以下は、20210731にアメブロに書いた記事:
ジャズの求道の道程で今まで自分が痛感した「クラシックピアノレッスンの呪い」は多々あれど、今日改めて痛感した呪いは:
「ミスタッチすることは絶対に許されない」という、クラシックピアノレッスンの脅し
でした。
先日記したとおり、ジャズの求道においては練習&訓練よりも研究&探求のマインドセットが要諦であると思います。
ところが、クラシックピアノのレッスンではミスタッチは忌むべき悪しきもので、絶対にやらかしてはならないものであると、子どもの頃から先生に叩き込まれます。
そのため、ミスタッチを恐れるあまり機械的でビクビクした演奏になってしまいがちです。
だから『ミスタッチを恐れるな』という邦題の日本語訳本が売られるわけです。
ところが、この本の英語の原題は、邦題とは似ても似つかぬ題名です。
日本語文化にローカライズする際に『ミスタッチを恐れるな』という命令形になってしまうところが既に脅しです。
「ミスタッチを恐れるな!」と言われれば言われるほど、逆にミスタッチを恐れてしまいます。 というのは、脳には「ミスタッチを恐れるな」と刻まれてしまうからです。
最後に否定の「な」がついてますが、日本語でも英語でも「な」や「not」は、脳の潜在意識にとってはインパクトが弱い。
しかも、「恐れる」の表意文字「恐」が、ビジュアル的に威嚇します。
'漢字'は、商の人たち(漢民族から殷という差別的な名前で呼ばれたが、実は黄河文明を生んだ民族)が作った、呪術的な文字です。
そして、それを利用した漢民族が簡略化しても、商の人たちが文字に込めた念は今も文字の中に生きています。
「恐」という文字を見ただけでもうコワいよ。 そんな恐ろしい題名を邦題につけるところからして、日本のクラシックピアノ教育のスタンスがよくわかります。
ただ、「日本の」と書きましたが、クラシックの本家の欧米でももちろん同様で、クラシック楽器を専攻する生徒たちは、一日何時間も、何かに憑りつかれたように追われるように狂ったように練習する傾向があることを、各種動画で知りました。
つまり、クラシック音楽は、本家本元の西洋人が演奏しても恐の呪(まじな)いがかかってしまう音楽であると知りました。
ところが、このような意味における「練習」のスタンスでジャズをやると、なかなか進めないんじゃないか、と思います。
ジャズでは、研究&探求、つまりは考えて、確認して、試行錯誤しながら脳に刻んでいくことが必要で、そのためには間違えることは必要不可欠だ、そう感じます。
いや、間違えるなんてもんじゃない、間違えまくることが一丁目一番地だと感じます。
また、間違えたときに、どうやってそれをリカバーするか?という、リカバリー方法を自分で会得することが、絶対に必要だ!と思います。
臨機応変に対応しながら即興演奏、つまり、リアルタイムで作曲⇒即座に演奏できるためには、丸暗記じゃ話にならないと、遠い目になりますが、私の場合は聞こえる音楽で自分がわからない響きが気になって気になってしかたがないので、ジャズのハーモニーやボキャブラリーをマスターして、自分の音楽表現に大いに生かしたいと思っています。
であるからにして、
私は、子どもの頃のクラシックピアノのレッスンから受けた下記の呪いを、今、完全に祓い、徹底的に排除した:
「ミスタッチすることは絶対に許されない」という、クラシックピアノレッスンの脅し
以上をもって、お祓い&排除が完了した。
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
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