おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

ニューヨークの音楽を象徴する2人

 

以下は、20211010にアメブロに書いた記事:

 

今日10月10日は、古典ジャズの巨人セロニアス・モンクの誕生日だ。

モンクは、生粋のNYっ子というか、マンハッタン子といっても良い。

生後3歳の時に、両親と姉とともに、NYの中心マンハッタンに移り住んできた(故郷の州は忘れたが、wikiればわかる)。

彼らが住んだのは、黒人の低所得者用に篤志家が建てたアパートメント(集合住宅)であった。

その建物は、今も現存していると思う。

目の前の通りには、モンクの名前がついている。

黒人の低所得者用の、そのアパートメントの建物はどこにあるか?

リンカーンセンターの真裏にある。 

リンカーンセンターは、東京で言えば半蔵門国立劇場である。

半蔵門国立劇場は、皇居の道はさんで西側に建っているが、

リンカーンセンターは、セントラルパークの道はさんで西側に建っている。

モンクは、日本でいえば、政治経済文化の超ド真ん中で育ったといえる。

東京と違って、NYは政治の中心ではない!というなら、

であれば、

モンクは、東銀座は歌舞伎座の真裏で育ったみたいなものである。

だからモンクは、日本で言えば銀座っ子である。

ミュージカルの中心42nd Streetへも至近距離の場所だ。

世界のエンターテインメントの中心地が子どもの頃の遊び場だったモンクの耳には、

NYマンハッタンの風の中に響く世界最先端の音楽が聞こえていた。

 

モンクの音楽は、マンハッタンの環境から生まれた。

 

モンクの音楽は、

 ガチャガチャ、

 ごちゃごちゃ、

 steely(スティーリィ)

である。

 

 ガチャガチャ、

 ごちゃごちゃ、

 steely

は、モンクが育った

NYマンハッタンの空気

そのままである。

 

かつての職場の先輩で、

若いころにロサンゼルスに何年か住んでいた人がいて、

彼女が

「ロスは東京の山の手の雰囲気があり、

 NYは御徒町の雰囲気がある」

と言ったのを、私は覚えている。

ロスが山の手というのは、ちょっと盛り過ぎではないかと思うが、

確かに、

NYのマンハッタンの空気と最も似ている空気は、

上野~御徒町界隈に感じられる。

うっすらとやさぐれ感のある、雑然とした雰囲気である。

 

 ガチャガチャ

 ごちゃごちゃ

 steely

 

steelyは、

東京ではあまり感じられない。

東京は、その前身である江戸の頃からwoody(ウッディ)である。

 

これに対して、NYは、

steelyである。

木材ではなく、

鉄鋼なのである。

 

だいたい、

NYの音楽の大殿堂カーネギーホールからして、

その大元をたどればsteelyである。

アメリカの最高の音楽は、

鉄鋼のゆりかごから生まれているのだ。

 (音楽を庇護するカネの出どころのことである)。

 

 

歴史浅いアメリカの伝統は、

鉄鋼と石油の上に成り立っている。

パリやローマやロンドンの伝統は、石の上に、

京や大坂や江戸の伝統は、木の上に、

そして、

ニューヨークの伝統は、鉄鋼の上に成り立っている。

 

 ガチャガチャ

 ごちゃごちゃ

 steely。

ニューヨーク、そしてその中心マンハッタンの音である。

 

モンクのカルテットが演奏する「荒城の月」は、

日本の文化にある哀愁も「もののあはれ」のカケラも無い、

「マンハッタンの月」である。

今宵も ガチャガチャと鳴り響く

不夜城マンハッタンに無数にうごめく人間たちの

ごちゃごちゃした栄枯盛衰を、

クライスラービルのはるか上空から

醒めた目で無表情に見下ろしながら、

乾いた光で街を冷徹に照らす、

鋼鉄の月である。

 

 

疲れたので今日はここまで。

 

続きは: 

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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