ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ジストニア(続き)

 

以下は、20211017にアメブロに書いた記事:

 

昨日、ジストニアの記事を書いたのは、

私も、もしかするとジストニアの手前までいったかもしれないと思うからだ。

 

1年ほど前、ピアノを弾いている時に右手のミスタッチが増えた時期があった。

意図した鍵盤を指が避けるように、違う鍵盤を叩いてしまう。

そのようになる時、頭の中に不思議な感覚が生まれる。

「これはマズイかもしれない」

と思って、

それ以来、ピアノの練習マインドセットを変えたところ、

この変な現象は起きなくなった。

 

「素人がジストニアなんて! 気のせいよ!」

と笑うプロやピアノの先生もいるかもしれないが、

上記のようになった頃の私は、

ピアノの一曲を、最初から最後まで、一回も間違えずに弾くことを目標にしていて、

途中でつっかえたり間違えたりすると、狂ったようにその部分を部分練習してから、最初から弾きなおす、という

今から思えば全くもって愚かしいことを行っていた。

つまり、自分で自分を追い込んで、

できない自分を罰することを繰り返していたのだ。

 

そこで、

「もう若くないんだから、一曲まるまる全部弾くことをやめて、3分の1や半分ぐらいを弾こう」

「1か所2か所間違えたって、別にどうってことないよ」

と、思考を転換した。

 

それ以降、右手の変な動きは無くなった。

 

今は、キメ打ちに固めた曲で、3分程度の曲は、

たいしたミスなく弾けるようになった。

これは、弾く姿勢が良くなって、音が良くなり、指の動きも良くなったので、

基本的に自信が生まれて、

「今は間違えるけど、それはまだ覚えていないだけ。 慣れれば絶対に弾けるようになる」

と思えるようになったからだと思う。

 

そうはいっても、今も、そこそこ間違える。

だが、最近の間違え方は、

脳の老化が原因かもしれない、という気がする。

 

何でも「老化」のせいにするのは良くないとは思うが、

やっぱり、若い時とは違って、

日常生活で物覚えが悪くなったし、物忘れも増えている。

 

今、人生でいちばんピアノを弾く姿勢が良くなって、

いちばん良い音で弾けるようになったというのに、

アタマの衰えがネックになってしまうという、

トホホなことになっている。

 

がしかし、そのようなタイミングで、

ようやく過去3年間地味にポツリポツリ続けてきたことの効果が出てきて、

アドリブを固めてキメ打ちしないと弾けない状態から、

少しずつアドリブができるようになってきたので、

これからは、間違いを弾き越えることに慣れていこうと思って、ピアノやキーボードを弾いている。

そして、1コーラス目はメロディ、2コーラス目以降はアドリブという構成で5分ぐらいの曲については、現状の私の音楽語のボキャブラリーのレベルで、何度か弾くうちに間違いを弾き越えてまあまあ満足して弾けるようになっている。

あとは、一生かけて音楽語のボキャブラリーを蓄積していくだけだ。

 

人間は、間違える。 だから、

完璧に弾くことに血道をあげるよりも、

間違いを弾き越えて楽しく弾くことに注力するほうが、

ナチュラルに合理的だ。

そういう意味で、

アドリブや即興演奏を含む音楽は、

最初のハードルこそ高いが、

長い目で見ると、歳をとってからも

自分のボキャブラリーを使ってナチュラルに満足して弾き続けられる

とても人間的な音楽だと、私は思う。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

 

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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