ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ジストニア

 

以下は、20211016にアメブロに書いた記事:

 

ジストニアは、プロのミュージシャンにとっては命取りにもなりかねないことは、こんな私でも知っているが、

ジストニアにうち勝ったこの方のこの記事に、

とても象徴的なことが書かれていた:

ギタリスト田中義人さんのブログ記事

 

田中義人さんをはじめ一流の売れっ子ミュージシャンの中に、楽器の種類に関わらず、

過去にジストニアにかかった人が散見される。

 

読売新聞のネット版「ヨミドクター」にも、ジストニアにかかったギタリストとピアニストそれぞれのインタビュー記事が載っていた。

 

ただ、ジストニアは一流のミュージシャンだけが苦しむ病気ではないだろう。

おなじ病気に苦しむ無名の人たちが沢山いるに違いない。

 

上記の記事を読んで、

楽家が身を置く環境には、

ジストニアを醸成する文化的な要素が存在し、

楽家の心身を追い込むことがあることを、私は感じ取った。

 

ただ、

この文化的な要素は、日本特有のものではないだろうと、私は思う。

楽家ジストニアは、西洋音楽の本家本元の西洋において、最初に確認され問題視されたに違いない。 

西洋で音楽家ジストニアの研究が進んでいるのは、それだけジストニアにかかる音楽家が多いからだろう。 西洋において音楽家という職業は、酷使される仕事ということなのだろう。

 

研究が進んでいることや、保護制度が充実していることは、悲惨な過去の裏返しであることが多い。

欧米がチャイルドレイバー(工場などで子どもを長時間労働させること)に目くじらを立てるのは、かつて彼ら自身が、自国の貧しい子どもたちを工場などでこき使った歴史があるからだ。 ミュージカルだったかどうか忘れたが「オリバー・ツィスト」もそんな子どもが主役だったと思う。 地球の半分が大英帝国だったヴィクトリア時代、エンクロージャー法によって貧しくさせられて田舎に住めなくなった人たちが、大都会ロンドンや各地に職を求めて流入した。 なかでも悲惨な仕事のひとつが、子どもの煙突掃除だったという。 子どもは小さくて細いから、狭い煙突の中に入っていけるので、貧しい子どもたちが煙突掃除の仕事に就いた。 ところが、なかには、煙突の中で詰まって出てこられなくなる子もいて、ひどい場合は、広いお屋敷の中で誰からも忘れ去られて、煙突の中で死んでしまった子もいた、という話を、私はイギリス人から聞いた。 



楽家に限らず、ゴルフなどのスポーツ選手も、ジストニアにかかる。

野球でよく言われるイップスも、ジストニアみたいなものなのか?

違うかもしれないけど、イップスも、野球選手の選手生命を断つことがある。

 

ジストニアイップスに共通するのは、

脳が機能不全を起こす点だろう。

 

身体を使って何らかの芸を完璧に披露するのが職業の人たちが、

たいへんな精神的プレッシャーの中に生きているということは、

想像はできても、実感することはなかなか難しい。

いや、想像できる。

発表会で5分程度の曲をノーミスで演奏する状態を、

一日2時間、一年で300日前後行っているのが、プロだ。

それも、

演目の段取りをすべて把握したうえで、

煌々と手元を照らしてくれることが決してないステージ照明のもとで、である。

アイドル歌手や舞台役者も、大変な仕事だ。

自分の歌詞やセリフを全部暗記して、

複雑に明滅する舞台照明の下で上がったり下がったりする舞台の上で踊り・駆け回り、

大道具や衣装・小道具を含めてコンサートや芝居の段取りを全部把握したうえで、

2時間近い演目を完璧にこなし、ときには1日に2公演も行う。

愚か者にはとてもできない仕事だ。

 

それだけ人間の脳は優れているともいえる。

だが、

超一流の役者でも公演中に事故にあって大けがをすることもある。

市川猿之助松本幸四郎尾上菊之助は、それぞれの舞台で出演中に、

演出効果のための機械に巻き込まれたり、

舞台から奈落に落下したりして、

大けがをしている。

申し分のないキャリアのこの人たちでさえも、

子どもの頃から勝手知ったる歌舞伎の舞台で、

まさかの大事故にまきこまれることがある。

 

 

芸能に限らず、

社会に存在するすべての仕事は、それぞれに、尋常じゃない神経を使う。

門外漢からすれば「とても人間業じゃない!」というような仕事に、

誰もが従事している。

 

だが、とりわけ、

芸術・芸能など「芸」がつくエンタメ業では、

人前で完璧に芸を遂行するための曲芸的なプレッシャーが常時続き、それに加えて

眠る間もない多忙すぎる仕事の日常が相まって、

不運にも脳の機能が阻害されることがあるのだろう。

 

ジストニアは、芸能やスポーツに限らず、

書道家や、かつてのタイピストにもみられた病気だ。

 

パソコン仕事が多い人は腱鞘炎にかかり(かつての私もそうだった)、

重い物を運ぶことが多い仕事の人は腰痛になり、

お客様に気を遣う必要が多い仕事の人は、食べ物やお酒で仕事のストレスを発散することで内臓を弱らせ、

危険物を扱う人は、常時その危険と隣り合わせだ。

この社会、どこを見ても、心身を損なう原因に溢れている。

仕事にまい進して不運にも心身の不調を患った人たちに、心から同情する。

私もそうだったからだ。

だが、

自分の心身の不調を回復できるのは、自分だけだ、ということを、私は知っている。

どんな名医だって、直せない。

お医者さんは、私自身が回復しようとする努力を、手助けしてくれることしかできない。

 

冒頭の記事の田中さんがジストニアに打ち勝ったのは、

ご本人が、自分を信じる強い気持ちをお持ちだったからだろう。

 

日々、心身の不調に苦しみながら、

それを誰のせいにすることもなく、 そして

誰からも同情されることもなく、

自らを信じて、それを克服しようと、

自らの力で前に進もうと、もがいている名も知れぬ真の英雄たちが、

いまこの瞬間にも、この社会に無数にいる。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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