ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

トランスクライビング(耳コピ)のために有ったほうがいい知識

 

以下は、20210910にアメブロに書いた記事

 

先日書いたトランスクライビング(耳コピ)に関する記事に関して、

 

トランスクライビング(耳コピ)のために有ったほうがいい知識とは、

そのジャンルの音楽の最低限の知識である。

 

そのジャンルの音楽知識が有るのと無いのとでは、

トランスクライビングの際の労苦の量と、その成果物であるトランスクリプションの正確性が、

格段に違ってくる。

なぜなら、 

音楽の知識が有ると、それに基づいて音の推測が可能になるからである。

 

音楽の知識が無い人が、楽譜を採譜したり、採譜の校正を担当すると、

防げる間違いも防げなくなり、間違った楽譜が市場に出回ることになる。

 

先日の記事で下記のように書いたが:

  元の音源データを演奏した本人が「監修」しました!と安心を謳う楽譜でも、疑ってかかるべきである、と、私の経験上思う。 

 「♯」「♭」「♮」がひとつ違えば、弾いている時にポヨ~ン!と変な音が出てビックリするものだ。 そして、

 ①「あれ~? 元の曲のこの部分はこんなヘンテコな響きじゃないよ? あれあれ? あー!もしかして! この「♯」の記号ってホントは「♮」だよ~!」

 みたいなことがたび重なるうちに、その楽譜全体に対する信頼度がちょっとずつ落ちていく。

 もちろん、そんなタイポは全体の1%もないのだが、

 ② そんなタイポがしょっぱなのベースラインのリフにあったり(タイポが繰り返すよ...)、

 ③=① 作曲者さんがこだわったであろう、曲中のキメ的なコードにあったりすると、

とってもおもしろガッカリなことになる。

 

上記の①=③と②の、私が実際に遭遇したプロの採譜者によるタイポ(ケアレスミス)は、

彼らの音楽知識の程度を端的に物語っている。

 

②のベースラインのタイポは、ジャズの基本中の基本を知っていれば、やらかしたくてもやらかせられない聴きとりミスである。 しかも、このベースラインのリフは、曲の途中でギターが同じリフをユニゾンする構成になっているので、ギターのリフと照らし合わせれば難なくわかる類のものである。 それがどうして間違ったまま最終データまでノーチェックで通ってしまったのか? この楽譜はバンドスコアであり、私が想像するに、各楽器のパートを、原作者とは赤の他人の各楽器の「プロ」がそれぞれのパートを採譜したものを機械的に寄せ集めて作ったのではないか、と思われる。 その際に、最終チェックをした者がいたのか、いなかったのか? いたとしても、最終チェック者の音楽的な力量の無さにより、タイポが見落とされてしまったのではないか? と私は想像する。 実際の楽譜は、著名な企業による楽譜ダウンロードサイトで売られているが、私は買わなかったよ、買おうと思ったんだけどね、サンプルで掲載されるpdfでタイポがあるのがわかっちゃったから、ゲンナリしちゃって買う気が失せた。

 

①=③のタイポも、同じパターンのコードが位置を変えて繰り返されるキメ小節のしょっぱなのコードのタイポ。 これもジャズの基本を知っていれば、間違いようがないミスだ。 おそらく、楽譜製作ソフト以前の時代の楽譜で、採譜者は紙の譜面上に正しくトランスクライブしたのだろうが、販売用の譜面になる段階で「♯」が誤って「♮」と転記されてしまって、そのまま印刷製本⇒販売されてしまったのだろう。 ジャズピアノのトランスクライブ譜の本で、このタイポがある曲は、おそらくこの本を購入した人たち(= 演奏したピアニストさんのファン)のお目当ての曲のひとつだろう。 そのお目当ての曲の中で、この曲の作曲者&演奏者であるピアニストさんが最もキメたいと意図して繰り出した連続コードのしょっぱなのタイポだったので、ゲンナリしてしまったよ。 最終チェック者の校正ミスだろう。 

その曲のキメ部分は、楽譜を購入した人が最も注目する部分であるから、細心の注意でチェックすべきだが、校正者に音楽的な力量が無ければ、細心のチェックも虚しくタイポが見逃されてそのまま製本されて本になって市場に出回ってしまう。 

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

トランスクライビング(耳コピ)のために有ったほうがいい知識 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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