おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

ピアノと名画

 

以下は、20211026~29にアメブロに書いた記事:

 

ピアノを弾く人物の絵といえば、

ルノワールが描いた、ピアノを弾く2人の少女の絵が真っ先に思い浮かぶが、

絵の中でピアノを弾いているお嬢さんの姿勢が悪いという印象しかない。

著名な画家は、やっぱり著名と言われるだけのことがあるんだね。

中流階級のお嬢さんの素人ピアノならではの演奏姿勢が絶望的にリアルに表現されている。

 

ところが、本日、

なかなか良い姿勢でピアノを弾く女性を描いた絵があることを知った。

マネが、自分の奥さんがピアノを弾く姿を描いた絵である。

山田五郎氏のYouTubeチャンネルで紹介されていたのである。

絵の中の、マネの奥さんは、なかなか良い姿勢で弾いている。

ちょっとアゴが出てる感はあるけど、それ以外は良い感じだよ。

それに、太め体形のところに、説得力があるね。 良い音が出たんじゃないかな。

マネの奥さんは、ピアノの先生だったんだって。

そして、動画によれば、男性関係がいろいろと賑やかだったらしい。

自由奔放な性根が、楽な姿勢に表れているのかな?

芸には、いろいろな意味で、自由奔放さが必要だからね。

アメノウズメも、出雲阿国も、弁天様も、

自由奔放な女性の極みだ。

自由奔放さがないと、伸びやかでおおらかな芸にはならないもんね。

箱入りの良家の子女と、自由奔放さは、なかなか相容れないものだ。

 

 

個人的なつぶやき:

この動画や直近の動画アップは、非常にいろいろな意味で、大変に見上げたものだと、感服致しました。

山田五郎さんや制作の方の心意気に、深い敬意を表する次第です。

 

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続き:

 

前回の記事:

ピアノと名画

 

を書いた後で、ふと思い出したことがある。

 

10年以上前に、どこかのBSチャンネルで視た、

シャーロット・ブロンテの小説「ジェーン・エア」のテレビドラマだ。

 

イギリスのBBCかどこかが制作したと思う、このテレビドラマは、

原作の小説の舞台となったイングランド北部のヨークシャーで撮影されたのであろう、

現地の荒涼とした雰囲気や空気感がリアルに描かれている。 また、

主人公のジェーンを演じた女優さんが、とりたてて美人でもなく、ガッシリした体型をした人で、質実剛健で気高く芯の強い北国の女性を好演していた。

 

恵まれない境遇に育つものの、学識高い女性に成長したジェーンは、

とある領主のお殿様がフランスで踊り子(バレリーナ)に産ませて引き取った、母親の血なのか年齢の割にはやけに水商売っぽい女の子の住み込みの家庭教師として、お城に小さな部屋をあてがわれて住むことになる。

やがてお殿様はジェーンに惹かれ、ジェーンもお殿様に惹かれていくのだが....

という話である。

 

ある日、お城の社交パーティーで、

ジェーンは、

お殿様と幼なじみのご令嬢から、

「ここで住み込みの家庭教師をしていらっしゃるの? 

お屋敷の主(あるじ)の愛人になることを狙って住み込みで家庭教師をする女性がいるという話を聞くけれど...」

と、氷のようなイヤミを言われる。

 

このシーンから、

家庭教師などで働く必要がある女性は、

働かなければいけない女性である、ということが想像される。

働く必要が無いご令嬢から見れば、

下賎な女性だ、ということである。

 

これは洋の東西を問わず、昔も今も、あまり変わらないのではなかろうか。

日本では、かつて女性が「お勤めをする」ことは、あることを意味していたようである。

古典落語「今戸の狐」の中に、長屋の住人たちが

「あの人の奥さんは、昔は骨(こつ)で勤めをしてたそうだが、そんなこたぁ関係ないよ、働き者でいい奥さんじゃぁないか」

と語り合うシーンがある。

骨(こつ)とは、新撰組近藤勇が最期に斬首処刑された(農民から武士の身分になったのに武士の名誉の切腹をさせてもらえなかった)小塚っ原の処刑場があった、千住という宿場の略称である。 千住を含めて、品川・新宿・板橋のいわゆる江戸四宿は、江戸から各地へ伸びる主要街道の最初の宿場であり、また天下御免の吉原に次ぐ指折りの歓楽街であった。

 

かくも言葉は時代とともに変わる。 もし、当時の江戸っ子が現代にタイムスリップして「あのお嬢様は有名な○○会社に勤めているんですよ」と聞いたら、「○○楼みたいな「おおまがき」で勤めをしてるのか?そいつぁ上玉(じょうだま)だ!」と全然ちがうものを想像するかもしれない。

いや、ある意味、実際に「上玉」なのだ。 企業の中で、何かに守られるように働いている。 同じ場所にいてオフィスの同じ空気を吸っていても、そういう上玉さんたちの身の周りには、目に見えぬ結界が存在するものである。 

昭和のバブルの頃までは、「お嬢様は働くものではない」という風潮があった。 「家事手伝い」と呼ばれたお嬢さんたちである。 「家事手伝い」は、「箱入り娘」とほぼ同義であろう。 仮に働くとしても、出身校の女子校の非常勤講師や、自分の親が経営する会社等での勤務(事実上の家事手伝い)などで、お見合い結婚まで守られた環境に置かれたであろう。  女性が社会で広く働くようになった今でも、そういうことは日本のどこかに残っているのではなかろうか。 日本経済のトップの人たちのご令嬢方は、働くとしても、受け入れ先の著名企業の中の、下々の若い男性社員がおいそれとは近づけない部署に配属されて、上層部の人脈を通して持ちかけられる縁談話の候補となる日が来るまで、箱の中にしっかりと守られているのではなかろうか。

と、想像してみたりする。 

 

 

前回の記事をアップした後、

最終的にはモネの奥さんになった、

オランダかどこかからフランスに出てきて、

モネの父親に呼ばれてモネと兄弟たちにピアノを教えた、

住み込みのピアノ教師の女性に端を発して、

いろいろと思いをはせた次第である。

 

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