ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノが上達するための秘訣(①クラシックピアノの場合と②ジャズその他の場合)

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2020年9月2日にアップした記事がとても長いので、

前半部分を「ピアノが上達するには」というこの記事に、

後半部分は「クラシックピアノからジャズピアノへ転向できるか? - おんがくの彼岸(ひがん)という記事に分けました:

 

以下は、前半部分「ピアノが上達するには」です:

 

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2020年8月末で、私が身体をほぐしはじめて丸3年が経ちました。

今現在の考えや所感を記録しておこうと思います:

 

ピアノが上達する秘訣は

 クラシックピアノの場合 身体を鍛える。そして、必要に応じて体重を増やす。

 ①以外(ジャズ・ポップス・フュージョンなど)の場合: 脳を鍛える(←同一人物が作編曲も演奏も行う/演奏に即興演奏が含まれるので)。ジャズなどの場合は、脳がある程度鍛えられたら、セッションに参加する。

 現代音楽の場合 作曲家の作品を忠実に再現する行為については①と同じ、演奏者による即興演奏が含まれる場合は②と同じ。  

 

今の時点で、そう思っています。 

以下、①と②について詳しく書きます:

 

①  クラシックピアノが上達するためには 身体を鍛える。そして、必要な場合は、体重を増やす。

クラシックピアノをやっている人は、いつかは、有名な作曲家が作った華々しい難曲を華麗に弾きたいと望んでいると思われます。 そのためには、楽譜のとおりに間違いなく弾けることが一丁目一番地です。 

この、「楽譜のとおりに間違いなく弾ける」ための必要条件が、「偉大な作曲家が作った偉大な音楽を楽譜のとおりに間違いなく再現できることを可能にする身体スペックと運動能力」です。

ここでは、楽譜の音符と鍵盤の位置のリンクができているか、や、手を広げたときに何度まで届くか、といった、根本的なハードルがありますが、それをクリアーしたと仮定して、

演奏のためのメカニカルな技術は、身体スペックと運動能力に直結しています。 ピアノを演奏するために十分な運動能力がある人は、楽譜を再現演奏する際に運動的な理由でつまづくことが少なく、筋肉の仕事を伴う打鍵の調節もしやすいため、表現を磨くステージへ進むことが容易です。 

ピアノは身体を使って弾きます。 残念ながら、念力では鍵盤は動かない。 どんなに高いIQを持っていても、知能では鍵盤は動かない。 先生からどんなに有難い技術指導を頂戴して、どんなにそれを脳内で把握していても、十分な運動能力がなければ実行することが困難、というか、その時点では不可能です。 難しい、イコール、現時点では無理。不可能。できない。 これは、スポーツをはじめ身体を使って結果を出す活動の現実です。 投球フォームをアタマで完璧に理解していても、マウンドからキャッチャーミットまで投球が届かない、そんなピッチャーに、カーブの投げ方やバント守備を教えても、不毛で無意味です。 ピアノの運動的側面も同じです。 フィジカルな土台が不十分だと、高速のパッセージやワイドレンジのアルペジオの演奏でつまづいたり、打鍵の音量や音色をうまく調節できない。 だから、「楽譜どおりに間違えないで弾く」段階で悲壮に練習練習また練習することになる。 しかしながら、そもそも基本的な運動能力が足りていないので、何度やっても上手くいかなかったり、上手くいったときと失敗したときのパフォーマンスのバラツキが大きい。 先生からはいつまでたっても同じことを注意され、それが追い打ちになって、ますます悲壮に練習練習また練習ハノンハノンハノンハノンを何時間やってもできないできない、あ、たまにできた!でもまたできないできないできないできない....ということになって、やがて、心身ともに疲弊していきます。 

この状態が、負の連鎖・ダウンスパイラル・地獄です

この恐ろしい地獄を抜けるためには、そもそも最初の段階で、地獄に入らないようにして、最初から天国に入るようにする。 

そのためには、最初の段階で、運動能力が十分に足りていれば、出口の見えない悲惨な地獄を回避することができます。 (←ピアノ教師や訳知り顔の古参のピアノ愛好家に脅されて(=呪いをかけられて)全身マヒ状態の演奏イップスにならない限りは。もし脅され呪いをかけられそうになったら、「ああこの人は、劣等感で心が地獄に堕ちているから他人にマウントを取ろうとする、哀れな地獄の餓鬼(ガキ)だ」と思って即スルーすると同時に、地獄がこちらに伝染しないように近づかないようにします。心の地獄は某疫病と同じで、濃厚接触者に伝染します)。

 

そもそも最初の段階で天国に入る。これは、何もピアノに限らず、人生のあらゆる面に通用します 天国とは、現世におけるポジティブで幸せな連鎖のことです。 最初からプラスの循環に入れば、プラスが複利で増えていきます。 マイナスの循環に入ると、マイナスが複利で増えていきます。 「あらゆる物事には加速度がついている」というのが、私が中学時代から40年間痛感してきた、私の人生訓です。 物事や運命にも重力があるようで、車輪を前向きに回し続けることは、それなりに力が要ります。 しかも、人生は、ゆるやかな上り坂みたいです。 だから、ちょっとでも車輪を回す手を休めると、運命の車輪は減速⇒停止⇒後ろ向きに回り始める。 この状態が地獄の始まりです。 ひとたび地獄のサイクルが始まると、そっち方向に加速度がつくので、抜け出すのがどんどん大変になる。 だから、運命の車輪がちょっとでも後ろに回り始めたら、全力で踏ん張って前に回すようにします。 自動車の坂道発進のように、ローギアでアクセルをいっぱいに踏み込んで、ものすごい抵抗を感じながらも、とにかく、ちょっとでも前に動かすようにします。 地獄の餓鬼たちが、地獄の仲間を増やそうと、ネガティブな言葉を投げかけてタイヤに取りすがってきても、彼らに構っている余裕はありません。 人生には限りがあります。 餓鬼たちの共依存に付き合っているラグジュアリーは、私には無い! アクセルをめいっぱい踏み込んで、足元にすがりつく彼らをぶっちぎって発進します。 てんでんこ。 なにはなくとも、まずは自分が生き残って自分の運命を前に回すことが、世のため人のためです。 世の中に厄介をおかけする人間が一人減るからです。 そうじゃないと、晴れの日も雨の日も黙々と地道に必死に生きて各々の車輪を前に回している人たちの集合体である世の中に、厄介をおかけする身に堕ちてしまいます。

 

話を戻して、 

身体運動能力のアップがピアノの演奏にプラスに働くと思った理由は、

ここ1か月ほど前から、ピアノを弾くときに、演奏が運動的に明らかに確実になったのを実感したからです。

いままで何年も弾いてきて、できないできない...、けど、ま、いっか!いつかできるようになるかも? みたいになっていたことが、ふいにできるようになった。 

何と形容してよいかわからないのですが、手のひらの中に力がみなぎるようになってきて、腕の位置も決まってきた。そして、指の動きも力強くなって、シュアな打鍵ができるようになってきた。 音も良くなって、音の調節もしやすくなった。

すると、それに応じて、自分の演奏に、さらに自信がでてきた。 できる!と思えるようになってきた(←何をするにも、これがいちばん重要なことです。自信は天国の始まり、劣等感は地獄の始まりです)

どうしてかな?と、理由を考えてみたら、思い当たるふしがあった。

というのは、3年前から健康のために身体をほぐすことを続けていましたが、昨今の疫病禍による家ごもり生活に乗じて、春ごろから、自重を使った整体のボディーワークを始めて、ほぼ毎日続けるようになりました。

そのせいなのか、最近、腕や脚が太くなり、体重が増えた、と同時に、身体も柔軟になってきました。 

そこで、私は、ようやっと、自分のこととして悟りました。

全身に筋肉と体重があって、身体が柔軟だと、こんなにも弾きやすいのか!

何年も前にピアノ会によく参加していた頃のことを思い出しました。

ピアノ会では老若男女、さまざまなピアノ愛好者たちが次々に弾きますが、

全般的な傾向として、

男性の方が女性よりも、芯のある力強い音がする、

若者のほうが高齢者よりも、ハリのある伸びやかな音がする、

大柄な人のほうが、小柄な人よりも、力強い音がする。

同じ背丈の場合は、太った人の方が、痩せた人よりも、力強い音がする。

小柄で痩せていて若くない人は、音にハリがなくボソボソした音になる(どんなに指が回っていても)。

と感じていました。

もちろん、例外もありました。

小柄で中肉中背の女性で、演奏姿勢と動きにブレがなくて、とても芯がある音で強弱もしっかり出せる女性がいました。この人は、何かスポーツをしていると言っていました。立ち姿も芯が通っている感じで、話し声の音質も良かった。加えて、小柄で手が小さいフィジカルでどうしたら良い演奏ができるか工夫する気持ちがあるんだと思う。ハンデは工夫を生む。

逆に、

大柄で巨大な大福餅のように太った女性で、芯がブレまくりの単にやかましい音のベートーベンを長時間気持ちよさそうに弾く人もいました。食べてばっかりで単にものすごく太っているだけの人なんだと思います。姿勢も悪く、話し声の音質も良くなかった。でも、いいんです、楽しく弾くのがいちばんなので、当人が楽しく気持ちよければ、それが一番なんです(プロはそうはいきませんが)。

このような例外もありますが、典型的には、

身体が大きくて若い人のほうが、ピアノをスポーツ的に弾くのに有利な傾向があります

ピアノは宙に飛び上がったり空中回転をしながら弾くものではなく、

地面に貼りついた岩のような楽器(アコースティックピアノの場合)を、弾く方も地面に貼りついて弾きますから、

重くて筋肉の仕事量が多い人間のほうが運動的に有利なのは自明の理です。

 

女性の場合は、総じて、筋肉をつけると、太って見えるのではないかと思います。 女性がピアノを弾くのに理想的な体形は、女子プロレスラーの体形だと思います。 投げ技・寝技・蹴り技・空中技の総合格闘技なので、全身の筋肉がまんべんなく発達していて、身体が柔軟で、しかも、ある程度の体重がないとパワーが出ない。 ピアニストも、巨大なアコースティックピアノと張り合えるぐらいの物理的な存在感とパワーが必要だと思います。 日本人のクラシックの女性ピアニストで、二の腕が女子プロレスラーのような人もいます。 女子プロレスは最も激しいスポーツのひとつだと思いますが、選手たちは体重が減らないように食べるので、無月経などの女性にとって極めて不健康な身体になることが多い審美系のスポーツ種目よりも、よっぽど健全だと思います。

長与千種さん主催の女子プロレス団体のトレーニングの動画を見たら、瞬発力や持久力アップの訓練だけじゃなくて、相手に技をかけたり、相手の技を外すために、手首や指を巧みに使う訓練もするんだね。指までパワフルかつ器用。彼女たちがピアノを弾いたらとてもいい音が出ると思う。) 

 

体格・体重・筋力・運動能力・柔軟性・体力が、じゅうぶんにあると、ピアノ演奏の運動面での苦労が格段に減ると思います。

 

Mattさんていう方がいますが、独学でピアノをマスターしたそうですね。 そう思いますよ。 紅白でちょっと見ただけですが、あんな化粧顔をしているけど、背が高くて体格もがっしりしているうえに、とても良い姿勢をしていた。 それもそのはず、PL高校のエース⇒元巨人の投手だった桑田真澄さんの息子さんなんでしょ? プロ野球選手は、普通の人間ではない(梨田さんが重症のコロナから生還したのは元プロ野球選手だからだと思う。普通の人間なら速攻であの世へ行っていたと思う)。 話をもどすと、桑田真澄氏の息子のMattさんは、身体的&運動的に最高の血統ってことです。 血統が最高なうえに、子どもの頃から、同じ家の中に身体操作の最高のお手本がいて、それを見て育ったんですから、ピアノじゃなくても何をやっても上手くなったと思いますが、桑田真澄氏は、選手時代に故障のリハビリにピアノを弾いていたそうなので、その影響もあったのかもしれません(PL高校⇒当時の巨人でしかもピッチャー(手指への注意や全身の動力伝達の意識が鋭い)の桑田真澄氏のリハビリピアノは、そこらへんの「自称プロ」が吹っ飛ぶぐらいの腕前だったに違いない)。 最高のフィジカルがあれば、演奏技術で苦労することが各段に減って、音楽語のマスターや作曲/編曲/即興演奏という頭脳プレーに直(ちょく)に行けますからね。 フィジカルが貧弱で上手く弾けなくてできないできないできないできない.....という、無限ループに陥って永遠に出てこられない、という地獄を最初の段階でパスできますから。 

ピアノの演奏は、パソコンのキーボードを叩くのとは違って、キーにはそれなりの重さがあり、また、片手で一度に複数のキーを叩くことが多いので、それだけ力が必要です。 何オクターブにもまたがるような速いパッセージや、オクターブ超えのアルペジオ伴奏をミスタッチなく弾くためには、上半身や腕が安定していることが必要です。 音量や音質を思いどおりに変えて弾くためにも、身体の安定が必要です。 身体を安定させるには、筋肉が必要です。

さらに、ピアノはふつう椅子に腰掛けて演奏しますから、全身を効率的に使うことが難しい。 野球のピッチャーが、椅子に腰かけてマウンドからピッチングするような動作効率になります。 身体の動作効率が大きく制限されるわけです。 だからこそ、全身のフィジカルが重要になってくると思います。 

そういうわけで、活躍している一流のピアニスト/キーボーディストには男性が多いのだと思います。また、痩せている人をあまり見かけない。 若いころは痩せていても、中年以降になると太ってくる。 プロ野球の主砲選手が、若いころは外野を守っていたのに、中年以降になると太り始めてファースト守備やDHになるのは、若いころは筋肉も若くてパワーがあるけれど、歳とともに筋肉が老化してパワーが出なくなるので、筋肉を鍛えたりプロテインを飲んだりして、筋肉を大きくすることでパワーを維持しているのではないか?だから太って体重が増えて、ファーストやDHに転向するのではないか?と勘ぐります。 それとおなじような筋力増強による体重の増加が、中年以降のピアニストにも起きていると思います。 中年になっても痩せている一流のプロのピアニスト/キーボーディストは、人並み外れて背が高い、あるいは、腕の筋肉の発達が目につきます。

プールで何時間も泳ぎ続けるプロのクラシックのピアニストもいます。 筋力や体力の強化と維持のためなのでしょう。 小柄な男性のピアニストで太っているように見える人もいますが、あれは、筋肉の量で太っているように見えるだけなんでしょう(おそらく、プロレスラーみたいな体形なんでしょう。痩せたプロレスラーはいませんからね(例外はジャイアント馬場さんぐらいか?))。 小さくてやせっぽちの身体&か細い指や腕でハノンを何時間もやってできないできないできないできない....って悲愴に練習し続ける行為は、最初の段階ですでにトンチンカンなんです。 ピアノを毎日何時間も練習すれば必要な筋肉はできてくる、という可能性については、わかりませんが、そもそも体格が立派で筋肉が全身にじゅうぶんにあれば、できないできないできないできない....な段階を軽くすっ飛ばすことができる、そう思います。 

軽くすっ飛ばすことができる状態は、ブルグミュラーでもリストでも、何でも同じ運動クオリティで弾ける土台があるということです。 すっ飛ばせない状態では、ブルグミュラーでもリストでも、何を弾いても同じ運動クオリティでしか弾けないことになります。 そうであれば、人生の残り時間が短くなってきた大人は、弾きたい曲に直に行くほうが、この世に未練が残ることが減ると、私は思います。 落語が趣味の素人が「寿限無」を演っても「芝浜」を演っても、プロの名人による「寿限無」や「芝浜」と雲泥の差なのは、個人のスキルはネタに関係なく変わらないからです。 趣味の落語で「芝浜」を演る人がもしプロになるために真打の落語家に弟子入りした途端に、今度「芝浜」を高座にかけられるのは最短で二十年ほど先になりますが、プロの落語家にならずに素人のままでいれば、今すぐ「芝浜」を演るのに何の遠慮も要りません。ええ、プロ30年歴の噺家の高座と比べるまでもない、耳を塞(ふさ)がんばかりのヒドイ出来に違いありませんが、金銭収支がマイナスの「持ち出し」で演るシロート芸なんですから、本人が楽しければそれでいいんですよ。 

 

上記のことは、目や耳で得た情報をもとにちょっと考えれば自明の理なのに、どうしてそれに気がつかない人が多いんだろう? 多くの人は高校も出ているのに、物理や生物の授業は全く役に立たなかったっていうことだ。 私もこの年になって、ようやく実感としてわかったよ(トホホ...、とはいえ、生きているうちにわかっただけで御の字だ)。 目が見えても、見えない。 耳が聞こえても、聞こえない。 頭でわかっていても、わからない。 何かの理由で、無意識のうちに、見なかったことにする、聞かなかったことにする、知らなかったことにする。 認めたくないから、認めないんだ。 そのほうが、自分に都合がいいように思っていられるから。 そのほうが、楽だからね。 でも、楽は苦労。苦労は楽。

 

クラシックピアノを習う場合は、自分と同じような背丈の人から習う方が参考になる、と思います。 先生が弾く音のような音で弾きたい場合は、先生の身体の特徴をよく観察して、自分も同じような身体になって習うと、より効果的だと思う。 体格・体重・筋力・柔軟性といった、身体スペックを似せれば似せるほど、それだけ、先生の音のような音を出す条件が整うからです。(もし身体スペックが同等なのに先生のように弾けない場合は、メンタル面への「呪い」がパフォーマンスをブロックしている可能性があります。どんなに身体スペックが優れていても、「私はピアノが下手だ。上手く弾けるはずがない」と思っているうちは、身体が呪縛で固まって、絶対に弾けません。)

逆を言えば、あまりにも身長が異なる先生から習うことは、効果的ではないかもしれません。 だって、仮にネズミが丸々と太ってもゾウの身体感覚がわからないし、ゾウがいくらやせ細ってもネズミの身体感覚がわからないからです。 その人の身長と体重と同じになってみないと、その人が地上で生きる身体感覚を想像することは不可能だからです。 

 ↑ 上記は、ピアノ演奏の身体運動的な技術に関することであって、音楽理論や即興演奏のし方といった頭脳的な内容を習う場合は、先生の身体スペックは全く関係ありません。 頭脳的な内容に死活的に関係があるのは、先生の脳の中に存在する知識やノウハウです。

 

それから、人間は、20代をピークに、老化していきます。 30代や40代の頃は、まだ無理が効きますが、50代に入ると身体の衰えをはっきり感じるようになる人が多いと思います(私がそうです)。 物覚えも若いころのようにはいきません。 今日より明日のほうが身体コンディションが悪くなっている可能性のほうが、ずっと高い。 そんな中高年が、「あなたが弾きたい曲は今のあなたには難しい(=無理だ)から、まずバイエルやツェルニーをしっかり練習して、5年後に弾けるようにしましょうね」なんて55歳の時に言われたら、5年後の60歳には、55歳の今よりも、確実に身体が老化しています。 今日よりも明日の方が確実に身体能力が上がっていくお子様といっしょにされたら、たまらねーよ!

以下は、2018年7月28日にアップした、

体型と演奏姿勢によるピアニストの分類を試みた - おんがくの彼岸(ひがん)

に2020年8月に追記した内容ですが、こちらの記事にも添付します: 

2020年8月追記:

女性の場合は、男性に比べてどうしても全身の規模と基礎体力で劣るので、ピアノで男性並みの音を出すには、ある程度筋肉と体重を増やす必要があると思う。 そうしないと、ルノワールの油彩画にあるようなお嬢様のお手習いのレベル(素人の音)から脱皮することができない。 身体の規模と基礎体力を強化するには、女子プロレス女相撲のトレーニングと食事が適しているのではないかと思う。 彼女たちは、非常に激しい身体訓練を毎日こなしながら、食べて太ることもしている。 筋肉の量と体重を増やすことで、瞬発力と同時に持久力も上げているんだと思う。 逆を言えば、女子プロレスラーや女力士たちがピアノを弾いたら、ピアノという楽器のポテンシャルを大きく引き出せるはずだ。 女子野球やソフトボールのパワーヒッターや、女子バスケの選手も、瞬発力と馬力を併せ持っているので、同じように良い音で弾くだろう。 

そう思うのは、ピアノ会でピアノを良い音で弾く女性はたいてい、小柄で太っているか、背が高くてデカイという印象があるからだ。 身長にかかわらず、痩せている女性は、胴体もか細く、腕もか細く、指もか細く、結果として音がか細いか、あるいは、音のコントロールがうまくできずに音が悪い、という印象がある。 さらに、小柄で痩せている中年以降の女性は、どんなに指が回っても音がボソボソと濁って聞こえる。 これは、中年以降は筋肉の老化が進んで、キーを叩く瞬発力が衰えるためではないか?と勘ぐっている。 野球では、バッターのスイングが高速で、かつボールを芯でとらえて打つと、「カーン!」と爽快な音がして、ボールの飛び方も伸びがあってギューン!と飛んでいくが、そうじゃないと、打球時に「ゴン...」と濁った音がして、ボテボテのゴロになるか、ボールの飛び方に伸びが無い。 それと同じことが、常時鍵盤上で起きていると思う。 (とても小柄で、太ってはいないが痩せてもいない女性で、ピアノを力強い芯のある素晴らしい音で弾いた人が一人だけいた。 その人は、何かのスポーツをしていると言っていた(何のスポーツかは忘れた)。 確かに、立ち姿がしっかり地面をとらえて、演奏する動作も体軸が定まっているように見えた。) 

女性の場合は、男性より筋肉量が少ないので、体形の差が明らかに音に出る印象がある。 単に大食いで太っているのではなく、筋肉が発達している結果、太って見えることがポイントだ。 単に大食いで太っているだけの女性のピアノ演奏は、音がやかましいだけで、音に芯が無い。 

素人のピアノ会ですら、そのような傾向が見られる。

ピアノに魅せられた女性は、一般通念における女性美を捨てることによって、美しいピアノの音を手に入れられる。 しかしながら、女相撲の力士や女子プロレスラーのほうが、根本的な意味で美しいのではないか? 真の美しさは、強さから発するのではないか? か弱さから発せられるのは、はかなさ、頼りなささだ。 はかなさ、頼りなささは、女性と関連づけられるが、見た目がはかない女性は、性格的には全くはかなくなくても、身体運動的には、はかなく、頼りない結果しか出せない。 ドライバーがどんなに強気で好戦的でも、軽自動車に乗っていたのでは、温厚で内気なドライバーが運転するフェラーリに絶対にかなわないのと一緒だ(クルマだって、エンジン音からしてぜんぜん違う)。 

それから、女性は、同性の女優やアイドルの美醜を、彼女たちの顔や痩せ具合で判断するが、男性は女性の魅力を別のところに見ているような気がする。 太った女性の土偶は、太古からの根本的な女性美を象徴する。 最も基本的な美しさとは、健康に生まれ育って健康な子どもを産んで産後のひだちも良く健康に長生きできることだ。 「美」は「羊」が「大きい」こと。 減量に血道をあげて痩せこけた身体に、染めた長い髪をアイロンでクルクル巻きにしてアイシャドウを塗りたくってハイヒールでおぼつかなく歩き頭痛薬や便秘薬やストールが欠かせない女性は、女性本来の美しさが全く無い。 アフリカでは太った女性がモテると聞いた。 「秋田美人」という言葉は、江戸時代の小氷期に東北が飢饉に見舞われた際に、食べ物が藩内の庶民に行き渡っていた秋田には肉付きが良く健康的な女性が多かった(生き延びる確率が高く、元気な赤ちゃんを産める⇒社会の繁栄につながる)ことが、その語源であると、以前テレビを見て知った。

女子プロレス女相撲は最も激しいスポーツだが、選手は食べて体重を維持している。 無月経など女性にとって極めて不健康な身体になることが多い審美系のスポーツ種目よりも、はるかに健康的だ。  

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ピアノが上達する秘訣

  クラシック以外(ジャズ・ポップス・フュージョンなど)の場合

以下 ②については、ジャズピアノを中心に書きます(が、ポップスやフュージョンやロックなどの他のジャンルも総じて同じだと思います、というのは、プロの世界では、これらのジャンルを複数掛け持ちすることが多いからです):

 

ジャズピアノが上達するためには 脳を鍛える。そして、脳がある程度鍛えられてきたら、セッションに参加する。

クラシックピアノと違って、ジャズピアノが上達する秘訣は、まずは西洋音楽語をマスターして自分で西洋音楽語をある程度話せるようになってから、リアルな状況で音楽語コミュニケーションの武者修行を重ねることに尽きる、と思います。 外国語をマスターするのとまったく同じだと思います。

ジャズピアノでも、クラシックピアノと同じように体格や体重や筋肉があれば、表現の幅が広がりますが、そもそも、音楽語を使ってある程度自己表現できないと、ジャズの入り口にすら入れませんから、外国語をマスターするかのごとく、覚えて覚えて覚えまくって、自分の言葉でどうにか話せるようになることが、一丁目一番地です。 じゃないと、ジャズの本分であるセッションで、他の楽器の演奏者たちと上手く掛け合い演奏ができずに、共同で音楽を創れないからです。

 

クラシックピアノを子どもの頃から何年もやってきてリストもラフマニノフも弾けるのに、大人になってから、「ジャズピアニストが楽しそうに演奏するのがいいな~って思って」とジャズをかじってみて挫折する人が多いことの理由が、ここにあると思います。

下記の記事に続きます ↓:

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