ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

やりたいことができるようになった

 

以下は、20210916にアメブロに書いた記事

 

The Real Book を本格的に始めて、1か月ぐらいたった。

思い描いていた方法で試行錯誤できている。

このようなやり方をしたかったのだよ!

今まで3年間地道にやってきたことがあるから、このようなやり方ができる。

たったひとつでも拠り所をつくって、それをアンカーにできているからだね。

このアンカーは堅固で頑丈だ。

私が「この人は本物だ!」と思った人のセオリーをもとに、

一般よりも多い項目を、一般とは異なる方向性で覚えたからね。

もうひとつの拠り所についても、去年の2月あたりから始めているが、

今のやり方と並行して続けていれば、いつか効果が現れると、確信している。

さらにもうひとつの、3つ目の拠り所については、

さいしょのふたつの拠り所を固めていく過程で、同時進行に出来てくることを、私は知っている。

そして、かなり出来てきていることを、実感している。

だから、とってもやりやすいんだ。

アンカーが3つあれば、自立できるし、目の前にそびえる崖もよじ登っていける。

自然界の物理と同じだ。

 

還暦が見えてくると、今までは出来て当たり前だったことが、

出来なくなってくる。

背後に迫る、体力・脳力・気力の衰えの波に、追いつき追い越されないように、這うようにして続けているが、

衰えの波に後ろからザブンと飲み込まれて、ズズーッと引き戻される。

それでも、続けていく。 そして、

今、自分が「できるようになったらいいな」と思っていることは

生きている間に必ずできるようになる、と、自分はわかっている。

どうして、這いつくばりながらも前に進もうとするのか?

それは、音楽が好きだからというか、

子どもの頃から、耳から入ってくる魅惑に満ちた音楽が、

気になって気になって仕方がないからだ。

解明できないとイライラしてくるからだ。

私の心の安寧のためなのだ。

 

そこまで意識が回る人たちに教えを乞いたいと思うこともあるが、

そういう人に限って、一般の市井で先生稼業をしてはいないだろう。 そして、

そういう人に限って、独学メインでプロの世界に入って自らを叩き上げて、今、音楽業界の頂点にいるのだろう。

 

私の試行錯誤の方法は、自分で考えて試している方法だ。

過去に参加したピアノ会で他の参加者たちの演奏を観察したり、

参加者たちの間で話す会話の内容から気になった点を検討&検証してみたり、

今まで習ったピアノや作曲の先生たちの能力や経験知識の厚さ/薄さを観察したり、

音楽業界の第一線で活躍するプロのミュージシャンの音源や演奏を観察したり、

信頼するに足る人たちの音楽セオリーの本や動画やサイトを参考にしたりしながら、

その時々の自分のレベルに相応することを続けてきた。

そして、5年前に比べてはるか遠いところまで来た。

そして、これからの道も無限である。

 

ちなみに、

この方法は、レッスンに通っていては、できない。

少なくとも、私の環境では、絶対にできない。

私にとっての独学の良さが、ここに有る。

一流のプロの人たちの音源やライブや動画やサイトを参考にしながら、 つまり、

本物の音楽だけを常にインプットしながら、

本物の人たちの言葉だけを吸収しながら、

自分の目標と、自分にとってのベストな方法を、自分の頭で考えながら、

これからも試行錯誤を続けていくよ。

 

還暦まで数年となった私には、

本物以外の人やコンテンツにかまっているラグジュアリーは、

もはや無い。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

やりたいことができるようになった | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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