おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

身体操作セッションに参加した時の思い出

 

以下は、20210901にアメブロに書いた記事

 

こないだ書いたこの記事: この記事でした

の続き:

 

数年前に身体操作のセッションに参加した時の思い出

 

① フェルデンクライスの個人セッションに参加した。 トレーナーさんは、クラシックバレエのダンサーだった女性。 居住まいや物腰が、なんといっていいか、ほわ~ん、というか、ふにゃ~、というか。 声も、良い意味で張りが無くて、「自然体で今ここにいます」って感じの、力の抜けた人でした。 私が「いかり肩なので、肩を下げたいんです!」とガシガシ言った時の、彼女の返答が、私は忘れられないよ。 彼女の言葉が、ずーっと頭の中にひっかかっていたけれど、今思います。 まったくもって、おっしゃる通りでした! それがわかっただけでも、私にとっては大変な進歩です。 

 

② 素人ダンスのグループセッション。 トレーナーさんは、クラシックバレエダンサーの女性。 ウォーミングアップのときに、彼女も、私にとってとても気になることを言った。 そういうもんかな~? って思ったけど、バレエダンサーが言うんだから、そうなんだろうな~って思って、今まで4年間身体ほぐしをつづけていたら、やっぱり、まったくもって、おっしゃる通りですよ! 言葉は違えど、①の方と同じことを言ったんだね。 ピアノでも何でも、肝心かなめは一緒なんだね! 私が子どもの頃に習っていたピアノの先生に、「その教示は無意味で無駄などころか、かえって生徒の身体を傷つけていますよ!」って、教えてあげたいよ! 

 

やっぱりね、踊り一筋で人生を張っている人たちは、言うことが違う。

 

ただし、全てのバレエダンサーの言うことが正しいかどうかは、はなはだ疑問だ。

私の場合は、とても良い人たちにセッションをしてもらったが、

世の中には、???なバレエの先生もいるらしいから、注意が必要だ!

 

私を教えてくれた、

①の人は、クラシックバレエ⇒フェルデンクライス という経歴だから、身体の動きへの注意が深い人だったのだろうし、ギラギラした見栄や虚飾を断捨離済みのような、この世の煩悩から解き放たれた雰囲気がある人だった。 ショートヘアでメークもしてなかったみたいだし、自然食屋の奥のレストランで昼下がりに玄米食ランチをひっそりと食べているような感じの人だった。

 

②の人は、そこらへんを「半分普段着半分ダンス練習用ジャージ」みたいな服装で歩いているような感じの人で、というか、実際にそういうカジュアルな人で、どんなに身体がガチガチな人に対しても、決して否定的なことを言わなかったし、身体が固いなりにも表現が良かったりすると、皆がいる前で褒めてくれた。 身体がガチガチで自信がない人にとっては、これ以上効果的な「指導」はないよ! ほんとうの「指導」とは、こういうことを言うんだ。

 

ところで、

私が子どもの頃に習ったピアノの先生? 厳しい指導とダメ出しばかりだったよ。 演奏の落ちこぼれだった私に対してだけじゃないよ。 大人になってからもう一度習った時に「スゴイな~」って思ったのは、雑談のときに、音大に入れた教え子たちのことを、褒めないどころか、ダメ出しで語るんだよね。 「彼女は○○ができない」とか「彼女はもう少し△△をやったほうがいいんだけど」とかね。 でも私に言われてもね~...。 一度発表会を見に行ったときにも、音大卒の教え子の演奏を「とても人に聞かせられるようなものではない」って、私にグチられてもねぇ...。 彼女たちを自分の所有物と思っているから、卑下するんだろうけどね...。 そうやって教え子を「下手だ」と言うことで、自分を偉く優れた存在に見せようとする潜在意識が働くんだろうけど、実はそれによって、「下手」な彼女たちを教えた先生自身の存在に自らバッテンをつけちゃっていることに、気が付いていないんだよね。 それから、偉そうな言動の先生のもとでは、教え子は自信を吸い取られちゃうかもしれないね。 音大を卒業しても先生から「下手だ」と思われていたら、上手くできるものも上手くできない。 そういう魔女の呪いにかけられたままの「下手な」教え子たちがピアノ教室を開いていたりするだろうから、こっちまでヘンテコな呪いをもらわないように、ピアノの先生を選ぶ際は厳しい目で選ばないとね。

 

 

③~を書こうと思ったら力尽きた...。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

身体操作セッションに参加した時の思い出 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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