おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

ピアノのお稽古のパラダイムシフト(続き)

 

以下は、20211023にアメブロに書いた記事:

 

先日書いた記事の続き。

 

私は、個人的には、上記の記事で書いたオンラインピアノレッスン動画サービスをサブスクすることはない。

 

というのは、何年か前に、同じことを経験済みだからである。

 

その頃、先行する人が提供する同様のサービスを3か月間だけサブスクし、それに前後して世界中のプロたちがアップする音楽に関する無料動画を見まくっていた。

 

サブスクしたオンラインピアノチュートリアル動画は、東欧系で本国に在住のクラシックピアニスト/現地の音大の先生の動画サブスクサービスで、ピアノを弾く姿勢や動きがものすごく参考になると思って、サブスクを始めた。 動画を見て、この先生の演奏姿勢や腕~指にかけての動かし方を、自分の脳に転写する、イメージトレーニングが、サブスクの目的だった。 

イメージトレーニングというのが、とても重要なポイントで、先生が語る言葉や、「有難そうに聞こえる」指導は、あまり、というか、ぶっちゃけ、どうでもよいと言っても過言ではない。 

重要なのは、その演奏家なり先生なりが、マネするに足る姿勢や動作で演奏できているかどうか、だけだ。 極論だが正しいと、私は確信している。

 

言葉や有難そうな指導やライフハック的な内容や精神論は、わざわざ先生にお金を払って教えてもらわなくても、今やネット上に文章や動画の形で数限りなく、しかも無料で転がっているので、もはや、貴重なレッスンの時間中にお金を払って買うコンテンツではないからだ。

 

そのうえ、私がサブスクしたこの先生は、動画の中で、ピアノを弾くための腕の動きや身体の使い方について、「なんて表現していいかわからないけれど...」と言うことがあった。 これを聞いて、私は、「この先生は本物だ!」と確信したのだ。 だいたい、身体操作を言葉で説明すること自体が、そもそも不可能なのだ。 自分の動きを、言葉によって人に説明しようとした時に、もう嘘になってしまうのである。 

 

私がサブスクした先生は、言葉ではなく、その演奏姿勢や演奏動作とピアノの音が、お金を払ってサブスクするに足る本物の視聴覚コンテンツだったのである。

 

本物の、真実のコンテンツは、目の前で見る&聞く&感じる、実際のパフォーマンスだけだ。 

言葉なんて、どっかの素人のブログでも漁って脳にコピペして、さも自分が考えたかのように素朴な生徒と親御さんに吹聴することができるからだ。 素人ブログで「クラシックの即興演奏」の記事を見たら早速次の日に自分のブログに「クラシック即興演奏」についてシャーシャーと記事を書く、「アメリカ人のピアニストが12キー練習を勧めていた」という記事を見れば、早速「12キー練習をさせています!」と悲鳴のような記事を書く。 こういう、軸が自分の外にしかない薄っぺらな先生から猫の目のような指導を受けるお子さんたちのほうは、とんだ災難だろう。 で、そういう先生たちは、自分自身で、クラシックの即興演奏ができたり、生徒に「先生、この曲弾いてみて」と言われたらどんな曲でも12キー全部でつっかえずにスラスラと弾けるだけの実力があるのかいな?というところが、最も重大な点である。 

(クラシックの即興演奏は、ジャズの即興演奏と同じで、ジャンル特有の音楽理論に則って瞬時に作曲&演奏ができる能力が必須だから、おいそれとできるもんではないよ。 それから、合理的な必要性があやふやなのに表面的な12キーのスケール練習を強要するのもどうかと思う。)

 

ネットで大半のものが無料で手に入るようになった今、

言葉や、指導の掛け声の中には、真の有難いコンテンツは、存在しない。

 

伝説的なバンドのメンバーで今や大御所になっているミュージシャンたちが、音大や専門学校でスター先生として教えている、彼らの価値は、まさにそこに有るのだ。

もちろん彼らスター先生たちは、チーチーパッパレベルの内容も教えることができる、がしかし、

彼らから教わる最も価値があるコンテンツは、彼らの存在自体なのである。

彼らが放つオーラ、つまり、彼らの存在力なのである。 

音楽業界のトップに上り詰めた、彼らの生き様であり、いまも第一線で仕事をし続ける彼らの背中なのである。

彼らの一挙手一投足から溢れこぼれ出る「一流の人間のオーラ」を吸収できることが、このようなスター先生や一流ミュージシャンから教えてもらう、最も価値のあるコンテンツである。

ある身体操作の家元が、ブログに興味深いことを書いておられた。 「かつて、プロ野球でスランプに陥った選手が、王貞治選手と一緒にランニングをすると、不思議と調子が良くなったそうだ」とのことである。 これは真実だと、私は思う。 スランプは、身体操作のちょっとしたズレがクセになることが原因ではないか、と思う。  理想的な身体操作の超一流のプロのそばにいると、彼らの理想的な身体操作や、彼らが発する様々な良いパワーを、視聴覚をはじめ五感六感から吸収できるので、身体が整って調子が良くなってしまうのだろう。 個人的には、私は、神保彰さんのドラム演奏を観ると肩こりが軽くなるよ。 そういうことは実際に起こり得ることであり、それこそが、レッスンの本質なのだ。 

 

譜面の読み方や手の形やスケール練習みたいな、超一般的なことは、今や無料でネットでゴマンと手に入る。 精神論もしかりである。 

ありきたりの内容を言葉で指導するばっかりで、身体操作が???な先生から習うくらいだったら、こういうオーラに満ちた超一流のひとたちのライブを聴きに行ったり有料ライブ動画を視聴したりするほうが、よっぽど価値が有る、と私は確信している。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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