ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

バッハのコラール集は、大人のピアノ遊びよりも大人のキーボード遊びに最適

2023年7月に追記: この記事を書いてからかなりの年月が経過していますが、いまだに当ブログの人気記事のひとつになっています。 それだけ、この記事の情報価値が高いということなのでしょう。 実は、最近、はてなブログの記事がcodoc連携で有料化できるようになったので、この記事を有料化しようとも思ったのですが、引き続き無料で公開し続けることにしました。 というのは、情報価値が高い記事を無料で公開し続けることは、同等程度の内容の有料コンテンツの経済価値を破壊することになるからです。 タダで手に入るような情報を、わざわざおカネを払って買う人はいないでしょ。 私は音楽の高等専門教育を一切受けていないド素人ですが、そんなド素人のブログ記事を安易にパクッて自分の手柄のように宣伝して自分を売ろうとする「プロ」のピアノ教師たちの盗っ人のような行為に悩まされてきました。 素人の記事でも「プロ」が無断でパクる内容が存在する、けれども、誰も素人におカネなんて払ってくれません。 だから、素人にとって最も価値が高い行為は、自分の書いた記事を無料で公開することなのです。 なぜならば、無料で公開する行為は、記事を書いた私自身が自分の書いた記事の価値をゼロに希薄化する自殺行為に出ることによって、自らのコンテンツを誰かに無断で乗っ取られることを防ごうとする、「ポイズンピル(毒薬)条項」のようなものだからです。 結果的に、この記事と同様の内容の有料コンテンツが世に出ることは、この記事が無料で公開され続ける限り、未来永劫無いのです

★ピアノの先生などへ: このブログに記載されている内容を、レッスン目的(レッスン等で使用・販売する教材、レッスンで教える内容、宣伝等のためのブログ記事での使用等を含む、営利目的につながる可能性のある使用)やその他の目的のために、このブログの作者(原作者)であるtokyotoadへの事前の承諾なく無断で使用(コピー・利用・転用・流用・編集・加工・出版・頒布・送信・アップロード等)することは、原作者の権利や人格を保護する著作権法に対する違反行為です。くれぐれもご注意ください。

 

=====以下は、大人のアマチュア独学ピアニスト/キーボーディストのための記事です=====

 

20221014追記: タイトルの「大人の独学ピアノ」や「独学キーボード」を、「大人のキーボード遊び「大人のピアノ遊びに変更しました。 理由は、人間脳をフル活用したクリエイティブで自発的な「遊び」のほうが、機械的な「練習」や「独学」よりもずっと楽しくて遥かに芸術的だからです。 子どもは遊びの天才? いや今は大人の方が、自分でクリエイティブに試行錯誤しながら楽しむ遊びの天才になる自由を持っている! ピアノ教育制度によって何でもかんでも「教育」されて「遊び」の自由を失ってしまった子どもよりも。

 

2017年から、J.S.バッハのコラール集をやっていますが、2020年3月末の時点で、大人の独学ピアノ、というか、むしろ、独学キーボードにとって一定の効果があると実感したので、ここに記します。 

 

J.S.バッハのコラール集は、J.S.バッハが作曲したキリスト教の新教(プロテスタント)の男女混声合唱の讃美歌です。 メロディーラインがソプラノ、ベースラインがバス、インナーヴォイスがアルトとテナーが担当する4声合唱の、基本的には短い歌が多い。 バッハは、ローマ教皇のヴァチカン(カトリック)に反発したドイツのマルチン・ルーテル(ルター)が立ち上げたプロテスタント(新教)に賛同していたので、ルター派の教会から受注されて讃美歌を沢山作ったんだろうなぁ、と思います。 そして、J.S.バッハのコラール集が西洋音楽の大元(おおもと)であると言っても全く過言ではない!ということを、私はネットや本で独学してつきとめました。

 

キーボード」と書いたのは、現在のところ、バッハを弾くのに最もふさわしい、手ごろで一般的な楽器は、電子キーボードだからです。

 

J.S.バッハは、現代のピアノを弾かなかったからです。

 

J.S.バッハが弾いたのは、ハープシコードと、教会のオルガンです。

これらの楽器の音源が入っているのが、電子キーボードです。 

家にいることも多い当節、

キーボードでバッハが当時弾いた楽器の音を使って弾いてみると、気晴らしになるかもしれません(電子キーボードは、昼夜関係なくいつでも弾けて、しかも調律いらず!たいへん便利な楽器です)。

 

とくに、即興の要素が高いジャズピアノや、自分で作編曲を行うポップスを楽しんでいる「大人の独学キーボード(鍵盤楽器)」では、一度やってみると面白いかと思います(が、分別を持っていらっしゃる大人の皆様に対して私のような者がお勧めするというような不遜な意図は全く持っておりません。主体性のある大人は、自分の脳で試行錯誤しながら、自分ならではのオリジナルな道を進んでいくことができるからです)。

 

もちろん、他の楽器のためにも有益だと思いますが、他の楽器にはそれぞれにふさわしいバッハがあると思うので、ここではキーボード(鍵盤楽器)を想定して書きます。

 

キーボード(鍵盤楽器)に限定したのは、バッハのコラール集は:

 ① ピアノのレッスンで使用されることが、まず皆無、

 ② 大人の手があって、はじめて、弾くことができる、

からです。 さらに:

 ③ 楽譜の機械的な再生訓練の次元を超越した、文化教養の愉悦あふれる大人ならではの音楽体験を楽しめる

と思います。

 

じつは、2017年の7月に、アメーバブログに、バッハのコラール集のことを初めて書きました。 その直後から、「うちの教室では子どもにバッハのコラール集を教えています」みたいなピアノの先生方のブログやサイトが出始めました。

 

しかしながら、バッハのコラール集は、子どもには向いていません、というか適していません。 

理由は:

①手が届かない: ピアノの先生ならご存知とは思いますが、もともと4声合唱の楽譜なので、全体の音域が広く、内声部を左右の手でパスし合っても常時オクターブが出てくる。

②声域: ソルフェージュで使う場合は、S・Aぐらいまででしょう。 もちろん、声変わりした(男性としての生殖能力が備わった)生徒さんも含めれば、生徒さんたちを集めて4声合唱することができますが、それは、混声合唱団がやることです(し、合唱は、昨今避けるべき「3密」が全部当てはまってしまいます)。 それから、SATBを(子どもが歌える音域に移動させて)子どもたちに振り分けて歌わせることは、クラシック音楽を教える先生は、まずやらないでしょう(バッハの作曲目的に全くの無知であることを意味しますから)。

 

これが、以前私が書いた記事です:

tokyotoad1.hatenablog.com

 

2017年からバッハのコラール集をはじめて、多方面で効果を感じたのでいろいろ書きたいのですが、時間もかかるし、このようなご時世なので、今日はどれだけ書けるかわかりません(後日加筆すると思います) 。

 

とくに、2019年9月からは、69 Chorale Melodies with figured bass をやっていました。 Riemenschneider は譜面が小さすぎるので、Kalmus を使ってやっていました(前者とは音が違う箇所があります)。 Kalmus も使いづらかったので、また、参考にできる音源がなかったので、とうとう去年の秋からFinaleを使って自分で楽譜を作りはじめ、69曲すべて清書しました。 ネットには、歌唱の音源(歌なのでこちらが本物です)はアップされていましたが、いろいろ細かい伴奏がはいっているので、3月中旬から、ネットにピアノの音でアップしはじめました(楽譜の画像を修正するために、いったん全部削除して、3月末から再度アップしはじめました)。  世界のどこかで弾いている人たち、そして、「弾きたいけど、譜読みの助けになる参考にできる音源がないからなぁ」と思っている人たちの参考になればと思います。 音の確認を目的とした自動演奏です(模範演奏ではありません、が、これに関して模範演奏はありません。逆に、ヘタに模範演奏があると、その通りに弾かなければ!などと全く不要な思考がでてきてしまい、下記①~⑧への意識が減ってしまいます。ネイティブの歌手が歌うCDか何かの音源は動画サイトにあります)。

この記事を書いている時点で、20番までアップしました。

 

残りの49曲分のデータは、昨今のご時世が好転するように祈念を込めて、アップしていくつもりです。  これが、私のお百度詣りです(正確には49度詣り)。

 

英米における harmony は、事実上、Riemenschneiderさんによるバッハのコラール集と同じようにハーモニーを作れるようになることです(日本の和声学は、フランス経由みたいに感じます)。

 

そのRさん(長いのでRに省略)のコラール集に入っている 69 Chorale Melodies with figured bass は、パートがSとBだけで、しかも短い曲ばかりなので、大人の独学ピアニスト/キーボーディストは、次のような幅広い用途に使うことができます:

① サイトリーディング(初見): どこかの某が作ったトーシロ向けの(音楽性に乏しい)練習曲じゃない、西洋音楽の最重要存在J.S.バッハが作った、音楽性に満ち溢れたガチの作品、それもキリスト教の聖なる歌で練習できる、まさに、大人の独学キーボードにふさわしい、本物で至高のコンテンツ! そして、もともと歌の曲なので、基本的に8分音符きざみで、しかも短い。 だから、気軽にできる。 これに対して、バッハのインベンションなどは、もともとハープシコードといったキーボード用の曲なので、メインの音符が16分音符きざみ。 やたらデカい小節の中に16分刻みの音符がたくさん詰まっていて、しかも見開き2ページ! こんなのをサイトリーディングしたいと思います? 私はゴメンです。

ソルフェージュ & ディクテーション: 同上。 とにかく短くて簡潔で、気軽にトライできる感じが良い。 それに、歌なので、歌うのが理想的だ。 そして、歌えることは重要。 そのフレーズをそらで歌えなければ、そのフレーズを聞いて理解したりアドリブで弾くことはできない、と思います(外国語の習得といっしょ)。 どこの国の誰が書いたのかわからないような「聴音」の「教則本」で聴き書き練習するくらいなら、バッハのこの69曲を使ったほうが絶対に正統派だ!

③ トランスポジション(移調): 同上。 何度も転調して、一筋縄ではいかない曲もあるが、一曲一曲が短いので気持ちがくじけにくい。

④ コード: ベースラインから、コードを想像すると楽しい。バッハが使ったコードを知るために、figured bassを研究するのも、大人の音楽趣味としてはなかなかオツです(figured bassは、日本語でイタリア語由来の4文字の漢字になっていますが、私は西洋音楽の学術的漢字表記が好きではないので(西洋音楽っぽくないし、漢字表記は学術的でいかめしくなるから)英語のままにします)。 また、ジャズやポップスならこんなふうにテンションを乗っけられる!みたいに想像して遊べる(が、遊びは最も理想的な練習だ)。

⑤ ベースライン: ジャズやる人なら非常に興味深く思えるに違いない。 それに、ビートルズや現代のポップスにも通じているカウンターポイントの骨組みを感じられる。

⑥ アナリシス(楽曲分析): やはり短いので気軽にできる。 これがベートーベンの月光ソナタ第1楽章なんか始めた日には、ぜんぜん終わりが見えなくて、くじけてしまって、敗北感を感じるだけになってしまう。 敗北感は、心の毒ですから、敗北感のモトには近づかないようにして、小さな達成感を増やしていくのが幸せへの道。 (ちなみに、ベートーベンの月光ソナタ第1楽章のアナリシスをしたければ、アメリカのどこかの音楽教授がYouTubeにアップしているのでそれを見ると便利。日本で言うところのコードも併記されているのでジャズ好きの人が見ると面白いかも。日本で言うところの和音記号がアメリカ式で書かれているのも興味深い。私はアメリカ式の表記の方がメジャーとマイナーの区別がわかるので好きです)

⑦ 作曲ノウハウ: 同上。 加えて、今につながる作曲ノウハウのあの手この手が、SとBだけなので、ハッキリわかる。

⑧ 左手を動かせる: これが、バッハが今でも西洋音楽の最高峰と呼ばれるゆえんではないかと思います。 左手(ベースライン)がメロディと同様に歌い、しかもメロディよりも忙しい。 そして、曲がメロディとベースラインだけで構成されていて、俳句のように短い。 この簡潔な素晴らしさ! 単純化の極み! そう、Rさん編纂のバッハの69コラールは西洋音楽の俳句なのだ!と私は直観したのです。 

実は、モーツァルトベートーベンショパンリスト.....のピアノ曲は、みな、コード演奏です。 でしょ? 左手が、ドソミソドソミソとか、ドミソソミドミソソミとか、ズンチャッチャとかになってますが、これらはみな、コードをバラして弾いている、コードをアルペジエイトしているだけなんですよ。 ワルツのズン~チャッチャの「チャッチャ」なんて、モロにコンピングじゃありませんか(しかも独特のグルーブ感まである)。 だから、「クラシックピアノしかやってこなかったのでコード演奏はできません」っていう主張は、まったくもって意味不明の主張なんですよ。 だって、今まで何年もさんざん演奏してきたのに「知らない」って言うのは、「今まで音楽を全く知らずに何年も演奏してきました」って言っているのと同じだからです。 これに対して、バッハのコラールは、ベースラインも、インナーヴォイスのパートも、地味ながらそれぞれちゃんと魅力的なメロディーになっていて、それが重なった結果としてコードになっている。 4声合唱のコラールには、それが如実に出ているわけです(当然だ。合唱団のアルトやテノールに「バッハの歌は歌っていてつまんない」って言われたら、バッハの作曲家としての仕事がなくなっちゃうもんね)。 この4声合唱のハーモニーは、弦楽カルテッドやオーケストラへ受け継がれていきます。 ピアノが「一人オーケストラ」への「進化」と引き換えに失ったものが、ここにあるわけです。 

 

バッハ以降、「一人オーケストラ」への「進化」が進んだピアノでは、右手がメロ、左手がコード伴奏の曲が増えていきます。 ですから、左手の仕事がコード伴奏に特化するようになっていきます。 一方で、日常生活では、すでに、右手と左手は、それぞれ全く異なる仕事に従事しています。 日常生活において、すでに、右手と左手は全く違う動きをしていて、右利きの人においては、右手が主役の動き、そして、左手は「裏方の動き」に特化してしまっています。 これが、身体の左右差をひどくしていく。 だから、ピアノのレッスンで、ちょっと左手が忙しくなる曲をやると、左手がうまく動かない。 すると、末端の動きばかり指導される。 でも日常生活で身体の左右差が固まっているうえに、コード伴奏ばかりしてきた左手は、すでにコード演奏に特化した「伴奏用の動き」に固まってしまっているから、おいそれとうまく動かせるはずがない。 いつまでたっても、同じことを先生に注意されてばかり、落ち込む、もうピアノなんて嫌いだ! 

という、この世の地獄に堕ちていくわけです。 せっかく楽しくおんがくをしたかったのに、これでは、おんがくとは似ても似つかぬ、畜生道の無間地獄です!

しかしながら、バッハのコラールは、キリスト教の神様と天国の歌です。 歌うことが、弾くことが、魂の救済につながらなければウソです! そして、バッハは、迷える羊たちを天国に導いてくれる、蜘蛛の糸を仕込んでくれていました。 それが、メロディと同じように歌い、メロディよりも動く、「歩いたり転がったりする」左手ベースラインなのだ!と私は思うのです。 私は、このBach 69 Chorale Melodiesを、ゆっくり、ゆっくり、右手の動きと左手の動きを比べながら、自分の身体の動きを確認しながら、そして、自分の脳で考えていろいろ試行錯誤しながら、弾き続けました。 その結果、「ああ、こうやったらもっと弾くのが楽だな」という小さな気づきが積みあがっていって、少しずつ左手、というか、左腕、というか、左半身を連動できるようになってきました。 これが、やはり2年半ほど前からやりはじめた身体ほぐしと相乗効果となって、また、「この人は本物だ!」と思ったプロのピアニストの演奏動画を見るイメージトレーニング(といっても、ただ楽しく見ているだけ。「練習」とか「トレーニング」と考えた時点で、すでに失敗なのです)も相まって、今は、左手が子どもの頃よりも格段に動きます。 でもそれは、身体ほぐし&超一流のプロの動きのイメージングにより、心身がリラックスしてきて、心が天国に近づいている、その結果が、左手の動きに表れているだけなのです。 バッハのコラール集は、私の魂を救済してくれたのです。 

実は、真に私の魂を救済したのは、バッハのコラール集に着目し、それを信じて試行錯誤を続けた、私自身です。 「天は自ら助ける者を助ける」なのです。 

 

じつは、左手が動くようになったことは副次的な結果でした。 当初は、譜読みと、黒鍵ヘビーなキーに慣れるためのトランスポジションを目的に始めました。 何でもそうですが「習うより慣れよ」とは本当で、ちょっとずつでも続けていくと、だんだん慣れてくるものです。 ナイキのコピーのとおりで、Just do it. です(とても仏教的なモットーだね。禅の影響かな)。 色即是空、空即是色。 般若心経の念仏を唱え続けるのといっしょなのです。 これによって、少なくともダイアトニックでは12キーがずいぶん楽になりました。

 

ただし、バッハのコラールも、バッハの他の曲も、ジャズやポップスが好きな人にとっては、野球やサッカーをする前のストレッチと同じで、それだけでは野球もサッカーもできない、というシロモノです。 とはいえ、バッハのコラールをかじると、おもしろい気づきがあると思います。

 

それに、ジャズ好きの人も、バッハの4パートコラール(4声合唱の讃美歌)のメジャーな曲を知っていると、ジャズの理論書を読んでいて突然バッハの4パートコラールの話と譜面が出てきたときにビックリ仰天&委縮せずにすみます。 知っていれば、「あ~バッハのコラールのあの曲ね、はいはい」とサクサク読み進められます。 実際に、バッハの4パートコラールの譜面が出てくるアメリカのジャズハーモニーの理論書があります。 米英の音楽書におけるバッハの4パートコラールのネタ元は、ほぼ例外なくRiemenschneider版の本です。 青っぽい表紙の本で、ググればすぐに見つかります。 日本円で1200円ぐらいでポチれます。 でも上述のように、1ページに複数曲をねじ込んでいるため各曲の譜面が超チッコイので、Kalmus版なども買って照らし合わせながら使うとよいかもしれません。 Kalmus版もポチれます。(←2021年7月に加筆) 

 

電子ピアノやシンセなどでハープシコードの音で69 Chorale Melodies with figured bass を弾くと、非常にいい感じになって、バッハの時代の正統な雰囲気が出ると思います。 

 

クラシック音楽の理論書はもとよりジャズのハーモニーの理論書にも引用される、Rさんによる4声合唱の 371 Harmonized Choralesも、やってみると、その強力な威力が感じられると思います。 楽譜が今までとは違って見えるようになりました。 ところで、以前習った作曲の先生に「和声の課題に電子ピアノは使うな、倍音がひどいから。アコースティックピアノを使うように」と言われましたが、当時バッハは教会で、現代のピアノを弾いてなかったよ(バッハはルター派の教会のオルガニスト音楽監督だった)。 オルガンのほうが、もっと倍音がキツそうだけど。 それにアコースティックピアノは、調律をこまめにしないと音が狂っていきます。 当節、なかなか調律師さんを家の中に呼ぶ気持ちやお金の余裕も減りがちですから、電子ピアノやシンセやミニキーボードのほうが、かえって良いかもしれません(そういう意味では、オルガンの現代版で、Bを足でできるハモンドや電子オルガンはいいですね。371 Harmonized Choralesを電子ピアノや電子キーボードやシンセに入っているオルガンや合唱の音源を使って弾くと、とても神々しい雰囲気が出ます(もともと合唱用の音楽)。 ジャズオルガンの音を使うと、ゴスペルっぽい雰囲気が出ます。 ストリングス音源で弾くと弦楽四重奏になります)。

 

私は、371 Harmonized Choralesをやりはじめて2か月ほどしたときに、いわゆる中丹田とよばれるところが、生まれて初めて動き出しました。 ダンスでいうところのアイソレーションみたいな現象が起きたので、びっくりしました。 その時に、バッハのコラール集はイケる!と直観して、やったりやらなかったりしながらも、続けています。

 

バッハには何かある、と最初に思ったのは、いまから20年以上前になるでしょうか、当時の新聞に、渡辺貞夫氏が「基本に立ち帰るために、定期的に、クラリネットでバッハを吹いている」と語っている記事を読んだときです。 そのことが、ずっと、心の中にひっかかっていました。

それに、昨今、動画を見ていると、ジャズピアニストからギタリストまで、ウォーミングアップにバッハを弾いている、という人が目につく。

また、「バド・パウエルがバッハ好きだった」と書いてある記事をどこかで見かけたこともあります。たしかに、ビバップのソロは、バッハに似ている。

そして、バッハインベンションなどは、バリー・ハリス スケール(ビバップスケール)のコード弾きを彷彿とさせる(コードが脳内で聞こえる)。

「ジャズの基本はビバップ」と語るジャズピアニストの動画を見た。 ビバップはジャズの古典。 バッハは西洋クラシック音楽の古典。 古典とは、後世の進化の基盤となったもの。 両者には、古典と言われるだけの共通点が感じられる。 

グレン・グールドは、バッハは好きだったがモーツァルトが嫌いだった」という話も、おそらく、グールドは「コード演奏のピアノ曲」の凡庸さを見抜いていたのかもしれません。 このあたりに、ソロピアノ演奏の限界がありそうです。 ジャズやポピュラーのピアニストは、凡庸なコード演奏になるのを避けるかのようなソロ演奏をしたり、現代的なコードや現代的な演奏方法に解決策を模索しているように感じます。

 

 

バッハのコラールを知っていることには、別の意味もあると思います。 実は、音大出の先生よりも、東洋人でありながらクラシック音楽の根幹であるキリスト教の聖歌や讃美歌が血の中に自然に流れている人たちが存在します。 キリスト教系の私立校に通っていた人のなかには、学生時代に授業で、グレゴリオ聖歌を歌ったり、ヘンデルメサイアの合唱した人たちが少なからずいます。 そういう人が、作曲の先生から「グレゴリオ聖歌西洋音楽のおおもとなんですよ、グレゴリオ聖歌って知ってる?」と聞かれて、「はい、中学で歌っていました」と答えると、先生の方が目を白黒させてしまうわけです。 英国国教会の私立校や、カトリック校では、ヘンデルメサイアを歌うところがあります(プロテスタント校にはバッハがいますから、バッハではないかと思います)。 そういう人たちが、総合大学なり女子大なりに入ると、それぞれ異なる高校出身にもかかわらず、練習なしで、いきなりハレルヤを合唱しだして、キャンパス内でにわかハレルヤセッションができちゃったりするわけです(まるで、ライブハウスで互いに初対面のジャズ好きたちが「枯葉」でジャムセッションをするかのごとく)。 そういう中高はお嬢様校であることが多く、とくに前世紀では、彼女たちはエスカレーターに乗るかのごとくにお嬢様女子大に通い、卒業するとエリートとお見合い結婚して、欧米に駐在することが多かったのでしょう、駐在員のご婦人方のコーラスグループでは、ヘンデルメサイアから何曲も歌ったりするところもあるそうです。 中高時代に歌っていた人が多いから可能なんでしょう。 ヘンデルメサイアを合唱できることは、ある特定のお嬢様学校の出身者であることを示す、強烈な記号といえそうです。 

 

(注) バッハのコラール集には、J.S.バッハが作曲したかどうか立証できないものも含まれているようですが、それも込み込みでバッハのコラール集と呼んでいるようです。いずれにしても、英米の和声学は、バッハのコラール集と同じようにSATBを作ることです。

 

tokyotoad1.hatenablog.com

 

===2020年4月14日にアップした「バッハのコラール集の楽譜について」の記事を、以下に添付します:===

  

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先日書いたバッハのコラール集(下記の記事 ↓ )について、市販されている楽譜には以下のものがあります:

tokyotoad1.hatenablog.com

 

市販されている楽譜:

① Bach Riemenschneider 371 Harmonized Chorales and 69 Chorale Melodies with Figured Bass [G.Schirmer, Inc. distributed by Hal-Leonard]  

この本を持っていないプロの西洋クラシック音楽家はモグリと言われる本です(日本ではわかりませんが)。 米英における和声学は、この本のようにハーモニーを作ることです。 この本の唯一にして最大のネックは、楽譜の版が古いうえに細かすぎて、見ながら弾くと目に負担がかかり過ぎることです。 老眼には大変キツイ本です。 しかしながら、以下の②~④のリファレンス本になりますし、西洋クラシック音楽をやっている自負がある人は持っているべき本だと思います。 

 

② Bach 371 Four-Part Chorales Volume I & Volume II [Kalmus]

①の371曲の楽譜を拡大コピーしただけ、みたいに思える本です。 Amazonのコメント欄に、そのようなコメントがあったのですが、念のため買ってみたらやっぱりそうでした。 とはいえ、見ながら弾くには①よりずいぶんマシです。 私はAmazon USAからドルで買いましたが、日本のAmazon発送の梱包とは悪い意味でレベルが違いました(が、アメリカのアマゾンからは郵便で届くので、その点はいい。日本のアマゾンについては、「置き配」指定を解除しても「置き配」されてからというもの、一度も使っていません)。

 

③ Bach Sixty-Nine Chorales with Figured Bass for Piano [Kalmus]

①の69 Chorale Melodiesの楽譜を楽譜製作ソフトで清書したと思われる本です。 ①よりも格段に譜面が見やすいが、ページをめくらないと弾けない曲もあって、短い曲ばかりなのにページをめくることにイラつくことがあります。 1か所、①と音が違う箇所がありました。 ほかにも、大勢に影響ないものの①と違う点があります。

 

④ J.S.Bach 413 Chorales edited by Christopher Czarnecki [Seezar Publications] 

①の371曲プラス、①に含まれていない(似たような?)曲も含めて、413曲すべてを楽譜製作ソフトで清書した本です。 譜面が見やすい、各曲が1ページにおさまっている(ページをめくる必要がない)、①の番号やBWV番号と対照できる、といった利点があります。 私は371曲を弾くときはこの本を使っています。 ネックは、①では書かれているタイが書かれていないことと、①とは違う音の箇所が散見されること(タネ本違いなのか、合唱用の楽譜をモトにしているのかわかりませんが)、それから、ページ数が多いために本が重く、キーボード付属の楽譜立てでは本を支えられない可能性があることです(専用業者に持ち込んで何冊かに分けて製本し直してもらう必要があるかも)。 ①との相違点について、私は、弾く前に、①と照らし合わせてチェックしていますが、タイが省略されているほかは、音符そのものの違いは今のところは数えるほどです。  この本(④)には2つの版があります: 全曲に編集者Czarnecki(ギタリスト)さんによるコード&リードシートシンボルの両方* が記入されているエディションと、コード&リードシートシンボルが全く書かれていないエディションがあります。 Amazonのコメント欄によると、Czarneckiさん特有のコード表記が含まれているそうですが、アナリシス(楽曲分析)をやってみたい人にとっては、格好の本だと思います(各曲が短い、そして、J.S.バッハの曲という意味で)。 私は両方のエディションをAmazon USA経由で買いました。 梱包については、日本のレベルとは違うものの、発送者さんなりに一生懸命梱包したんだなぁと思いました(それに、あの忌まわしい「置き配」ではなく、郵便で配達されたので、もうそれだけで十分です)。 Czarneckiさんのバッハのコラール集への執念が伝わってくる2冊です(400曲超をよくぞ清書&分類&コード表記したなぁ...と思います。だから、多少のことは①と照らし合わせればOK、と思えてしまえます)。 

* 日本における西洋クラシック音楽でいうところの「和音記号(ただしアメリカ式のもの)」と「コード」の両方ということです。

 

私は①~④の楽譜を全部持っていますが、コロナのかなり前に買い求めたので、この記事を書いている時点における配送状況についてはわかりません。

 

⑤ Bach Scholar というサイトを運営する先生も、セレクトしたコラール曲の楽譜を出しています。 ハーモニーの勉強用に使い勝手がよさそうです。

 

電子オルガン、電子キーボード、シンセ、電子ピアノを持っているなら、4ヴォイスコラールを合唱やパイプオルガンの音で弾くと、バッハを正統な音で弾けます(電子ピアノに合唱の音源が入っている意味がようやくわかったよ)。 バッハが生きていた当時は、現代のアコースティックピアノはありませんでした。 だから、現代のアコースティックピアノでバッハの鍵盤楽器用の曲を弾くことは、実は「キワモノ」の行為なのです。 ジャズオルガンの音で弾くと、ゴスペルの雰囲気があってオツな感じになります。 69 Chorale Melodiesについては、ハープシコードの音が合うと思います。 現代的にするにはビブラフォンなどの音で弾いてみると楽しめます。

 

先日の記事にも書きましたが、バッハのコラール集は、子どもの小さい手では弾くのが物理的に不可能なので、大人、しかも片手で10度以上が届く人が弾くと、とっても楽しいと思います(私は10度が届きませんが、それでも楽しい)。 西洋クラシック音楽は言うに及ばず、ジャズやポップスを含めた西洋音楽の原点を弾いている、という愉悦を感じることができます。 本来は混声合唱の曲であること、そして混声合唱の構成上12度も出てくるので、通常の鍵盤で完璧に弾ける日本人は大変少ないですから、アコースティックピアノで上手く弾けるとか弾けないとかはハナっから問題ではありません。 本物の音楽を楽しんで弾く ー 私は、これが大人の音楽の楽しみ方だと思っています。

 

下記の記事に、Bach 69 Chorale Melodies の楽しい使い方を書きました。 私なりの使い方なので、他にもいろいろな使い方があるかもしれません。 それから、音楽は、「ぜったいに専門家の先生に習わなければならない!」と思った時点で、苦痛に変わります。 が、もしバッハをちゃんと弾きたいのであれば、ハープシコード奏者やオルガニストに習うべきでしょう(バッハのピアノ曲は、後世の誰かによってピアノ用に編集されていて、弾き方の指導もピアノ流になってしまっています。)↓:

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Bach 69 Chorale Melodies については、1日1曲アップするお百度詣りをしています(031以降は、雰囲気が出るのでハープシコードの音にしました):

 

 (パンデミックの影響によって、いままで演奏専業でやっていたプロの演奏家たちが先生業に降りてくる気配を感じます。 もともと演奏能力が極めて高いうえに、現場で鍛え上げられた海千山千のプロの専業演奏家の実地のノウハウを学べる機会が増えることが予想されます。 これは、本物の芸を習ってみたい人と、プロの専業演奏家の、双方にとって、非常に好ましいウィンウィン関係です。 第二次大戦後、旦那衆は、「伝統芸能を芸人さんに教えてもらう」という形で、伝統芸能を支援しました。 それによって、今なお存続していたり、息を吹き返したりしている伝統芸能があります。 プロ(芸鬼)による芸能芸術(エンターテインメント)は、その国の文化の結晶であり、将来的に経済価値を生み、その国に富をもたらす可能性があります。 旦那衆の「習い事」は今でもお金のケタが違いますが、それには遠く及ばないものの、誰もが、自分の好きな音楽ジャンルのプチ旦那になれる可能性があります。)

 

tokyotoad1.hatenablog.com

 

 

===以下は、2018年12月16日にアップした「バッハのコラール集」の記事です====

 

★ ピアノの先生/出版社/放送局などの方へ: このブログに記載されている内容を、レッスン目的(レッスン等で使用・販売する教材、レッスンで教える内容、宣伝等のためのブログ記事での使用等を含む、営利目的につながる可能性のある使用)やその他の目的のために、このブログの作者への事前の承諾なく無断で使用(コピー・利用・転用・流用・編集・加工・出版・頒布・送信・アップロード等)することは、原作者の権利や人格を保護する著作権法に対する違反行為です。くれぐれもご注意ください。

 

古いブログに書いた記事ですが:

 

2018年12月現在、バッハのコラールはあまりやっていませんが、クラシックなりジャズなりポップスなりヒップホップなりの、何らかの西洋音楽を、何らかの楽器でやるんだったら、早い段階で一度はやったほうがいいと思います。 それは、やっていると、西洋音楽の「いろは」の「い」を、骨の髄レベルで実感できるようになると思うからです。 バッハのコラール集をある期間弾いていると、他の楽譜が今までと違って見えるようになったからです。 それに、「『平均律』は、あなたにはまだ早いから、そのまえに、これこれをやりましょう」なんて言われて従順にそうしていると、かなりの年月が経ってしまって、ますますアタマが固くなってしまい、あの世に行ってからやることになってしまいかねないからです(もしもプロテスタントの天国が本当にあって、死んでから天国に行けたら、そこでバッハ本人から教えてもらえるでしょうが、それは死んでみてからじゃないとわからないので、現世でやれるものは現世でやります)。

 

ギターでも弾けると思いますが、音階が一列に並んでいるキーボードで弾くほうが簡単ではないかと思います。 ソプラノとベイスだけ、とか、ソプラノとアルトだけ、というように弾くと、面白さも増すと思うし、実際にとてもためになると思います。 初見の練習に使っている人もいます(動画で見つけた。「キーボード」と書いたのは、バッハはピアノを弾かなかったからです。 今のキーボードで、ハープシコードやオルガンや合唱の音で弾いた時、バッハが意図した音楽に最も近くなります)。

 

これが、西洋音楽の出汁、というか、西洋料理的に言えば、味出しのベーコンやバターや、香味野菜を煮出してつくったブローだと思います。 だから、バッハのコラール集を見たことも弾いたこともない西洋音楽の楽器の先生は、ヤバイ先生です(いい意味でヤバイ先生もいるかと思いますが、クラシック音楽を看板にしているならば、悪い意味で大変ヤバイです。 もっとも、本物のプロのミュージシャン(職業演奏家)の人たちにとっては、直接的には全く関係ありません。 彼らは、他人様がお金を払うような水準の作編曲&演奏を提供することで生活していけているわけですから、今の時代における正真正銘の音楽のプロであって、古い時代のバッハで理論武装して自分を大きく見せる必要が無いからです。) 

 

それに、おそらくは、このバッハ的なフレーバーが本質的に漂っていないことが、J-POPをJ-POPに、日本のゲーム音楽ゲーム音楽に、アニメ音楽をアニメ音楽に、日本のジャズを日本のジャズにしていると思います。 という意味では、あんまりバッハをやりすぎると、私たちの音楽の独自性がなくなるので、悪い意味でヤバイかもしれません。

 

とはいえ、Beginの歌にあるように、どんなに髪の毛を茶色に染めたって、根元の黒い色は絶対に変わらないわけで、舶来文化に憧れてどんなにバッハや西洋クラシック音楽やジャズにカブれても、日本人の音感やリズム感の本質は変わらないので、いずれにしても、日本で日本語の環境で生まれ育った人が作ったものは、鰹や昆布の出汁が効いたおしょうゆ味になるでしょう。  tokyotoad1.hatenablog.com

 

=== 20170727 にアメーバブログに書いた記事 ↓ ===

バッハのコラール集を買って、譜読みの練習にぽつぽつ弾いています:

371 Harmonized Chorales and 69 Chorale Melodies with Figured Bass (英語) ペーパーバック

 

個人的には、とてもいい本だと思いましたが、つぎのような長所と短所を感じます:

 

① 値段が安いわりに、4声合唱曲が371曲、2声が69曲入っていて、お得感がある楽譜がとても細かくて見づらい。

 

② 1曲1曲が短くて(10小節くらいの曲もある)、4声の演奏の練習を気軽にできる楽譜がとても細かくて見づらい

 

③ 和声学のネタ本のひとつと思われるので、何度も弾いていると、西洋音楽の大もとである和声を感覚的につかめるようになるかもしれない楽譜がとても細かくて見づらい

 

④ 楽譜がとても細かくて見づらいので、目を凝らして楽譜を見て弾くから集中力が高まるのかわかりませんが、なんとなく譜読みが上達してきたような気がする  

 

そして、ありんこ🐜のような音符を凝視していると、目の筋肉が一生懸命フォーカスを合わせようとしているのを感じ、視力回復トレーニングをしているような心持ちになるので、衰えゆく眼力の訓練という副次的効果も期待できるかもしれません

 

そんな細密な楽譜を凝視して練習したあとに普通の楽譜を見て弾くと、オタマジャクシが巨大に見えて譜読みがとても楽に感じる。 そういう意味で、バッハのコラール集はひとつの荒行のようです

 

⑤ ずっと練習した直後に、何かアドリブで演奏をすると、そこはかとなく 〽バッハ節 が出るので、ぜんぜん違う曲を弾いて中和する必要がある

 

もとの記事:

https://ameblo.jp/tokyotoad/entry-12296268204.html?frm=theme

 

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