おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

何をするにも基本は足腰

 

以下は、20211117にアメブロに書いた記事:

 

世の中、どの業界を見ても、どの職業を見ても、

「何をするにも基本は足腰だ」

ということを、

半世紀以上生きてきて、日々、再確認している。

 

おそらく、どんなことでも、

満足のいくパフォーマンスを出せるようになるためには、

「足腰を鍛える」ことが、

80%を占めるだろう。

 (ほんとうは90%を占めると思っているけどね)

 

業界や仕事によって、

「足腰」は異なる。

自分の仕事や求道のための

「足腰」は何なのか? を見極める必要がある。

プロのスポーツ選手の「足腰」は何か?

プロのミュージシャンの「足腰」は何か?

プロの会社員の「足腰」は何か?

プロの職人の「足腰」は何か?

どの業界でも、職種でも、

長期にわたってキャリアを築いて成功している人たちは、一様に

その業界や職種に必要な

「足腰」が出来ている。

 

「足腰」を鍛えることには、旬が有る。

「足腰」の基本は、高校卒業ぐらいまで、

そこから更に、

プロになるための「足腰」の強化期間は、30歳ぐらいまでだろう

そして、

ちょうどキャリアが10年ぐらいになってから、

どうにかこうにか、世間様に認められるような、つまり、

世間様からお金を投げてもらえるようなパフォーマンスをあげることができてくる。

いや、そうならなければ、世間的にマズいことになってゆく。

マズいというのは、思うように稼ぐことができない、ということである。

自分の仕事ぶりに世間様が満足しないので、お金を投げてくれなくなっていく、ということである。

人生は、長い。 しかし、

長い人生の生活を支える「足腰」は、

30歳ぐらいまでに決まってしまう。

なぜならば、

自分より若い人たち

社会にどんどん出てくるからだ。

雇う側からすれば、

30歳にもなって芽が出ていない人よりも、

20歳そこそこで有望な芽をつけている人のほうが、

10年分お得だからだ。

「ひどい!世の中は冷たい!」ではない。

これが世の中の摂理なだけだ。

 

人をダマしたり、ズルしたりという、

ペテン行為は論外だが、

世の中には、ペテンや詐欺まがいの行為をしなければ社会構造の中で上に這い上がるチャンスすら与えられていない、スカばかりの手札をつかまされて生まれた不運な人たちが沢山いるのも、また事実だ。

ただし、

ペテンは、必ず、暴かれる。 だから、

最後に残るのは、自分の身とアタマだけだ。 

それは、

社会の上層に生まれた人にとっても、変わらない。

苦労を避け続けて、

親の威光や他人様の温情を利用してばかりで安易に世の中を渡っていると、

人生の後半に差し掛かって、必ず、その負債を背負うことになる。

いや、さいしょから、

負債を背負っていたのだ。

親の看板や世間の温情という「浮き」がついていたので、

だんだん膨れ上がる負債の重さに気がつかなかっただけだ。

親が死んで親の看板が失われたり、

他人様たちが愛想を尽かして離れていってしまってから、

初めて、

自分の「信用」の規模を知ることになる。

自分の「信用」とは、

仕事の「信用」や、

社会からの「信用」であり、 すなわち

この世における自分の存在自体の「信用」である。

「信用」は、「資産」マイナス「負債」である。

「信用」は、「足腰」の上に築かれる。

「足腰」は、「資産」を作る原動力だ。 つまり、

「足腰」は、「信用」のもとだ。

若い時に「足腰づくり」を怠って、

当然のように親がかり、他人様がかりで生きてくると、

それらの威光や温情という「浮き」を失った時、

目の前の世の中がひっくり返ったように感じることだろう。

いや、

世の中は、別に、ひっくり返ってはいない。

世の中は、いたって、いつも通りだ。

自分の方がひっくり返ってしまっただけだ。

そうなったときに、

「もう手遅れだ」と思って自分を投げ捨てても、

何も、これっぽっちも始まらない。

もはや手遅れであっても、自分の手足を動かし、アタマを動かして、

もがきながら前に進んでいくしか、人間には道は無い。

それが、死ぬまで続く、人間の道だ。

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

何をするにも基本は足腰 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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