以下は、20211111にアメブロに書いた記事:
先日書いた記事:
の中で、
それぞれの分野にとってのダイヤモンドの原石を持っている人が、
それを磨ける環境に恵まれ、本人が時間を忘れて一心に磨き続ければ、
一流の存在になるのだろう。
と書いたが、
「環境に恵まれる」とは、どういうことだろうか?
実のところは、
「環境に恵まれていないこと」が
「恵まれた環境」ではなかろうか?
環境に恵まれないことは、ハンデであるが、
それをバネに人の二倍も三倍も努力した結果、
押しも押されぬ超一流になった人が、
音楽業界をはじめ、あまたの業界に見られる。
その意味では、
環境に恵まれた人のほうが、
大きなハンデを負って生まれてきたようなものである。
私の仕事は音楽業界ではなかったが、
恵まれた生まれ育ちと、それによって得た、特権階級に生まれ育った人しか持ちえない、私にとっては喉から手が出るほど欲しい能力やスキルを欲しいままにする人たちが、
世間の憧れの仕事やポストをいとも簡単に放り捨てるのを、幾度か見てきた。
その仕事やポストに就きたいと何百人もの人が入社試験を受けて落とされた、そのポストを、ふらっと試験を受けて当然のごとく得る(実業界での父親の経歴と役職が大変良く、コネが有っても無くても、出自と能力で採用)。 ところが、就職して3年もたたないうちに、あっさり辞めてしまう。 辞める理由は、キャリアアップのための転職といった前向きなものではなく、週末の趣味のスポーツのやりすぎで身体を痛めてもう続かないなどと言って、なんとなく辞めてしまうのである。
結婚もそうである。
日本一の高級ホテルの一番の大広間を借りて
何百人もの招待者を招いて一流の殿上人と結婚披露宴をあげたお嬢様が、
数年後にアッサリ離婚するのも見た。
そうやってアッサリと離婚した人が、
何十年か経ってから、突然
「会って話がしたいからランチでも」
って言ってきて、
こっちが会うと思うかよ!?
多分、離婚してしばらくして、
勤めている輝かしい企業が傾いた上に、
最近父親が亡くなって、兄嫁が一族の女性の頂点に君臨するようになり
肩身が狭くなったので、
一人身の寂しさや心細さを紛らわそうと突然連絡してきたんだろうが、
その間にこっちは、あんたから見たら本当にちっぽけなものを
大切に守りながら、それを死守すべく必死でもがき続けて、
今は慎ましくもささやかな安定を得ておりますので、
運勢が下り坂の人の心理カウンセラーをタダでやるほどお人好しではございませんよ。
対照的に、
生まれ落ちた環境に恵まれないものの、充実した人生を手に入れた人が、世の中にはたくさんいる。
養護施設で育った、ある女子プロレスラーは、
「プロレスラーになりたい」という目標に向かって脳に汗をかき、身体を鍛え上げ、
今は女子プロレス団体の社長をしている、というインタビュー動画を見た。
現役レスラー時代は、決して恵まれているとはいえない体格で厳しい特訓に耐え、試合による怪我に悩まされ続け、
社長になってからも、このコロナ自粛の時世での会社経営は大変厳しいに違いない。
にもかかわらず、
「憧れのプロレスの世界に入ってからずっと幸せです」と語る。
新約聖書に、雇い主と3人の使用人のたとえ話がある。
超一流ホテルの盛大な披露宴で何百人もの人たちから祝福された結婚を、離婚によってチャラパーにしたご令嬢は、さしずめ、
100億円を手の中に持ってこの世に生まれてきたのに、生きている間にその価値をぶっ壊し続けているようなものだ。
忙しいなか披露宴に呼ばれた人たちが、離婚を知ったら、内心「おやおや...」「あれまぁ...」である。
「離婚するのは当人たちの勝手だろ?」
確かにそうだ。 だが、
少なくとも、披露宴に呼ばれた人たちが包んだ、総額で2000万円は下らないであろうご祝儀代を、死に金にしてしまった(ホテル側は儲かったが)。
彼らの気持ちの代金を踏んづけ、お返しの高級食器のブランドにケチをつけたことになる。
ケチをつけたのはそれだけではない。
親と一族のブランドにも傷をつけたことになる。
ブランドとは、社会的な信用だ。
社会的な信用は、カネでは買えない。
何十年、何世代をかけて、コツコツと地道に築き上げていくものだ。
社会的な信用のもう一つの特徴は、
それぞれの世代が何十年、何世代、何百年もかかって
地道に築き上げてきたのに、
たったひとつの出来事によって、
一瞬で簡単に崩れ去ってしまうという点だ。
さらにもう一つの特徴は、
信用にはマイナス値があることだ。
一瞬で崩れ去ってゼロになるならまだしも、
マイナスの値になってしまった「負の信用」を取り戻すのは、
さらに追加で何十年、何世代、何百年もかかるのである。
もっとも、
このご令嬢は、離婚によって親と一族の社会的な信用にドロを塗ったが、
そうなった原因の種は、おそらく親の代に撒かれていたのかもしれない。
親の因果が子に報い、ともいえるが、
このご令嬢の行動が、一族の価値を減損させたことは確かである。
あたかも、100億円を手の中に持ってこの世に生まれてきたのに、生きている間にその価値をぶっ壊して生きているようなものである。
このような行為を、世間では、
「親不孝」という。
これに対して、
養護施設からプロレスの世界に入って経営者になったこの女性は、さしずめ
100万円しか手の中に持たずにこの世に生まれてきたのに、生きている間にその価値を何百倍にも増やし続けているようなものだ。
憧れたプロレスラーになってお客さんを楽しませ続けた後、経営者としてプロレスに貢献しているのだから。
不運なことに親の顔を知らない彼女がしているのは、
「親孝行」ではない。
「親孝行」どころではない。
もっと広くて大きい
「世の中に孝行」しているのだ。
彼女の功徳は超大だ。
二人のうち、
天国に入るのはどちらでしょうか?
この世では、
自分が生まれ持っている価値を、
自分で汗をかいて少しでも増やして、
世の中に貢献して人々を笑顔にすることが、
最も徳の高い行いである。
どれだけ持って生まれてきたか、は、
全く関係が無い。
生まれ落ちた環境のハンデをチャンスに変えて、
お天道様に顔を向けて誠実な努力を続けられる人が、
人生の勝者になる。
彼らの居住まいと仕事ぶりは、常に美しい。
tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
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