おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

独学なので自分のペースでずっと続けていく

 

以下は、20210825にアメブロに書いた記事

 

独学の良いところは、

継続的なレッスンを受ける出費が無いので、

時間的な期限を設けて費用対効果を計測しなくてもよいことです。

 

これに対して、お金を払ってレッスンを受ける場合は、

時間的な期限を設定して、

レッスンに払ったお金に対する実際の効果を計測し、その結果を踏まえて

レッスン内容を見直したり先生を替えるなどの対策を講じて、

漠然と惰性で続けてお金の垂れ流しにならないように、

費用対効果に目を光らせるとよいのでしょうね。

 (お金の成る木をもっている人は別でしょうが。)

 (それから、ピアノのレッスン本来の目的とは別の目的でレッスンに通いたい欲求がある人は別でしょうが。 「ピアノの先生」という存在に魅力を感じる人もいるでしょうからね。)

 

結局のところ、

どんなに有難い先生のレッスンを受けても、

やるのは自分。

 

私の場合、ピアノを再開した直後に、

ピアノ教師と、プロのピアニストと、作曲家の、レッスンを受けましたが、すべて半年以内にやめました。

 

私の場合は、自分で本を読んだり、動画やサイトを見たりして、

「この人は本物だ!」と思ったプロのミュージシャンやアマチュアの人たちの音楽的知見を脳内で集積&統合して、

「だいたいこのあたりを目指せばいいかな」と的(まと)を定めて、

その的に近づけるようなことを工夫しながら、ポツポツ細々と続けていて、

個人的にはかなりの結果がでています。

 

一方で、「この人は一流だ!」と思ったプロのミュージシャンの演奏音源を買い演奏動画やオンラインライブを視聴して、

一流のコンテンツだけを脳内にインプットするようにしています。

理由は、中途半端な人たちのコンテンツを視聴して脳にヘンテコな内容が深く刻み込まれることを絶対に避けたいからです。 

ひとたびヘンテコな内容が脳に刻まれると、それを抹消するのに、恐ろしく時間と労力がかかります。 

一流のコンテンツで脳を何度も上書きしても、子どもの頃のクラシック原理主義のピアノレッスンの呪いが、いまだに浮かび上がってくるんだよぅぅ(怖)!)

 

いや、まだまだ一流のコンテンツのインプットが全然足りてないんだね。

 

ところで、

一流のコンテンツとは、

プロの音楽業界を相手に、演奏や作曲の請負い仕事を切れ目なく続けてプロの音楽業界から経常的にお金を稼いでいる人たちによる演奏や音源

という意味です。

子ども相手に自宅で開いているママさん/家事テツお稽古ピアノ教室や、実家の家業手伝いやバイトの傍ら「心意気だけプロ」のコンテンツではありません。

(↑これを書いておかないと、勘違いするオメデタイ先生がいるかもしれないからね)

 

作曲家の先生にはいつかもう一度習ってもいいかな、とも思います。

私が習った作曲家の先生(ネットで調べて見つけた)は、作曲業界でキャリアがある人だけに、音楽についての包括的な知見がありましたが、

当時の私は、音楽の基礎の基礎すらおぼつかなかったので、作曲家に教えてもらう意味があまりなかったと、今思います。 大人の音楽の世界と、お子様ピアノレッスン&選抜コースに入ったくらいでかじった世界とは、雲泥の差でしたって当たり前だ!

音楽の基礎の基礎がかろうじてできたら、習ってもいいかな、と思いますが、

まずは何冊も買った音楽理論の本を読んで自分で試行錯誤して、

自分の脳内の知識が増えてからのほうが、レッスンの費用対効果が上がるだろうと、思っています。

 

ただね、

「レッスンの費用対効果が...」なんていうケチくさい考えをする私のような人間は、

そもそも芸事のお稽古には向いていないんでしょうね。

「習い事は沼だ」と言った人がいます。

私が、現世にいる間に、その底なし沼に飛び込めるほど人生に余裕ができる時が来るかどうか?

 

私の場合、プロのピアニストさんによるレッスンが続かなかったのは、

プロの芸能人に習うことは、大人の究極のお道楽、つまり旦那稼業であると、痛感したからです。 無駄づかいできる相当のお金とヒマが必要だと思いました。

 

私も、旦那道楽ができるものならば、ぜひしたいものです。 一流の現役プロに教わることによって、私の趣味のレベルが格段に上がりますし、生徒&ファンとして一人の一流ピアニストを金銭的に支援することによって、日本の文化芸術の保全に寄与することができるからです。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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