おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

クラシックピアノ ⇒ ジャズピアノへの高すぎる壁

 

以下は、20210820にアメブロに書いた記事

 

この壁は、高い。

何故、これほどまでに、高いのか?

 

それは、いうなれば、

アメリカ人(クラシック)がドイツ語(英語)を学習し始めるかのようなものだからである。

 

「え? 違うでしょ? 

 ドイツ人(クラシック)が英語(ジャズ)を学習し始めるってことでしょ?」

 

いいえ、違ってません。 

アメリカ人(クラシック)ドイツ語(ジャズ)を学習し始めるかのようなものだ。

なぜなら、ドイツ語(ジャズ)のほうが、英語(クラシック)より、文法が複雑だからだ。

 

「そんなはずはない! 

 クラシックの方が高尚で、ジャズは場末の音楽じゃないか!?」

 

この場合の評価軸は、横軸。 時間軸だ。

地球上の生物の進化を見よ! 

時間が経つにつれて、

単細胞生物がどんどん複雑化して、高等動物へ進化してきたではないか。

 

蒸気機関車と新幹線と、どちらが高度で複雑なシステムで駆動しているか?

蒸気機関車はガッタンゴットンガッタンゴットンガタコトガタゴト走るが、

新幹線はウィーーーーーーン、スーーーーーーーーーーーー....と、走るではないか?

両者の運転音の比較は、

クラシックvsジャズの、コードヴォイスィングそのものではないか!

 

音楽も然りである。 

ツェルニービバップを比較してみよ。 ビパップが複雑になりすぎた反動から、今度は音を省き始めたではないか? (モーダルなハーモニーが三味線の音楽に聞こえるのは私だけ?)

そして、現代音楽を見よ。 ピアノに触れない演奏まで出てきてしまって、三遊亭圓朝の戒名みたいになってしまっているではないか!

 

説明は以上終了。

古いものよりも、新しいもののほうが、より複雑で高度化しているのが、この世の摂理。

クラシック音楽より、20世紀以降のジャズのほうが、当然、より複雑で高度になっている。

 

それから、クラシック音楽が一般に高尚な音楽のイメージがあるのは、

それを 聴く人の社会的な階層が高かったから。

作る人/演奏する人の側では ない

クラシックバレエも同じ。(←山田五郎氏のYouTubeチャンネル、ドガの踊り子たちの絵の動画で、詳しく解説されている。)

 

洋の東西を問わず、昔も今も、

社会的な階層が高い人たちは、

派手なステージ衣装を着て人前で芸を披露する人たちを 眺める側の、落ち着いた服装をした人たちだ。

 

 

もちろん、ドイツ人(ジャズ)が英語(クラシック)を習って話すようになれても、英語のスペリングは間違えまくるだろうし、

なんといっても、彼らの話す英語は、コッテコテのドイツ訛りだ。

そして、その逆も然り。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

クラシックピアノ ⇒ ジャズピアノへの高すぎる壁 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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