ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

自分のホームでは自分がお日さまだ

 

以下は、20210729にアメブロに書いた記事:

 

自分がちゃんとその場所の代金を支払って所有する場所では、自分が最も優先されるのは、世界中のどこへ行っても当然のことだ。 

自分の本拠地では、よそ様に恐縮する必要があるはずがない。 

ひるがえれば、世界中、どこへ行っても、人様の場所では遠慮するのが、節度ある文明人の常識だ。 

だから、自分の本拠地では伸び伸びとくつろいでいられるのが当然なのだ。 

 

この世はインティミデイション(脅し)に満ちている。 

自分の本拠地なのにもかかわらず、外の誰それから「お前(たち)はこれこれこういうわけで下手で劣ったダメなやつ(ら)だから、遠慮しろ、引き下がれ、つまりは負け続けろ、割を食い続けろ!」という、節度のない誰それからの、潜在意識への攻撃にさらされている。 

 

潜在意識への攻撃は、殴る蹴るなどの物理的な攻撃よりも、実ははるかに低コストで、しかもはるかに強力だ。 

強力だからこそ、大昔から「呪い」と言われてきたのだ。 

潜在意識への攻撃(呪い)のために、言葉や文字、絵や写真、仕草や表情などが、その媒体として常に使われてきたし、今も使われ続けている。 

遠慮すればするほど、つけあがるだけだ。 

 

そして、自虐には、未来も何にも、何の明るい展望も、無い。 

自分を卑下して、虐げることは、自分で自分に呪いをかけていることだ。 

自分を卑下して、虐げ、自分に呪いをかけていたら、この世で、一体、誰が、自分を褒め讃えてくれるのか? 

褒め讃えてくれる人が、よそにでもいるとでも思っているのか? 

誰それさん(たち)が、いつかは褒めてくれるだろう、なんて、お幸せな能天気でいつづけるのか? 

自分を粗末にするスタンスで、誰それに向かって「こんなにがんばったので、どうか褒めてください、どこまでがんばったら褒めてもらえますか?」なんていう物欲しげなスタンスには、いつまでたっても嘲笑しか返ってこないことが、まだわからないのか? 

 

日々心理戦のこの世の中にあって、常に己(おのれ)を信じ、己(おのれ)のホームグラウンドでは己(おのれ)を最高位に置き、伸び伸び堂々と行動していることが、人として最低限必要なことであり、同時に、呪いをかけてくる誰それを黙らせ吹っ飛ばす強力なメッセージなのだ。 

日本語の「ヒ」の意味は、本来、「卑」ではない。 「日」だ。

「空高く輝き燃え続ける火(ヒ)」、太陽だ。 

「日(ヒ)」には、「お」と「さま」がつく。 最も崇高な存在だからだ。 

自分の心に、地球上の万物のパワーの源であるおヒさまを燃え輝かせ続ける。 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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