ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

見えない手かせ足かせ脳かせ(続き)

 

以下は、20211004にアメブロに書いた記事:

 

昨日の記事

見えない手かせ足かせ脳かせ

 

の続き:

 

西洋人でもないのに、

西洋クラシック音楽発祥の国々の言葉を

ろくすっぽ話せないくせに、 つまり、

それらの国の文化を本当の意味で理解していないくせに、

西洋クラシック音楽を自分の物のように思って、

それをかさに威張り散らす。

名誉白人」と呼んでもらって

尻尾を振って座れ・待て・食べてよし・いい子いい子!

実は柴犬扱いされていることに、自分は全く気付いていない。

哀れな存在以外の何ものでもないのだ。

 

実のところは、

中学~高校と英語を習ったはずなのに、

どうして英語を使えないんだろう?

と、同じパターンなのだ。

 

どうして使いこなせないんだろう?

 

それは、やり方が、ハズレていたからだよ。

 

日本特有の理由もある。

英語も西洋音楽も、その点は同じだ。

いつまでたってもスタンスやマインドセットを変えないもんだから、

いつまでたっても方法がハズレまくっている。

 

「インド人の英語は訛りがキツくてわからなくてねぇ...」

と、薄笑いを浮かべながらインド英語を小ばかにする日本人がいる。

実は、その言動が、

「私は英語の実力がありません!」

と公然と言っていることを知る由もなく。

実力が無いから、そういうことが平気で言える。

そういう人に限って、英語で上手く意思疎通ができない。

だいたい、英語ネイティブやネイティブ並みに英語が堪能な人は、

英語がかなり訛っていても、聴きとれるものなのだ。

かなり訛ったインド英語も、かなり訛ったドイツ英語も、かなり訛ったイタリア英語も、

かなり訛った日本英語も、かなり訛った米国の地域の英語も、

それなりに聴きとれるものなのだ。

昔バリ島に旅行に行ったとき、ホテルのスタッフが、ホテル内のいろいろな決め事を英語で説明しながら部屋まで案内してくれた。 

バリ島特有のアクセントのある英語だったが、全神経を集中させて聴くと、言っていることがわかった。

説明が終わり「自分の英語はわかったか?」と聞かれたので、

「わかった」と答えると、

「自分の英語はわからない、と日本人は言う」と、ちょっと不思議そうに言うのだ。

そのとき私は、自分は英語の実力がそれなりにあるんだなぁ、と思って

仕事で英語を努力した甲斐があったと、ちょっと嬉しかった。

 

ところで、

訛りよりも、話す内容のほうが重要なのは、当然だ。

言語とは、自分の意志を他者に知らしめ、

自分に有利に事を運ぶようにもっていくためのツールだ。

世界は日本ではない。

世界にも、性の悪いヤツラがいる。

「国際親善」「おもてなし」のために外国語を覚えたいなんてホンワカ思っていると、性悪なヤツラにカモられるのがオチだ。

日本に住んでいて必死に日本語を覚えようと勉強する人たちは、

日本語ができないせいで日本で不利になるのを避けたいからだ。

その土地の言語は、その土地で生きるためのサバイバルツールだ。

 

訛りは、言語と音楽の共通点のひとつだ。

訛りは、その国や文化の唯一無二のキャラクター。

リアルなシチュエーションでは、

自由自在に自己表現して他者を説得できる人が、いつも勝つ。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

ameblo.jp

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad