以下は、20210926にアメブロに書いた記事:
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の続きではないが、
ようやっと、矢野顕子の「JAPANESE GIRL」のCDを図書館で借りてパソコンに入れたよ!
LPは持っているんだよ。 遠い中学生の頃に、お小遣いをはたいて買ったLP。
一回しか針を落としてないよ。
レコードの溝が削れるのが嫌だから、レコード表面保護スプレーをかけてから、
一回だけレコードプレーヤーで再生しながらクロムテープに録音。
録音テープをラジカセで数え切れないくらい聴いたよ。
「ト・キ・メ・キ」のLPはいつ買ったんだろう? これも一回しか針を落としていない。
クロムテープかメタルテープに入れて、感動しながらめくるめく聴いた。
CDの時代になって、ラジカセも、これらのテープも、処分してしまったので、今になってCDを借りてパソコンに取り込んだのだ。
今改めて聴くと、当時デビューして間もなかった矢野顕子の稀有な逸材ぶりが迫りくる。
「ト・キ・メ・キ」のA面1曲目なんて5拍子だよ!
A面1曲目が5拍子のポップスのアルバムなんてあるかよ!?(クラシックは言わずもがな)
当時から攻めまくっていたことが改めてわかった。
NHK新日本紀行のテーマソング(by冨田勲)があんな風になって、中学生だった私は感動しまくった。
デビューアルバムの「JAPANESE GIRL」も改めて聴いたら、スゴすぎる!
A面1曲目からファンクショナルハーモニーのかけらもない曲だ! それに続くのがイレギュラーな拍子が入れ代わり立ち代わりの曲。
子どもの頃からわかってたんだよ、スゴイって。 中学の頃から、リスペクトしまくってたんだよ。
でも、今、聞くと、さらに舌を巻くよ!
「ジャズをやりたかった」というのが、よくわかる。
津軽民謡やねぶた祭りの歌や戦前の歌謡曲をアレンジしたナンバーに、中学の頃とっても嬉しくなったんだ。 私が「どうして誰もやらないんだろう?」と子ども心に思っていたことを、アッコちゃんがやってのけてくれたから。
40年を経た今は、これらのパワフルなカバー曲に加えて、
デビュー間もない当時の彼女のオリジナルの曲の高度な洗練性に驚きっぱなしだ。
何の違和感もない和楽器の使用も、あえて「日本的な和のエッセンスを入れました」的な、偉い人が前頭葉だけでこねくり回して作った感のある音楽に有りがちな不自然なわざとらしさが、皆無だ。
当時の矢野顕子のアルバムには、5拍子をはじめ、曲の途中で拍子がイレギュラーになる曲が何曲もある。
でも中学生の私は、何の違和感も感じずに楽しく聴いていた。
拍子がイレギュラーになるのは、日本の伝統音楽の伝統だ。
日本の空気の中に漂う、太古からの日本のリズムや節回しを、
生まれてからずっと吸い込んでいるから、違和感が全くなかったんだね。
日本で生まれて日本語環境でずーっと育った人は、
海外の文化の何をどう真似ても、否応なくヌカみそ臭くなる。納豆臭くなる。
逆もまた然りだ。 たとえば、
地球の反対側のヨーロッパ人が、行ったこともない日本の文化に憧れて真似したものは、
否応なくバタ臭くなる。チーズ臭くなる。
本家とは違う、奇怪なものになってしまうのは避けられない。
その土地の風土・文化が、人間のハラの中に刻まれて、匂いを発するからだ。
それでいいのだ。 いや、
それがいいのだ!
太古から連綿と煮えたぎる文化鍋に投げ込まれ、もと有る具材と混ざり合って、
煮詰まった混沌のケミストリーから生まれたものが、
日本の大衆文化であり、地球上で強烈な存在感を放っている。
日本臭いことこそが、日本の強みなのだ。
tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
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