ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

「いろは」の「い」が抜けている

 

以下は、20210825にアメブロに書いた記事

 

もうね、ほんとうにね、やんなっちゃうよ。。。。

子どもの頃に12年間ピアノを習ってね、

なんでこんなに基本中の基本を、いまだに間違えるんだろうって、

自分でも理解不能だよ。

 

で、自分なりに考えてみた。

私が3年前からやっていたことは、じつは、「いろは」の「い」じゃなくて、

「いろは」の「ろ」だったかもしれないね。

「いろは」の「い」をないがしろにしていたわけじゃないよ。

でも、あまりにも基本的なことだから、

そんな基本的なことは知っている!

って、思っていたんだよね。 というか、

思っていたかったんだよね。

子どもの頃12年 + 再開して5年

トータルで17年間もやってきて、

「いろは」の「い」があやふやだ、なんて、

認めたくなかったんだよね。

認めたら、かなしくなっちゃうもんね。

 

どうしてできないか、なんとなくわかる。

わたしが「この人は信頼できる」と思ってるジャズの先生のサイトに、

興味深いことが書いてあった。

ジャズを習っている

クラシックピアノの先生がやりがちな間違いのこと。

 

そう、そうなんだよ。

そういう間違いをするのは、

音楽をぜんぜん理解していないことを示している!

どんなに華麗に優雅に弾いてもね、

それをまちがっちゃぁ、音楽としてはオシマイなんだよね。

 

これに対して、

プロのキーボーディスト/ピアニストは、

ぜったいにそんな間違いをしない。

いままでライブに行ったり視聴したりしてきて、

聞いたことがない。

一流のプロも、ときにはミスするよ。 でもね、

もっともっと高度なレベルでのミスはするけど、

基本の基本についてのミスは、しない。

 

ところで、

クラシックピアノの先生たちも、クラシックピアノを弾くときは、

基本の基本の間違いをしない。

どうしてかって?

楽譜どおりに弾けば間違えないからね!

 

見たまんまに弾いて

何にも考えなくていいから、楽だよね。

 

ところが、アドリブ演奏になると、間違えはじめる。

アドリブ演奏には、

その人の本当の音楽の実力が出る。

 

 

私が子どもの頃に12年間習った、伝統的な

クラシックピアノのレッスン方法では、

音楽の本当の実力はつかないことが、

しみじみわかりました。

 

5年前からエッチラオッチラ、自分のアタマで考えながら、

試行錯誤しながら、やってきて、

「いろは」の「い」の間違いも、だいぶ減ってきました。

でも、それでも間違うのがなくならない。

脳を使うのを面倒くさがる

怠け者のアタマが出来上がると、

そこからなかなか抜け出せないんだね。

 

 

私の演奏は、

キメ打ちの演奏だったら子どもの頃よりもずっといい感じよ。

4年間、姿勢を治す試行錯誤をしてきて、

子どもの頃よりも左手が遥かに動くし、 

腕から指先まで安定して、芯のある音で弾けるようになったよ。

でも、ひとたび、20世紀以降の音楽文法に則った

アドリブ演奏になると、

ヨタヨタの間違いまくり!

これが今の私の音楽の真の実力よ!

 

でも、ピアノを独学で再開した5年前からすれば、ものすごい進歩!

5年前は、音楽文法なんてまともに知らない、

テキトーお子様アドリブ演奏だったからね。

 

「いろは」の「い」の間違いも、以前から比べたらずいぶん減ったので、

怠け者の脳をなんとか働かせて試行錯誤して、壊滅を目指す。

いまの調子で、ポツリポツリと続けていくよ。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

「いろは」の「い」が抜けている | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad