おんがくの彼岸(ひがん)

大人の独学ピアニストtokyotoadのブログ

クラシックピアノからジャズピアノへの転向は難しいか?

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記事:ピアノが上達するには - おんがくの彼岸(ひがん)

からの続きです①クラシックピアノが上達するためには については、上記の記事に書きました。

 

ジャズピアノが上達するためには 脳を鍛える。そして、脳がある程度鍛えられてきたら、セッションに参加する。

クラシックピアノと違って、ジャズピアノが上達する秘訣は、まずは西洋音楽語をマスターして自分で西洋音楽語をある程度話せるようになってから、リアルな状況で音楽語コミュニケーションの武者修行を重ねることに尽きる、と思います。 外国語をマスターするのとまったく同じだと思います。

ジャズピアノでも、クラシックピアノと同じように体格や体重や筋肉があれば、表現の幅が広がりますが、それよりも、まず第一に、音楽語を使ってある程度自己表現(=即興演奏)ができないと、ジャズの入り口にすら入れませんから、外国語をマスターするかのごとく、音楽語の言い回しを覚えて覚えて覚えまくって、自分の言葉でどうにか話せるようになることが、一丁目一番地です。 じゃないと、ジャズの本分であるセッションで、他の楽器の演奏者たちと上手く掛け合い演奏ができずに、共同で音楽を創れないからです。

 

クラシックピアノを子どもの頃から何年もやってきてリストもラフマニノフも弾けるのに、大人になってから、「ジャズピアニストが楽しそうに演奏するのがいいな~って思って」とジャズをかじってみて挫折する人が多いことの理由が、ここにあると思います。

 

 楽譜どおりに演奏する行為は、即興演奏ができるほど音楽語が堪能じゃなくても、けっこう簡単に出来てしまうからです。 楽譜という視覚的な情報を、鍵盤上の位置情報や強弱情報に変換して音を出す行為ですから。  英語の教科書はスラスラ音読できるのに、英語で自由に話せないのと、同じことです。  もっと言えば、英検2級で英文タイプ能力が70ワード/分の人と、TOEICが満点で英文タイプ能力が50ワード/分の人の、どちらが英語の能力が高いか?と同じことです。 英検2級では、英語で自由自在に意思疎通することは不可能ですが、英文の原稿をタイプする能力は、視覚情報(アルファベット)をキーボード上の各文字(a, b, c...)の位置情報に脳内で条件反射的&機械的に変換してタイプする能力ですから、その英文の内容を理解できるかどうかに関係なく、英文タイプを練習すれば向上します。 もちろん、英検2級で英文タイプ能力が70ワード/分の人が、原稿を機械的にタイプするのではなく、自分の頭に浮かんだ考えや意見を文章にタイプしていく場合のタイプの速度は、辞書を引き引きになると思いますから、タイプのスピードが途方もなく遅くなったり、ものすごくザックリとした内容しか書けなかったり、文法的な間違いが多くてネイティブにとっては読みづらい不自然な英文になるでしょう。 英語である程度自由に自分の言いたいことが言えるようになるためには、英語の教科書の何千倍の量の英文を読み書き聞いて、人前で何度も何度も、何度も何度も恥をかいて、英語に馴れていくことが必要です。 その蓄積があってはじめて、ブロークンなお子様英語ではない、英語の文法に基づいた、まっとうな大人が一般に話すレベルの英語で、自分の意志や考えや要求を伝えることができるようになります。これが、プロのジャズミュージシャンのレベルだと思います)。

 

「そんなことはない!私は、クラシックピアノしか習ってこなかったけど、ポップスを聞いただけでピアノで自由にアレンジして演奏できる!」

 

はい、そういう人、たくさんいます。私もそうです。

 

それができても、ジャズが弾けないのは、どういうわけなんでしょうか?

そしてそもそも、そのポップスなるものの演奏は、ポップスに聞こえているんでしょうか?

 

西洋音楽語は、日本語や英語などの言語と同じように、時代とともに変化してきました。

 

クラシックピアノで使われる音楽語は、さしずめ、

「拙者親方と申すは、お立合いの中にご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて青物町を登りへおいでなさるれば....」と同じノリ。

一方、ジャズなどの20世紀以降の西洋音楽は、ちゃんと訳せませんが、

「私が「社長」と呼ばれる所以(ゆえん)を、見物の皆さまの中にはご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、まずは自己紹介をいたします。東京を出発して大阪方面に向かって80kmほどにある、神奈川県小田原市一色町を過ぎて、青物町を上っていくと....」

を、

昭和の戦後後期であれば、さだまさし風ギター弾き語りで、

21世紀だったら、ライムを盛りに盛ったヴァースにアレンジして、

というふうに、

意味は同じで、同じ日本語でも、単語や言葉づかいや話すリズムが違います。 現代の日本語は、江戸時代から大きく変化しているのです。 

だから、尾上菊之助さんは『下町ロケット』の中で、現代語で話したのです。 本業の歌舞伎の舞台で話す言葉を話したら、時代考証的に超場違いだからです。 イギリスの現代テレビドラマでシェイクスピア英語で話したら超場違いなのと同じことです。

 

西洋音楽も同じです。 

だから、クラシックピアノを何年、何十年続けていても、いや、むしろ、何年も何十年も続けていればいるほど、クラシック方言、というか、クラシック訛りがキツくなってしまって、ジャズ方言をちょっとかじったらできるようになるどころか、ジャズからどんどんどんどん遠ざかっていってしまう。

日本で、関東の人が関西に引っ越して、関西語をマネて話しても、何年たってもネイティブ関西語スピーカーと同じレベルで話せないのと、同じことですし、その逆もまた然りです。 

言葉の訛りには、使う単語や言い回し、アクセント、そして、リズム感の違いがあります。

同じように、クラシック方言とジャズ方言の間にも、使うコードやフレーズの音構成や、アクセントやリズム感に違いがあります。

ところが、クラシックピアノを子どもの頃から長年やってきた人には、たいへんなプライドがあります。 「クラシックピアノが弾ける、イコール、音楽語を当たり前のように知っている」と思っている。

だから、ジャズの即興演奏を、右手で簡単なフレーズを作ることから教わり始めると、「私はリストの難曲をバラバラと弾けるのに、こんな簡単なことから始めなければいけないの?」と、内心思うのではないでしょうか。 (でも、アドリブできないんでしょ? できなければ、そこから始めるしかないんだよ...。) 

「そして、この「リードシート」という楽譜。メロディーとコードしか書かれていないじゃない? それに、何?この題名のカジュアルな文字フォントは?」と、昔ながらの荘厳な文字フォントの題名の下にオタマジャクシがおびただしく整然と並んだクラシックの名曲の楽譜を思い浮かべては、比較してしまって、ポップな文字フォントで曲のタイトルやリードシートシンボルが書かれているThe Real Bookなどのリードシートに有難みを感じられない。(楽譜崇拝がものスゴいんだよね。でも、そのリードシートって、音大でやった和声学のカンタス・ファーマスみたいに見えない? そう、メロディーラインしか与えられてなくて、あとのヴォイスリーディングはお前が作れ!ってやつにさ。)

「しかも、左手は和音を弾くことばかり。何て単純なのかしら?」 そうですか?そのコード、クラシックで弾き慣れてきた和音と違うでしょ? あ、その音は、ジャズのコードではあまり弾かないんですよ。ってことを、教えられてあるいは独学で知って頭ではわかっていても、いざ鍵盤をたたくと、クラシック訛りがぬか漬けの匂いのごとく染みついた指先が、どうしてもクラシック訛りの音を弾いてしまう。

さあ、このクセを直すのが大変です。

あたかも、子どもの頃からずっと大阪で育った人が、東京に移り住んで東京語で話す訓練を始めるようなもの(あるいは、その逆)です。

そして、その大阪出身の人は、東京言葉で話せるようになるでしょうか?

東京出身の人は、大阪語で話せるようになるでしょうか?

なれます。 訛りは残りますが、なれます。

これから、新しい土地の人間になりきって、そこでずっと生きていく覚悟があれば。

ネイティブスピーカーのレベルにはならないものの、話せるようになれます。

慣れ親しんだ故郷を捨てて新天地で骨を埋める覚悟があれば。

言葉は、文化です。 文化は、その人の魂とプライドの拠り所です。

異なる言葉を流暢に話せるようになるには、今までの魂とプライドの拠り所を、たとえ数年間でも捨て去って、その言葉の文化の中に身を投じて、どっぷり浸かることが必要です。

それを捨てる覚悟があれば、東京人であっても大阪語を、大阪人であっても東京語を、かなり流暢に話せるようになれます。

音楽も同じです。

クラシックピアノからジャズピアノに転向するためには、今まで信仰してきたクラシック方言を否定して、ジャズ方言に改宗して、イチからジャズ方言にどっぷりつかっていく。

イチからジャズ方言にどっぷりつかるためには、具体的には、短いフレーズやコードを鍵盤で弾いては間違え、間違えてはまた弾きなおし、弾きなおしてはまた間違え、また間違えてはまた弾きなおし....を続ける。 子どもの頃からずっと弾いてきた、良く見慣れているはずの鍵盤を見つめながら、おぼつかない指で、もたつきながら(じつは、おぼつかなくてもたついているのは、指じゃないんだよね)。 自分のどこかがおぼつかないもんだから、間違えまくるうえに、打鍵のタッチや音色に気をつかって弾くどころではない。 ショパンやリストが作った曲の楽譜を見ながらだったら、あっという間に指をコロコロと動かして華麗に弾けるのに! さらに、ピアノに向かわない時間は、ジャズの曲を聴きまくって、プロのアドリブ演奏を自分で譜面に耳コピして、アドリブのフレーズ(リック)を楽譜無しで弾けるようにする。 それを、時間がある限りいつも、繰り返し続けていく。 

そのうちに、たぶん、「こんな練習ばかりしていては、指が動かなくなって、大好きなショパンやリストが弾けなくなる!」

という、高速で指を動かすための練習の時間が蝕まれることに対する焦りが生まれてくる。 

アイデンティティ・クライシスの瞬間です。

そのとき、どちらを選ぶのか?

 

だから、クラシックピアノ経験者が大人になってジャズピアノをやってみて挫折することが多いんです。

 

ジャズピアノを試しに始めたクラシックピアノ経験者が直面するチャレンジは:

 ①今までおぼつかなくてもさしたる問題ではなかった西洋音楽語の、特に20世紀以降の西洋音楽語の、ほぼゼロからの習得(基本的な音楽文法を理解した上での作編曲や即興演奏ができなければ西洋音楽語はブロークンのお子様レベル)、そして、

 ②今まで訛(なま)っているなんて思ってもみなかった、自分のクラシック訛(なま)りの矯正

です。

だから、キツいんです。精神的に。

さいころからピアノを何年もやってきたから当然知っている、と思っていたことを、実はぜんぜん知らずに、得意顔で弾いていた! という事実を、ジャズピアノのレッスンで暴かれて、ジャズピアノの先生の前でそれを認めざるを得ない状況に陥るから。 そして、

今まで流麗優雅に弾いていた高尚な、というか「高尚だ」と自分が信じて疑わなかった音楽を、「お前の音楽は訛っているから直せ」と、実質的に言われるから。

「お前は、西洋音楽語をロクに話せないうえに、お前の、その片言の西洋音楽語は訛っている!」

薄暗い場所でお酒を飲みながら聞くような類(たぐい)の音楽をやっている人間から、鼻をへし折られるようなことを、実質的に言われるから。

 

「でも、ジャズの人は、何かというと、音楽理論音楽理論!と、得意げに理論を振りかざす」

そうです、ジャズの人は、そのような傾向があると思います。 まるで、クラシックピアノ愛好家が演奏技術!演奏技術!と、得意げに技術を振りかざすように。

実は、そのクラシックピアノ曲の楽譜は、西洋音楽理論の塊(かたまり)です。 私が一時期習った作曲の先生によれば、「クラシック音楽の楽譜には、一音たりとも、思いつきのテキトーな音は書かれていない」そうです。 演奏する人が理論をぜんぜん知らなくてもピャラピャラ弾けるのは、ベートーベンやショパンやリストやドビュッシー....といった大作曲家たちが、音楽理論に基づいた作曲を一手にやってくれているからです。 

ジャズも西洋音楽です。 だから、理論、理論、と声高に言うのは、不思議なことではありません。 だって、ジャズでは、ベートーベンやショパンや....が一手に引き受けていた作曲という創作活動を、演奏する人が即興で行う必要があるから。 当然、理論に目が向くわけです。 大作曲家のフンドシをつけて相撲をとるわけにはいかない。 自分が創作活動をするしかない、いや、自分で創作したいんだ!

 

 

プロの世界でも、クラシックピアノとジャズピアノの両方とも一流レベルで演奏できるピアニストはほとんどいない、と思います。

「両方できる」と豪語する人は、たいてい、両方とも、そこそこ(中途半端に)できる人か、片方はできるけどもう片方はそうでもない人です。 両方とも中途半端な人は、プロの演奏家として生きていくのは厳しいんじゃないかと思います。 だってそれぞれの分野で、それぞれの分野に骨を埋める覚悟を持った一流のプロたちがすでにしのぎを削っていますから。

(ジャズピアノの大御所がクラシック曲を弾くことがありますが、それは、そのピアニストが、ジャズピアノで大成功して、ジャズピアノの大御所の地位を揺るぎなく確立してからのことです。 そして、そのピアニストは、あくまでもジャズピアノの大御所であって、クラシックピアノの大御所ではない。 ただし、ジャズ、ポップス、フュージョン、ロック、メタル、ヒップホップ、ソウル、現代音楽、そして、クラシックをはじめとする各地域/民族の伝統音楽....といった、地球上の異なる様々な音楽のジャンルは、異なる様々なルートを取りながら、特定のどのジャンルでもないと同時に全てのジャンルでもある、たったひとつの「音楽の彼岸」にたどり着こうとしているんだと思います。 クラシック曲を弾くジャズピアノの大御所には、彼の進む道の地平線に「音楽の彼岸」が見えているのかもしれません。)

  

習う場合は、

なんちゃってじゃなくて、本物のジャズピアノを習いたいと思うならば、ジャズにどっぷりつかっている先生から習う方がいい。 本物のクラシックピアノをジャズピアノの先生から習おうとする人がいないのと同じことです。 とても不思議なのは、クラシックピアノをちょっとかじっただけのジャズピアノの先生にクラシックピアノを習おうとする人がほとんどいないのに対して、ジャズピアノをちょっとかじっただけのクラシックピアノの先生にジャズピアノもポピュラーピアノも教えてもらおうとする人たちがけっこういることです(先生からしてジャズやポップスをナメまくってますね。そういう了見だから上手くいかないんです)。 ジャズピアノをちょっとかじっただけのクラシックピアノの先生にジャズピアノも習おうとする行為は、江戸弁をちょっとかじった生粋の大阪弁スピーカーに江戸弁を教えてもらおうとするのと一緒です。 生粋の江戸弁とは似ても似つかぬものを教えられるのが関の山です(逆もまた然り)。  子どもの頃から大学卒業までクラシックピアノしかやってこなかったのに「ピアノの先生のためのジャズピアノ講座」をちょっと受講したからジャズも教えられますそして作曲も教えます...というような、どれも中途半端の一人の器用貧乏から習うんだったら、同じ内容を、クラシック一筋、ジャズ一筋、作曲一筋の、それぞれ異なる3人の不器用富豪たちから習うほうが、少なくとも教わるコンテンツはどれもこれも本物です。 クラシックピアノ一筋のピアノの先生が「ピアノの先生のための」と銘打ったジャズピアノ講座や作曲講座にちょっと通ったぐらいで人に教えられるほど、ジャズピアノや作曲ができるようになるはずがありませんから(良くて子どもだまし程度にしかならない)。 もしも、3か月かそこら通っただけでジャズピアノなり作曲なりがマスターできる講座があったら、私は1,000万円払ってでも受講します。ええ、もしも、もしもですよ、この世に本当に、本当にそんな講座があったならば、1,000万円、いやそれ以上の価値があると、私は思います。1,000万円払って3か月でMark Levine著の『The Jazz Theory Book』の内容が一冊丸ごと脳内にインストールされて、それを自由自在に使いこなして即興演奏ができるようになるんだったら、大変に安いもんだと思いますよ。  

 

とはいえ、日本人がやることですから、クラシックもジャズも、鰹や昆布の出汁が効いた和風味になることは、絶対に避けられません。 クラシックについてはわかりませんが、ジャズに関しては、自分のルーツを反映させないと、本家の劣化版のコピーにしかならないので、本家(アメリカの黒人)以外のプロのジャズミュージシャンは、生き残るために、自分の母国や民族の音楽を取り入れてキャラを立たせています。 だから、ロンドンデリーの歌をジャズにアレンジしたり、ラテンの音階やリズムを取り入れたりする、非黒人のピアニストがいるわけです。 これは、別に、音楽(ジャズやフュージョンやポップスやロックやヒップホップなど)に限ったことではない。 他の芸術も、ビジネスも、同じです。 どんなに宗旨替えしても、自分のルーツは無意識の底に船の錨(いかり)のように残る。 自分のルーツは、自分の存在の拠り所になるだけではなく、その人(国)の魅力の源泉であり、経済的な付加価値を生む、その人(国)の強みなのです。 

 

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追記:

クラシックとジャズの違いでよく言われる、リズム感の違いは、日本フュージョンの名盤「KYLYN」によく表れていると、私は思います。 マイルズ・デイビス作曲の1曲をのぞいて、渡辺香津美矢野顕子坂本龍一が、それぞれ複数曲を作曲していますが、各人の音楽的なバックグラウンドの違いが各曲のリズム感に表れていて、三者三様でとても興味深いと思います(←私は、中学時代は教授の曲がいちばん心安く聞けましたが、今は、アッコちゃん~香津美さんあたりの感じが心安く聞けます。 A面の2曲目と4曲目を聴いた時の感動は、あの頃も今も同じです)。

 

ジャズの練習は、英語で会話ができるようになる練習と同じだと感じています。 そして、音楽・外国語・スポーツに関係なく、何かをマスターする方法は同じなんだなぁ、と、女子プロレスのトレーニング動画を見てしみじみ思いました。 彼女たちは、小さな動きを繰り返し練習して、覚えていく。 練習して自分のものにした小さな動きを積み重ねて、ひとつの技を作る。 その技を積み重ねて、試合で対戦相手と技をかけあって、エンターテインメントのひと時を作り上げる。 英語の単語を覚え、イディオムを覚え、言い回しを覚え、人と会話ができるようになるのと同じプロセスです。 彼女たちは、リングの上で、プロレス語で会話をしているのだなぁと思いました。

 

クラシックピアノとジャズピアノの違いは、丸暗記もののテストと記述式のテストの違いとも言えるかもしれません。 クラシックピアノの場合は、「偉大な作曲家が作った音楽の楽譜」という100点満点の回答があって、回答と異なる音を弾くと(ミスタッチ)、減点になります。 これに対して、ジャズピアノには、大枠のロジックに沿って自分のボキャブラリーや表現を使って答えられて、しかも、丸暗記もののテストと違って、100点が満点ではない(100点を超える成果物ができることもある)。 

 

別の例えにすれば、クラシックは名作小説の朗読、ジャズは粗筋に沿ったアドリブトークと言えます。 前者の好例は、古今亭志ん朝による池波正太郎作『鬼平犯科帳』の朗読CDです。『鬼平』を朗読するのに、故志ん朝師ほど正統な適任者はいません。『鬼平』の世界と同じ文化に生まれ育った、日本語の伝統話芸の一流のプロだからです。 後者の好例は、オリラジ中田さんのYouTube大学です。 原書の粗筋をフリートークでプレゼンする中田さんの、日本語アドリブ能力と伝える力がもの凄いので、中田さんによるコンテンツのアピール力が原作を超えることが往々にしてあり得る。

 

部活に例えると、クラシックピアノは体育会系、ジャズピアノは文化部系だと思います。 体育大学出身のスポーツ選手が多いのと同じように、クラシックピアニストは音大出身者がほとんどではないかと思います。 

これに対して、ジャズピアニストのなかには総合大学の、特に理科系の学部や、理科系大学の出身者が目につきます。 音楽専門学校出身の人は、高卒ドラフトのプロ野球選手のように、高校卒業と同時にプロの世界で育成に入ったようなものだと思います。 音大出身の場合は、作曲科出身者が目につきます。 そういうことなんだと思います。 いずれにしても、音大を出ていても出ていなくても、音楽専門学校を出ていてもいなくても、大学の理科系を出ていても出ていなくても、高校を卒業する前後からプロの世界に飛び込んで自分で自分を育成した人が一流のB to Bの演奏家/作編曲家として残っている、そんな印象があります。

 

西洋の芸術は、ロジカルなサイエンスです。 ジョン・ケイジが作曲した「4'33"」や完奏するのに数百年かかる作品は、日本人にとっては不謹慎な冗談のように思えるでしょう。 バンクシーの公共物汚損の落書きの、いったい何が芸術なのかも、理解に苦しむ人が多いかもしれません。 しかし、これらの作品の基礎には、西洋のロジックが存在します。 東洋から見ると、西洋の芸術は、脳の前頭葉で組み立てたロジックでがんじがらめの芸術です。 西洋人が東洋の文化を、良くて神秘的、悪くて不気味に感じるのは、東洋の思考がロジックに縛られていないからだ、と思います。西洋人はロジカルでないものが不可思議で気持ちが悪く感じるんだと、私は思います(MBAのクラスで、先生が、日本人の生徒に向けて「英語の論文なので、日本式で書かないように」と、薄笑いで言ったことがあります。カチンときましたが、たしかに、年配の日本人や日本の最高学府の出身者の一部に、英語基準では雅(みやび)過ぎる、私のような野蛮人にはわけのわからないロジカルじゃない日本語を書く人たちがいる。きっと、頭が良すぎる人たちなんだね。ただし、英語で書く場合は、「ロジカルじゃない英語を書く人はバカ」とされてしまうから、注意した方がいい)。この、東洋と西洋の思考方法の違いに、輸入文化のローカライゼイションの可能性があります。日本で生まれ育った日本人が認識する西洋クラシック音楽は、その人の思考や西洋幻想のフィルターを通された、ジャパナイズされたものではないか、と思います(このことは、ジャズにも言えるかもしれません)。   

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