音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

クラシックピアノのレッスンの呪い_003

 

以下は、20210809にアメブロに書いた記事:

 

ジャズの求道の道程で今まで自分が痛感した「クラシックピアノレッスンの呪い」は多々あれど、新たに痛感した呪いは:

 

3.  日々の練習をコンクールや検定試験にしてしまう 

 

です。

 

だから、練習が、悲壮感に満ちた精神苦行になってしまうのだ。 

ちょっとでも間違えたり、鍵盤をたたけなかったりすると、そこで止まって、ミスった所を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、

何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、

狂ったように反復練習してカッカカッカしはじめるのだ。 

 

そしてついには、

 

キキィィィィィィィィィィっっっっ(ノ`Д´)ノ彡┻━┻               

 

となってしまうのだ。 

これは、ミスをするとどんどん減点されるコンクールや検定を受験するマインドセットが骨の髄まで染み込んでいる証拠である。

 

が、これはまったくもってバカバカしく無駄な行為である、ということを、私は知るに至った。

上記のような練習プロセスは、ムチをピシピシ鳴らしてアシカショーのアシカにボール投げの芸を仕込んだりイノシシ村でウリ坊に平均台渡りの芸を仕込むのと同レベルである。 

いや当節のアシカやウリ坊のほうが、もっと人間的な芸の覚え方をさせてもらっているかもしれない(もっともウリ坊は最後には隣の屋外レストランのシシ鍋になってしまうかもしれないが)。

 

だいたい、そんなにカッカカッカしてたら、もともと崇高であるはずの人間脳がクールなハイパフォーマンスをデリバーする機会を、完全に封じてしまうではないか。 

そうなるとお腹の中が煩悩だらけの飢えた餓鬼になって、畜生道に堕ちてゆく...。

 

早く人間になりたい...、と思ってたのだが、なかなか魔女の呪いは解けない。 

呪いが解けない間は、自分で自分をごまかしていた。 

だが、ソフトランディングのためには、それも有りだと思う。 

そして、あまりクヨクヨしないで、基礎の基礎のそのまた基礎をポツポツ何となくやっていたら、徐々に魔女の呪いが薄まってきたので、最近、ようやく人間的な練習に移行できるかな?と思って、恐る恐る始めてみたら、案外悪くない。 

ああこれでようやく、人間的な追求にはいれそうだ。 

 

基本の基本のそのまた基本の内容を反復練習して覚えることが一丁目一番地だが、それらのピースをつなげる試行錯誤(トライアル・アンド・エラー)のプロセスから、真に人間的な道の追求が始まる。 

 

であるからにして、

 

私は、以下の呪いを、私の心身から徹底的に祓って排除した:

 

 3. 日々の練習をコンクールや検定試験にしてしまう

 2. 既に確立された練習方法に盲目的に固執する

 1.「ミスタッチすることは絶対に許されない」という、クラシックピアノレッスンの脅し、という呪い

 

以上をもって、お祓い&排除が完了した。

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

クラシックピアノのレッスンの呪い_003 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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