ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

トランスクライビング(耳コピ)の記録

 

以下は、20210903にアメブロに書いた記事

 

 

ピアノを再開してからどれだけ耳コピしてきたかを調べてみた。

 

耳コピを始めたのは、ピアノ再開当時に、無謀にもボランティアピアニストをしてしまったために、簡単な譜面を用意する必要が、私の場合は有ったからである。

 

本物のプロのピアニストは、リードシートがあればスラスラとアドリブ演奏ができるが、私は何万光年も及ばないので、メロ音とベース音とコードをメモ書きした両手用の楽譜を手書きで作っていた。

 

その譜面を作るための元にしたり、自分の楽しみの演奏のために参照したりするためのトランスクリプションを書いた音楽ノートが9冊ある。 2段~4段の楽譜にメロ音、ベース音、コード、他の楽器のカッコイイおかずのフレーズやハモリなどを書き留めている。

一冊目の音楽ノートに、「2015年2月~」と書いてあるので、すでにその頃には耳コピをしていた。

 

9冊のノートを合わせると、150曲ぐらいになった。 

その他に、別のノートや、バラの紙に書いたものや、コード進行とキーとなるメロやベースだけ書き留めたものや、各プレーヤーのソロパートまで全部トランスクライブしようとして途中で力尽きたものを合わせると、200曲以上になった。

5年で200曲+ だから、1週間に1曲のペースでトランスクライブしていたことになる。

 

200曲のうち、J-POPが150曲超で、ユーミンが約40曲、大貫妙子が約20曲、矢野顕子が(中高時代の耳コピの脳内書き込みを入れると)約20曲、そのほかは昭和の戦後~2010年ぐらいまでのヒット曲だ。 坂本龍一も数曲、教授責任編集の楽譜を買って聴きとれないところはカンニングしながらトランスクライブしたが、アンチョコが無い曲についてはメディアプレーヤーの低速再生⇒一時停止を無数に行いキーボードで押さえて音を試しながらトランスクライブした。 誰に頼まれてもいないのに何でこんなことやってるんだろう?と思いながら夢中でトランスクライブしていた。

 

ユーミン大貫妙子矢野顕子が、私が子どもの頃からの3大音楽女神であるが、トランスクライビングによって、モダンなハーモニーがどのように作られているのかの一端を、私のようなレベルでも知ることができ、みたらし団子のようなクラシックピアノ訛りからの脱却のための大きな助けになっている。 

 

去年からは、できるとは到底思っていなかったフュージョン/インスト系も耳コピし始めた。 モードとコードを頭の中で照らし合わせて、キーボードで検証しながらだが、オルタードテンションノートを含めて今の自分にとってOKなレベルまではトランスクライビングできるようになった。 耳がいい人たちは聞いただけですぐにわかるのだろうが、今の私にはこれが限界だ。 とはいえ、坂本龍一フュージョンを茫然と途方にくれて聞いていた中高時代から思えば、私にとってはものすごい進歩だ。 

 

テクノロジーの進化も大きい。 今は、パソコン上で低速再生できるから、私でもなんとか、今の自分にとってOKなレベルまでは耳コピできる。 カセットテープしかなかった昔の人は、一体どうやって耳コピしていたんだろう?  音楽リテラシーがプロレベルの、実際にプロの人たちが、トランスクライビングしていたのだろう。 

 

ジャズの巨匠のピアノソロのトランスクリプション本を買おうとして参考にネットのコメントを見ていたら、「この楽譜は〇〇さんがトランスクライブしたから信頼できる」というコメントをちらほら見かけた。 イタリア系の名前だったような気がするが、愛好家たちから神と崇められるフィギュア職人のように、神と崇められるトランスクライバーがいるんだなぁ、と思った。 

最近は、耳コピソフトが出始めたようなので、トランスクライバーたちの仕事は減っていくのだろうか?

 

今は、The Real Bookを使って音楽の「いろは」の「い」を強化しているので、耳コピはあまりしていないが、いずれ再開すると思う。 気になって仕方がない洗練されたカッコよすぎる音楽がたくさんありすぎるよ!

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

トランスクライビング(耳コピ)の記録 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad