ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

「練習」が、音楽を遠ざける

 

以下は、20210830にアメブロに書いた記事

 

クラシックピアノのお稽古の「練習」が、音楽そのものを遠ざけている、と直観した。

 

だから、

クラシックピアノだけやっている人に、

楽譜がないと何にも弾けない人が多いんだ。

 

音楽はそもそも耳から聴くものなのに、

目で見た情報しか再現できないなんて、

まったくもってトンチンカンでおかしな話だ。

 

トリルの練習、指くぐりの練習、スケールの練習、タッチの加減、指が開くようにお風呂につかった時に指の股をグイグイ広げる(←んなことやってたら逆に指を壊すよ!)...。

そこには音楽の要素が皆無だ。

 

だから、音楽オンチのまま、譜面を見て再生するスキルばかりが脳に刻まれていくばかり。

 

このように書くと、次の日あたりに

「うちの教室では聴音も教えます。聴音は大切ですよ!」

ってプログに書くピアノ教師がいそうだが、

 (↑安っぽいブログ上でのそういうリアクティブな反応自体が、安っぽい存在の証明であることが、わかんないんだね。)

 

そんなら、

生徒が気まぐれに持ってきたJ-POPやアニソンの音源を聞いて

生徒の目の前で、その場で即座に

音の素晴らしい手本とやらを見せてみろよ!

 

じゃないと、ぜんぜん言葉に説得力が皆無。  ちなみに、

本物のピアノの先生なら涼しい顔してサクっとやってのけるよ。 もちろん、テンションコードもバッチリキメてね  (ご存知のとおり、昭和の歌謡曲やテレビまんがの頃からJ-POPやアニソンはテンションコードの使用がデフォルトだからね)。


ピアノの先生を選ぶときは、 彼らに

即興演奏なり耳コピなり、100歩ゆずって初見演奏なりを、

いきなりその場でやらせてみると良い

彼らの音楽の才能が、一発でわかる。

 

音楽の才能の無い先生は、自分でやってみせる能力がないから、

言葉による指導ばかりになる。

耳にタコができるほど聞く一般的な内容や、他人の例、聞いた話、などだ。

「練習方法」やらなんやらと、全てネットや本からとれる情報を口から繰り返すだけ。

「留学経験があります」「高名な○○先生に師事しました」「質の高い本物のレッスンを提供」やら、なにやらかにやら。

良いお手本を示せないから、言葉でごまかし、はぐらかす。

 

言葉は、嘘をつく。

実演とその成果物は、嘘をつかない。

 

音楽の才能の無い先生の教室に通っていた子どもの中に、その後大人になってから

プロになる人が、たまにいる。

それは、その人が生まれつき耳がとても良くて、

音楽の才能があったからだ。

先生の指導の手柄では、ない。

 

こんな私でも、

小学校の高学年になってはじめてピアノ教室で作曲や変奏や即興演奏を教わりはじめた際に、

今まで一度も習っていなかったのに、すでに教室の誰よりもできたらしく、ピアノの先生は驚いたようだ。

 

だから、

私のクリエイティブな能力は、

ぜんぜん先生の手柄じゃない。

さいころから、先生から渡された宿題の課題曲にはぜんぜん見向きもせずに、

誰に指導も強要もされてないのに、

テレビから聞こえてきた音楽を、聞きよう聞き真似で、延々と弾きまくって遊んでいただけ。

私にとって、クラシックピアノの課題曲はサエないつまらない曲ばかりだったから。

 

私はピアノの先生から「この子はピアノが下手」とずっと思われていたのに、

即興と変奏の要素がレッスンに加わってからは、

私を見る先生の目が変わった。  大人ってゲンキンなものだな、って子ども心に思ったよ! 

 

だから、

もういちど言います。 私の即興演奏や変奏演奏の出来は、

ぜんぜんピアノの先生の手柄じゃないよ!

私は、先生から教わる前から、

すでに得意だったんだよ!

 

私は、ピアノを習う前の、2歳ぐらいのときから、

テレビから聞こえてきた歌をマネして大声で歌っていたそうだ。

それを見た親が、この子は音楽が得意かもしれない、と思って、

ピアノを習わせたんだ。

ピアノのレッスンは、後付けだったのだ。

また、物心ついてからは、とても幸運なことに、

親戚の音楽一家から、当時の音楽業界の最先端の音楽を聞かせてもらっていた。

音楽業界のプロたちが「これはスゴイねー!」と認めた内外のミュージシャンのレコードを、いっしょに聴いていただけ。(←「ピアノが上手くなるためにこれを聞きなさい!」なんて野暮に指導されてたんじゃないよ。)

だから、クラシックピアノ原理主義者のピアノの先生がビックリするような即興演奏や変奏が、

先生にいちども教わったことがないのに、すぐにできたんだよ。

だから、

ピアノの先生の手柄は、まったく無いんだよ。

 

そりゃぁ、ケンバンの基本的な弾き方は教えてもらったよ。

でもね、基本的なことを習うのは、別にピアノの先生からじゃなくても、何の問題すら無い。

他の楽器のミュージシャンや作曲家も、ケンバン楽器の基本を教えられる。

ケンバン楽器は、音の配置が最もわかりやすい楽器だから、

ギタリストやベーシストやドラマーやバイオリニストやホーン奏者だって、

ケンバン楽器をひととおり弾ける。

「作曲家」の看板を出して仕事をしている人は、当然弾ける。 昔もDTMの今も、作曲でケンバン楽器を使うから。

それに今は、ケンバン楽器の運指やクラシックピアノの弾き方を紹介する無料の動画が無数に存在する。

それを参考に、あとは自分で行動&実践すれば、誰かにお金を一銭も払わなくても、必ずできるようになる。

 

逆に、

どんなに大枚はたいて高名なピアノ教師に習っても、

自分で行動&実践しなければ、一向に上達しない。

でもそれは、

人間として究極のお道楽だから、それはそれで羨ましいことではあるよ。

 

 

子どもの頃に音楽の才能の無い先生に習うと、

いちばん吸収できて伸びる年頃に、音楽の才能が全く育たない。

そして、私のように、たとえ趣味であっても、

大人になってからものすごく大変だ。

 

でもね、今、独学しているのって、とても楽しい。

5年続けたらね、

演奏も、作曲やアレンジのハーモニーも、

クラシックピアノを12年も習っていた子どもの頃とは

格段の大違いだよ!

この経験から、私は、

ピアノの先生が生徒に対してできることは、ほとんど無い。 と思っている。

 

要は、

自分自身でやるか、やらないか。 

それだけだ。

 

楽しく、ちょっとずつ、続けていきます。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad