おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

無駄な練習

 

以下は、20211116にアメブロに書いた記事:

 

無駄な練習と、必要な練習は、

ジャンルによって異なると思う。

 

あるジャンルの音楽を追求したいときは、

そのジャンルの先人たちの慣習に従うのが

いちばんの近道だろう。

 

たとえば、

クラシックピアノでは、

アーティキュレイションなどの演奏テクニックや、

初見能力、楽譜どおりの正確な演奏が強調される。

それができるようになるための練習が王道である。

 

一方、

ジャズピアノでは、

音楽文法・ジャズのボキャブラリー・リードシートのコードに従った

即興演奏ができた上での

セッションでの即興演奏が強調される。

それができるようになるための練習が王道である。

 

ジャズで強調される12キー練習は、

クラシックでは無用の長物だろう。

目の前の楽譜のとおりに再現演奏するという至上命題のもとでは、

12キー練習はあまり、というか、全く必要ない。

それどころか、

偉大な作曲家が熟考吟味して指定したキーで書かれた楽譜を、

違うキーで弾いたら「作品に対する冒とくだ!」と言われてしまうだろう。

 

私は黒鍵が多いキーが苦手だったが、

子どもの頃のピアノレッスンの楽譜を見たら、

黒鍵が多いキーの曲も弾いていたことがわかる。

アドリブ演奏では苦手なキーでも、

楽譜どおりに弾けさえすれば、それでよいのだ。

 

ジャズで求められる水準の音楽文法やボキャブラリーがクラシックで求められるのは、

作曲や楽理の分野であろう。

クラシックの再現演奏の分野では、なにはなくとも、

大作曲家の創作物を記録した楽譜を正確に再現することが一丁目一番地だ。

 

同じ西洋音楽でも、

ジャンルや分野によって、

アプローチがかくも違う。

いちばん悪いパターンは、

二兎を追う者は一兎をも得ず

になることだ。

 

プロの場合、 

クラシックピアノ出身者はおおむね、

クラシック~舞台芸術系~歌謡シャンソン系~クラシック寄りのインスト

あたりで活躍しているようだ。

ジャズピアノ出身者はおおむね、

フリージャズ&インプロ~ジャズ~フュージョン&インスト~ポップス&ロックあるいはシンフォニックジャズ/ロック

あたりで活躍しているようだ。

 

クラシックピアニストがロックでキーボードを叩くことは、まず無いだろう。

ジャズピアニストがショパンのピアノリサイタルを開くことも、まず無いだろう。

ましてや、

あまりにもかけ離れたジャンルの両方を「教えられます!」と謳う行為は、

当然ながら本人の職業的信用を著しく損なうだろう(だって、両方まともに教えられる筈がないから)。

 

練習は無駄にはならない。 だが、

自分が追求するジャンルとあまりにもかけ離れたような練習は、

器用貧乏になる可能性もあるだろうから、

自分にとって無駄なことには時間と脳を割かれないようにしていく。

 

「無駄な練習はありません!」という

精神論だけの掛け声ではなく、

アタマで考えながら試行錯誤していく。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

無駄な練習 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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