おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

ピアノ教師の仕事は「育てる」ではなく「選ぶ」

 

以下は、20210913にアメブロに書いた記事

 

ピアノ教師の仕事は「育てる」ではなく「選ぶ」である、 と、

どなたかのサイトに書いてあったが、

全くもって同感である。

実は、これが本当のところであろう。

 

もっと踏み込んで言えば、 ピアノのお稽古に限らず、

大衆向けの教育の実態、というか実は、

「標準的な内容」を教える ⇒ 成績づけして審査 ⇒ ふるいにかけて「選別」する

である。

小学校~中学校の義務教育が、その典型である(もちろん、日本人の教養の底辺を確実化する目的があるが)。

 

冷徹な真実は、

筋の良い生徒は、なにをどうやらせても、

やらせなくても、グングン育つ

ということだ。

 

逆を言えば、

筋の悪い生徒は、

なにをどうやらせても、やらせなくても、

ダメなものは、ダメ!

ということだ。

 

残酷なことだが、

ピアノといったお稽古事に限らず、

世の中万事、こういうものである。

 

音大合格者何人輩出!とか

コンクール受賞何人!とか

検定合格者何人!などの、

宣伝文句を謳う教室の多くは、 小学校や中学校と同じように、

沢山の生徒を集めて、どの生徒にも一律カリキュラムを使って教えて、

その中から抜きんでた子どもたちに、試験を受けさせる、という方法をとっているのではなかろうか。

生徒の数が多ければ、もともと素質のある生徒も多くなり、

そういう教室には、さらに多くの、もともと素質のある生徒が入門する。

というサイクルができるのだろう。

 

中には、先生に選ばれた生徒だけが発表会でピアノを弾ける教室もあるらしい。

選ばれなかった子どもたちは、さぞかし傷つくだろう。そして、

彼らの心から自信が奪われていく。

選ばれなかった子どもたちから奪った自信を

選ばれた子どもたちに注入して、ますます自信をつけさせる。

スポーツのエリート養成システムと同じシステムだ。

 

先生個人の教え育てる能力が、子どもの出来不出来に影響を及ぼすことは、

実はほとんどないのではないか。

と、私は勘ぐっている。

 

私には、

ステージ上で自信満々に演奏する生徒たちの後ろに、

自信を吸い取られて抜け殻になった、たくさんの生徒たちの影がゆらゆら揺れているのが見える。

 

だが、ここで留意すべきは、子どもの頃に

芸事のお稽古事で落ちこぼれたことは、

実社会では有利な人生につながる可能性が高い

ということだ。

芸能を生業にしなくてよかった!ということが大いにあるだろう。

 

芸事は水商売。ハイリスク&ローリターンな稼業である。

そして、

芸事の学歴や賞歴が、必ずしも芸能界での成功を保証するものではない。

音楽業界の頂点で第一線で活躍する人たちの経歴を見ると、つくづくそう思う。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

ピアノ教師の仕事は「育てる」ではなく「選ぶ」 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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