ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

学ぶべき音楽のすべては、自分の家の中にある

 

以下は、20210829にアメブロに書いた記事

 

「学ぶべき音楽のすべては、リビングルームにある」と、かつて著名なジャズミュージシャンが言った、と、なにかの本に書いてありました(たぶん Mark Levine の本だった気がする)。

かつては、リビングルームにはレコードプレーヤーがありました。 

つまり、学ぶべき音楽のすべては、レコードから流れる音楽の中に有るのだ、ということです。

今は、パソコンやスマホの中にすべて入っている、ということです。

 

言い換えれば、

音楽を学ぶ行為は、教則本や教師に教わる以前の問題である

ということです。 

 

個人的には、「右手の小指はメロディーを弾くので、強さが5になるように、左手の小指はバスを弾くので強さが4、他の指は3以下で弾くようにしましょう」ってピアノの先生に言われたとたんに、身体が固まってもう弾けなくなってしまう、と思います(私はそうでした)。 

理由は、複雑な言語指令を脳の前頭葉で解析しようとするとき、脳の前頭葉にパワーが集中するために身体の動きが止まってしまうからです。 

そういう複雑な動きは、脳が無意識にやるべきものであって、意識したとたんにもうできない。

私が「この人は本物だ!」と思う身体操作のプロのお二人の各ブログで、こんな寓話が紹介されていた: 【「どうしたらそんなにたくさんの足を動かして歩けるの?」とアリに聞かれたムカデが、「え~っとね、こうやって...」と動かし方をアリに説明しようとしたとたんに、ぜんぶの足がこわばって歩けなくなってしまいました】。 この寓話は、まったくもってそのとおりだ!

 

だから、「右手の小指は強さが5、左手の小指は4、他の指は3以下で弾くように」なんていう、脳に意識させまくる悪魔的な指導内容は、いかにも「先生から有難い教えを賜った!」という気分になれるかもしれないけど、実が無い「はりぼての有難み」どころか、実際には、魔女の「おまえは石になれ!」という呪いの言葉と同じ効果をもたらすかもしれない。 

 

そうではない、言葉なんてものでは到底表現できない、もっともっと深いところに、おんがくの道を追求する本質的なものがあって、それについては、脳の前頭葉での理解ではなく、自分でいろいろ試行錯誤して、いろんなところにぶつかったり、回り道をしたりしながら、なんとか歩き続けているうちに、ハラワタで実感して、無意識に会得するしか術がないと、私は感じています。

 

音楽でもなんでも、人が人に教えられる内容は、実はとても少ない。 

リビングルームのレコードプレーヤーから、スマホから、ライブ演奏から、耳に入ってくる音楽からの気づきや学びが、今の自分にふさわしい学びのコンテンツだ。 

だから、独学で、少しずつ、一生かけて楽しんでいく。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

学ぶべき音楽のすべては、自分の家の中にある | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad