以下は、20211007にアメブロに書いた記事:
手が小さい人がピアノを趣味にするときは、
無理して譜面どおりに弾かない方が長期的なメリットが大きい、と感じる。
クラシックピアノでは、
「譜面どおりに弾ける」ことを絶対視するカルチャーが存在する。
当然といえば当然だ。
西洋音楽史上に輝く大作曲家の先生たちが命を削って作った渾身の作品は、
一音一音、忠実に再現しなければならない。
んだけど、
たとえば、
マイケル・ジョーダンのプレイを、
一挙手一投足、寸分たがわず、再現しろ!
って言われて、
身長160cm体重50kgの人ができるわけがない。
同じように、
12度に軽く届いたリストの名曲を
一音一音、忠実に再現しろ!
って言われた、
オクターブにようやく届くぐらいの手の大きさの人の
身体的な負担は大きい。
それを、手指に無理をして頑張り過ぎると、
手を痛めることにもなりかねない。
そのようなことをして左手の小指にヘンな痛みがある私である。
私はクラシックにはほぼ興味が無いので、リストが原因ではない。
とあるピアニスト/キーボーディストさんの曲があまりにもカッコイイので、
一部分をトランスクライブ(耳コピ)して練習代わりに弾きまくっていた。
ところが、そのオクターブ超えの左手アルペジオを、そのピアニストさんみたいにサラっと弾こうと思って無理をしたのがいけなかった。
素人弾きのクラシックのピアノのように、なんというか、クッションみたいなかんじで着地すると、へんなタメが生まれてダサくなってしまうので、そうしないで頑張ってしまったのだ。
そのピアニストさんは10度以上が届くそうだ。
そもそも、9度止まりの人間が、
10度以上が届いてオクターブの4音コードをデフォルト使用する、
「連弾ですか?」レベルの音域と音数をたった一人で鳴らすような、
超一流のプロの即興演奏のマネをしてはいけなかったのだ!
以来、ヘンな痛みがなくならない左手の小指をかばうようになってかれこれ2か月以上になる。
その間は、ベース音になるべく左手の人差し指を使うようにしている。
そうなると、体制がちょっと傾いて無理がかかる。
というように、いろいろな方面に悪循環が始まってしまう。
昨日の記事で書いたように、
自分の柾目(まさめgrain)に逆らってゴリ押しすると、こういう結果になる。
ただ、「小さい手ながら、ここまでやった!」という前向きな明らめがついたので、
自分にもできる別のことをやりはじめた。
ジャズの根幹であるブレインマッスル(脳の筋肉)の強化に注力しはじめた。
そして、その結果が出始めている。 良いことだ。
ようやく、ブレインマッスル(脳の筋肉)の強化に苦労できる程度の地力はついてきたみたいなので、とても嬉しい。
ブレインマッスル(脳の筋肉)は、
アマチュアや「自称プロ(=実質素人)」レベルのクラシックピアノではほとんど必要ないと、子どもの頃クラシックピアノを習った経験から断言できるが、
ジャズなどの即興演奏が主体の音楽ジャンルでは、
アマチュアであっても、
ブレインマッスル(脳の筋肉)の強化が、ほぼ全てだ。
だが、
ブレインマッスル(脳の筋肉)を強化するために必要な土台作りが
つまらなく面倒なものなので、挫折する人が多いのだと思う。
私の場合は、
手の大きさや体格はどうしようもないが、
脳については、まだまだ伸びる可能性がある。
身体能力は、有限だが、
頭脳の力は、無限だ。
だから私は、作曲・編曲・即興演奏といった創作の部分が大きい音楽ジャンルが好きだ。
tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
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