以下は、20210819にアメブロに書いた記事:
楽譜信仰の呪いは執念深くて本当に恐ろしいと、日々戦慄を禁じ得ない。
本来であれば、
音の情報⇔鍵盤の位置情報 のリンクが脳内に構築されるべきところ、
楽譜の情報⇔鍵盤の位置情報 のリンクが脳内に刻み込まれるばかりなので、
おんがくの「音」が最もないがしろにされている!
という、本末転倒なことになっている状況が多い。
「いえいえ、ピアノのお稽古では、ピアノの音色に注意して弾くように指導しますよ!」
そうだよね。 まったくそのとおり!
でも、ピアノから出る音への注意ばかりでしょ?
スケイル・ディグリーではなくってね。
だから、「こんな基本的なこと、子どもの頃のお稽古でちょっと教わったから知ってるよ」
なことが、いったい何年かかれば間違えなくできるようになるんだろうか?
これにね、中年以降は、子どもの頃のお子さまピアノレッスンで培われた半音刻みのお粗末な絶対音感すらズレてくるというハンデが加わって、
まさにダブルワミー状態! 呪いがダブルでかかってくる!
素直に認めよう: ぜんぜんわかっていませんでした! いや、知ろうとすらしていませんでした!
はい、今まで音楽をナメてました!
ちゃんと頭でロジカルに考えることをしてこなかったことが、暴かれただけなんだよ!
でも、ほんとうは、なんとなく、そうだってことを、わかってたんだよね。
頭を使うのが面倒くさいから、見ないようにしていただけ。 つまり、単なるバカ!
それにしても、この呪いは手ごわい。 でも私は、この呪いを解く方法を、思い出したよ!
思いついたのではなくて、思い出したよ。
そうだよ、そうだった。
子どもの頃、ピアノのレッスンでダメ出しされまくってトボトボうなだれて帰ってきたあとで、
ピアノ教室なんてクソ喰らえっ!
と思いながら、レッスンの課題曲でも何でもない、
テレビから聞こえてきた興味のある音楽を聞きよう聞き真似で延々と弾いていた時のことを、思い出したよ!
ピアノのレッスンを通して忘れてしまった、音楽にとって最も大切なことを、とうとう思い出したよ!
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
tokyotoad