音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

耳が良い人が音楽のプロになると思う

 

以下は、20210808にアメブロに書いた記事:

 

音楽のジャンルに関わらず、音楽が得意な人は耳が良いという共通点があると、私は感じています。

 

「耳が良い」人のサインとして、子どもの頃に、テレビやラジオなどから流れてきた音楽を、音楽のジャンルに関わらず、楽譜も無いのに、誰に言われたわけでもないのに、聞いたままマネして歌っていた、という点があると思います。 

 

これは、その子が聴覚情報への感度が高いことを示しています。 

歌だけでなく、縦笛やハーモニカや鍵盤ハーモニカなど手ぢかな楽器で聞きよう聞きマネで演奏していた人は、耳が良いので、先天的な音楽の才能がある、と思います。 

耳から入ってくる音声情報を再現する能力が優れている証拠です。 

音楽は、耳で聴きます。 音楽は、目で見ることはできない。

 

そして、実は、この点が、とてもトリッキーな点だと思います。

「ピアノはお嬢様のおたしなみ」という古くからのイメージや、「東大生の多くがピアノを習っていた」みたいな宣伝文句に煽られた親たちが、子どもの耳の良し悪しに関係なくピアノを習わせることが多いと思われるからです。 

とくにクラシックピアノは、楽譜という視覚情報を打鍵によって音声情報に変換する行為の訓練ですから、耳が良くなくても音大に入れてしまう人がいるんじゃないか?と思います。 

そういう人が、(プロの演奏家としては成功できずに)市井でピアノの先生をしている人にけっこういるんじゃないかと思います。 

 

耳が良い人と良くない人の判別方法は、楽譜やリードシートがなくても平気で音楽を聞きよう聞きマネで楽しく何曲も何曲もずーっと演奏し続けることができるか、それとも、できないか?だと思います。 

私が子どもの頃に習っていた、生徒さんたちを毎年音大に送り込んでいた先生は、当時子どもの私からみても即興や変奏のセンスがとても凡庸でした、っていうか、はっきり言ってセンスが無かった。 

指導要綱の範囲内のスキルだけは練習してなんとか教えられるようにしました、みたいな感じでした。 

大人になってもういちど習ったときに気が付いたのは、その先生は楽譜が無いものは教えられない人だった、ということでした。 

そういうこともあって、私は、ちまたのピアノの先生の音楽のレベルを疑ってかかりがちなのです。

 

トランスクライブや移調に苦手意識がある人も、音楽のプロとしては絶望的だと思います。 

トランスクライブができないことは、耳から入った音声情報を脳で認識することができないということ。 

移調ができないことは、脳内でキー変更の融通が効かないということ。 

つまり、音楽脳が貧しくてしかも固いことを表すからです。

 

音楽業界で引っ張りだこの一流の売れっ子ミュージシャンたちは、楽器の種類に関係なく耳がバツグンに良い人たちだと、私は感じています。

tokyotoad1.hatenablog.com

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとのアメブロ記事:

耳が良い人が音楽のプロになると思う | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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