音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

楽譜どおりに完璧に弾こうとはしない

 

以下は、20211008にアメブロに書いた記事:

 

昨日どうしてこのような記事

手が小さい人がピアノをひくとき

 

を書いたかというと、

 

この本について書こうと思ったからである:

Oscar Peterson

Jazz Exercises, Minuets, Etudes & Pieces for Piano, 2nd Edition

 

この本を始めてから2年以上経ってしまったが、

先日ようやく、全ての曲をケンバンで押さえ終わった。

2年以上かかったのは、途中で他のことをいろいろやっていた時には、この本をまるっきりやらなかったからである。

「ケンバンで押さえ終わった」と書いたのは、

完璧に弾いていない、というか、完璧に弾こうという意志を全く持たずに弾いていた、というか、ケンバンで押さえていたからである。

 

この本を譜読みしながら、

「この本を完璧に弾こうと思ったら、

オスカー・ピーターソンと同じ大きさの手が必要だ」と思ったからだ。

だから私は、つっかえてもあまり気にせずに弾いた。

 

「そんなデタラメな! 楽譜どおりに弾かないなんて、クラシックピアノでは許されないぞ!」

 

そうですか? 

それなら、手の小さい人がクラシックピアノでよくやっている10度の和音はバラし弾きしてOK!っていうのもダメなんじゃないの?

あるプロ演奏家の女性ピアニストさんが、とある'著名な'作曲家のとあるソナタの第一楽章で、1度だけ出てくる10度の和音の上の音を弾かずに涼しい顔してシレッと演奏してる動画があったよ。 私はその曲は弾いてみたかったので、楽譜を入手して、参考になる動画を探して見つけたのが、その動画でした。 ハーモニー的にあまり目立たない場所の音だったから、弾かずにしのごうとしたんだね、でも、知ってる人が聴くと「あ!あの音を抜いて弾いてる!」って、わかっちゃう。 (↑「'著名な'作曲家」と書いたけど、私はつい3年ほど前までこの'著名な'作曲家の名前すら知らなかったよ。その後いろいろ視たり読んだりしていたら、音楽を生業にしている人なら絶対に知っているはずの'著名な'作曲家だった。 この女性ピアニストさんは、経歴からして、○○系アメリカ人ないしは○○人だろうね。そういうこともあって、この作曲家の曲は積極的な気持ちで弾くんだろうなぁ。事情に詳しくない人には同じ民族に見える人たちをひっくるめて「アメリカ人」と呼ぶククリは、乱暴すぎるくらいアバウトだ。)

 

 

冒頭のオスカー・ピーターソンの本は、

個人的には、私にとってはとても役立つ本だったし、

これからも継続して続けていこうと思っている。

 

アマ○ンのコメント欄でジャズの先生が書いているように、

日本語版の本では「ジャズ・ハノン」というタイトルになっているが、

あの「ハノン」を想像して購入すると、肩透かしを食らった気分になるだろう。

そして、そもそも、

あの「ハノン」と同じマインドセットでジャズピアノの練習をすると、

あまり好ましくない結果になるのではないか、と思う。

 

ちなみに、アマ○ンのコメント欄で、

長年のクラシックピアノ経験者のコメントと、

このジャズの先生のコメントの内容を比較してみると、

とても興味深い。

同じ本なのに、解釈や考えの深度の違いが浮き彫りになる。 つまり、

ジャズピアノとクラシックピアノとでは、

マインドセットの次元が絶望的に違い過ぎるということが、とてもよく表れている。

 

オスカー・ピーターソンのこの本は、個人的にはとても良い本だと思うが、

オスカー・ピーターソンの演奏は、個人的には好みではない。

私はモンク好きなので、いた仕方ないことだ。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

ameblo.jp

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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