとしか店頭に並ばないんだもの(しかも1家族につき1個。ほんの少数並んだ次の瞬間に消滅してるよ)。 そりゃぁ、みんなパニック買いするよ。

 

野生の勘をいつでも研ぎ澄ましておくことが大変重要だと、子どもの頃に大岡昇平の『野火』を読んだ時から、強く思っています。  極限状態における生命維持の必須アイテムについてもです。

何か事が起きると、私の脳内で、大岡昇平の『野火』が発動します。

 

それから、読んだことないけど吉村昭の『羆嵐』も、脳内の遠くの方で発動します。 『羆嵐』ではありませんが、14歳のころからヒグマ撃ち何十年の、アイヌのクマ撃ちハンターの本を以前読んで、人間は自然にはとてもかなわない、と強く思いました。 クマ撃ち何十年のハンターがですよ、山でヒグマを目の前にして、ライフル銃でなかなか仕留めることができないんだそうです。 そんなことがあるものか!と思うかもしれませんが、ヒグマは、温泉街の射的の景品とは違います。 あの景品だってゆっくり回っていてなかなか仕留められないでしょ? ヒグマはもっと動くんです、デカイくせにメチャクチャ俊敏なんだそうです。 しかも、山の中はヒグマがホームで人間は完全アウェイ、人間のほうが決定的圧倒的絶望的に不利なんだそうです(椎名誠調)。 その本を読んで、「北海道旅行にカナダのクマよけスプレーを持っていったらいいかな」なんて呑気に考えていた私は、きっぱりと、「山には入らない」と決めました。 クマ撃ち何十年の達人がライフルでなかなか撃てないものに、トウガラシのスプレーが効くわけないでしょ? パニックになって噴射しまくって風下の自分が浴びるのが関の山です。 人間のトウガラシ風味の出来上がり、ボナペティですよ。 人間の世界ではない、神々の世界には、人間は立ち入らないほうがよい、と強く心に刻みました。

 

話はとびましたが、

日本人の幸福度は世界何位だ、とか話題になりますが、知能が高い人は、先のことまで予想できてしまうので心配性だという説もあります(これに基づけば、三遊亭円丈は知能がとても高い)。 野生動物では、好奇心いっぱいでいろんなところを無邪気に動き回る幼獣よりも、用心深い個体のほうが生き残る(そして子孫を残せる、つまり成功者になる)そうです。 

 

日本人の平均知能指数は高く、また集団行動することによって一人ひとりが生き残る戦略を進化的にとってきたように思えるので、一致団結すると強力です。

が、その一方で、変な同調圧力が空気をおかしくすることがあるので、集団行動と個人行動の両刀使いが必要じゃないかとおもいます。 サバイバルのためには、変な同調圧力を振り払う、3.11の教訓「てんでんこ」戦略です。 みんなが参加するから、嫌われたくないから...、みたいな、へんな義理やニセ友情で参加するよりも、自分の野生の勘に従うのが、たぶん正解です。

 

3.11の記憶がまだ強く残っていますし、その後も毎年、地震や土砂崩れや洪水が起きていて、有事に慣れているということもあると思います。 毎年毎年、自然災害が情け容赦なく襲いかかる日本は、いつでも戦時中です。

 

全体の利益を図りつつ、個人ベースでは「てんでんこ」戦略で、サバイバルのためにいろいろ生き残りの方法をトライしてみることが、全体の知見にフィードバックされていくのではないかと思います。

 

もっとも、有事でも平時でも、基本的にはあまり変わりません。

芸術エンターテインメント系は、有事には弱いですが、他の業界だって有事にはダメージを受けます(有事で儲かる業種もありますが)。 それに、ぶっちゃけ平時でも、生き残れない人は生き残れません。 他の業界だって、会社員だって何だって、実力の無い人は生き残れませんし、実力がなければ、七光りとかパトロンとか経済的な後ろ盾がなければ生き残れません。 コネもカネも何も無い人は、一つ一つの仕事を一生懸命やって、クライアントさんや上司を満足させる仕事をして、次につなげていくことでちょっとずつ積み上げていく、実績しか頼りにできません。 でも、実績に裏打ちされた自分の実力がこの世では最強です(身についていない七光りや後ろ盾は、消えるときには消えます)。 自分の実力は自分の実績であり、実績は履歴書に現れます。 ピアノや音楽とは無縁だったオフィスワーク時代の私も、何にも無かったので、いい仕事ができるように勉強して、常に変化する時代のニーズに適応しながら、クライアントや上司が満足する仕事をして、履歴書の1行1行を作っていきました(1行足すのは、何年もかかる地道な努力)。 やはり、大看板の名前を履歴書に書けると強みになります。 私の場合は企業名ですが、音楽の世界でも、何百万枚売り上げたとか、賞を受賞したとか、大看板のバンドのメンバーだったとか、大御所のサポートをしているとか、そのジャンルの第一人者とか、技もスゴイが世界観がハンパないとか、そういう実績は強いと思います。 実力がないと無理ですから。 そういう人たちは、仮にサラリーマンになっていたとしても、出世したと思います。 そうじゃない人は、何をやっても、そうじゃないんです。 小さなライブハウスのオープンマイクイベントに出るような無名の若い「自称ミュージシャン」が「このチラシ、徹夜で作ったんで、ぜひ僕のライブを見に来てください」と言いながら配るチラシをお情けで受け取ったことがありますが(さすがに「いりません」とは言えなかったので)、「チラシを徹夜で作った」ことと、その人の実力とは、全く関係ありません。 そういう売り込み方自体が、もう悲しいぐらい「自称ミュージシャン」です。 平時でも確実に廃業するタイプです。 早く目を覚ましてほしいものです。 

黙ってやっていてもお声がかかるのが、実力がある人です。

 

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