以下は、20210922にアメブロに書いた記事:
現在、地球上の音楽のメインストリームとなっている西欧クラシック音楽は、
どうして、西欧で誕生したのか?
これについて、私の脳に宇宙から啓示が降りてきたので、以下に記す。
西欧クラシック音楽は、ダイアトニック+クロマティックで出来ている。
ダイアトニックは、古代ギリシャよりも前の、もっと古い中近東の文明に既に存在した、という説がある。
現在のトルコにあったと言われる、先進文化の都とうたわれた都市国家トロイア(トロイ)は、
包囲した古代ギリシャ軍による「トロイの木馬作戦」によって滅びたと言われている。
高度な先進文明は、周辺の野蛮な民族によって力で凌駕され、パクられ、滅びるのが、歴史の常なんだろう。
ダイアトニック+クロマティックが先進的と思われているが、
トルコなど中近東の音楽はクォータートーンが用いられ、西欧よりも細かい音楽表現を可能にしている。
文明発祥の地の中近東の音楽の複雑性が辺境地(西欧)に届き始めたのは、20世紀になってからだ。
ペンタトニックは音楽の大元(おおもと)といわれるが、
世界各地には、いろいろなペンタトニックがある。
日本だけでも、和音階と沖縄音階があるし、複数の和音階が存在する。
興味深いのは、和音階と沖縄音階を合わせるとダイアトニックになるのに、そうならなかったことだ。
琴にはクォータートーン的な演奏方法があると、どこかで読んだが、
どうして、これだけの音素材があったにもかかわらず、
日本では西欧のようなダイアトニック+クロマティックが育たなかったのだろうか?
じつは、日本でも古い昔にはダイアトニック+クロマティック的なものがあったのかもしれないが、
何らかの理由で廃れてしまったのかもしれない。
日本の三味線のサウンドのように聞こえるのはどうしてなのか?
ダイアトニック+クロマティックな西欧音楽の「みたらし団子*」は、音楽の意味をスペスィフィックに規定するが、
それが災いすることもある。 「みたらし団子」は、
音楽表現にとっての手かせ、足かせになることがある。
その不自由さから自由になりたい方向で、音楽は進化してきた。
日本の三味線のサウンドは、周回遅れに見えるかもしれないが、
実は、先進的な音楽である可能性がある。
西欧音楽の源、原点は何だろうか?
これについて、私が受信した宇宙からの啓示は以下である。
西欧音楽の原点は、家畜や森の動物たちの鳴き声である。
もちろん、雨や風や雷といった自然現象も表現されるが、
オーケストラで使用される楽器は、もともとは、家畜や動物の声を模していると思われる。
フルートやピッコロは鳥のさえずり、
ホルンはフクロウだろう。
トランペット類はキジなどの大型鳥類や、ワシやトンビなどの猛禽類であろう。
低音の管楽器は豚やオオカミか?
バイオリンなどの弦楽器は、羊や牛の鳴き声に聞こえる。ネコの鳴き声もそうだ。「ネコとフィドル」の組み合わせが、それを遠くで意味している。
西欧人は、牧畜民族だ。 麦も作るが、
沢山の家畜と一緒に暮らした。
古くは、一つ屋根の下で家畜と一緒に住んだ。
家畜は、一族にとっての宝だからだ。
宝とは、資産のことだ。
資産とは、富を生み出す財産のことだ。
家畜は、牛乳や肉や卵をもたらし、骨や革や羊毛などの素材を提供する。
昼間は、森を切り拓いた草地に家畜を放牧するが、
家畜はとても貴重な財産だから、
トゲのある木で作った生垣(hedge)で放牧地を囲って
大切な家畜を近所の人間に盗まれないように、
オオカミに食べられないように、家畜(資産)を守った。
金融でよく使われる「リスクヘッジ」のヘッジの語源は、ここから来ている、と直観した。
金融資産の価値を守るための仕組みが、ヘッジだ。
ヘッジという仕組みを使って、金融資産が目減りするのを防いでいる。
西欧人は今も、自分たちの大切な資産を生垣(hedge)で守っている。
西欧人にとって、資産は今も、家畜と同じなのだ。
放牧地の周りに残された森は、日本で言うところの里山、
つまり、雑木林であった。
材木や薪をとりに、木の実を摘むために、雑木林に入ると、
小鳥や小動物の鳴き声がしじゅう聞こえていた。
西欧人の日常は、動物の鳴き声だらけだった。
家畜がメーメー、モーモー、ブーブー、コケコッコー、
犬猫がワンワンニャーニャー、
鳥類はチュンチュン、ピーピー、ホーッホーッ、ピーヒョロロー、
遠くでオオカミがウオォォーン、
これが、発情期ともなると、どうなるか? とくに、
一緒に住んでいるメーメーモーモーブーブーに繁殖シーズンが訪れると、
いったいどうなるか?
近所の野良猫のそれをはるかに凌ぐ、
家畜たちの狂乱の大合唱のカコフォニーになるだろう。
この大合唱のカコフォニーを、ダイアトニック+クロマティックに入れ込んだのが、西欧クラシック音楽の交響曲なのであろう。
オーケストラは、牧畜民族である西欧人が日常生活で伝統的に耳にしてきた、
動物たちの鳴き声の大合唱なのだ。
これに対して、東洋人、日本人はどうだろう?
日本人の大半は、農耕民族である。
稲も麦もソバも、植物だ。
植物は鳴き声をあげない。
田んぼや畑に吹く風を受けてサラサラザワザワするだけだ。
もちろん、日本の山里にも動物はいた。
犬猫がワンワンニャーニャー、
鳥類はチュンチュン、ピーピー、ホーッホーッ、ピーヒョロロー、
遠くでオオカミがウオォォーン、
家畜のコケコッコー
までは身近だが、
家畜のメーメー、モーモー、ブーブーは無かった。
西欧は、この家畜の数が多い!
たくさんいるから、うるさい。
そのうえに、臭い!
ここまで書いて力尽きたので、続きはまた後日にする。
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*「みたらし団子」について: 私は、バッハを除いて印象派以前の西洋クラシック音楽は「みたらし団子」のようだと直観したので、「みたらし団子」という表現を使っている。
tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
西欧クラシック音楽はどうして西欧で生まれたか? | おんがくの細道
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
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