おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

この1年間の進歩を噛みしめる

以下は、20211225にアメブロに書いた記事:

 

 

12月もあと1週間になった。

ピアノを再開してから、ここ数年、ずっとピアノを独学しているが、

今年も、1年間で進歩したことを嬉しく思う。

   ↑「ピアノ」と書いたのは、

    「キーボード」と書くには私はシンセやオルガンのスキルが無さすぎるからだ。

 

今日は、中学生の時以来、自分にとって最も衝撃を受けた曲を、

何となくアドリブ演奏してみたら、

思いのほか良い感じに弾けた。

 

この曲は、

中学生だった当時、

最初は多分ラジオで聴いたと思うが、

お小遣いをはたいて

中古レコード屋でその曲が入っているLPを買って、

家でカセットテープに録音して聴きまくった。

メロディーも、コードも、リズムも、楽器の音も、

すべてが衝撃的な曲だった。

その衝撃は、40年を経た今も、ちっとも変っていない。

日本を代表する、そして

この人のような存在がまさに「芸術家」だ!という、

今も世の中を驚かせ続けるその音楽家さんの、

若き日のデビューアルバムのA面の1曲目だ。

 

中学生だった当時、その曲を

何とか耳コピして弾こうと夢見たが、

曲の中のある部分のコード進行に手も足も出なかった。

手も足も出なかったのは、当然のことだった、と

今、思う。

クラシック~20世紀の音楽までの西洋音楽理論を熟知したプロの作曲能力と、

音楽産業における演奏経歴や現場経験を含めた音楽的な総合力と、

常に時代の先頭を走る先進性を併せ持った人物が

自身のデビューアルバムのA面1曲目に持ってきた気鋭の曲を、

「子どもの頃にクラシックピアノのお稽古に通っていました」程度の人間が

聴いただけで耳コピすることは、明らかに不可能だ。

 

だから私は、何年か前に、

コード進行については、この音楽家の方の責任編集の楽譜を買って、

   (すでに絶版だったので、古本を高プレミアムがついた値段で購入した)

ようやく、手も足も出ない部分のコード進行を知ることができた。

もっとも、

コードを知っても、

コードを解ったことにはならないし、ましてや、

コードを使いこなせるようにはならない。

ここからが長い道のりだった。

5年かかった。

5年のうち、最初の2年間は、

ハノンを3時間とか狂ったようにやっていたが、

私にとっては遠回りの道だった。

これは、仕方のないことだ。

最初はいったん、クラシックピアノ的な演奏技術重視の方向に舵をとっていたからである。

というのは、

なんとかピアノの演奏技術を上げたい!という気持ちがあったからである。

  ところで、

  「ピアノの演奏技術を上げたい」という方向性は、

  ジャズを志向する場合は、最初に捨て去った方が良いだろう。

  子どもの頃にちょっとでもクラシックピアノを習っていると、

  そのマインドセットが呪縛のように脳を締め付けて、

  「手かせ足かせ脳かせ」になってしまう。

  この「クラシックピアノレッスンの呪い」が、

  ジャズの求道において絶望的に足を引っ張るからだ。

  ジャズを求道する場合は

    一にも二にも音楽語のボキャブラリーだ。

   楽器の演奏技術は、ボキャブラリー構築の後だ。

 

もうひとつ。

ハノンを何時間もトチ狂ったように練習しても、

「元(もと)」が出来ていなければ、

練習しても無駄!

であることを、悟ったのだ。

この場合の「元(もと)」とは、身体の姿勢のことだ。 

私が「身長180cm以上で腕が長くて片手で11度に届く人」なら身体の姿勢を気にする必要など無いのだろうが、

残念ながら、持って生まれた物理的な条件に恵まれているとはいえない方なので、

持って生まれたものを最大限に効率化する必要があると感じるのだ。

そして、

姿勢をつくるには、総合的な身体操作の向上が不可欠だ!と悟った。

だから、私の場合は、

この「元(もと)」ができていないのにハノンを何時間もやっても無駄なんだろうな、

と思いはじめて、4年前から身体操作の向上に地道に取り組んでいる。

  そして、今になって、その結果は明らかに出ている!

  ハノンの前に、「やることをやる」ことのほうが大切だし、

  はるかに効率的だ。 つまり、結局のところ、

  一見遠回りに見える道が

    実は近道なのだ。 

  いや実は、近くもなんともない。

    それが普通の道のりなのだ。 

    というのは、

  一見「近道」に見える道を行くと

    例外なく行き止まりになって

  永遠にたどり着けないからだ。

 

「元(もと)」は、ひとつではない。

私にとっては、

もうひとつの「元(もと)」のほうがもっと重要だった。

もうひとつの「元(もと)」は、ジャズや即興演奏の土台となるものだ。

こっちの「元(もと)」に取り組み始めたのは3年前からだ。

いや、もっと前から、その準備的なことはやっていた。

そしてようやく、今年になって、

その「元(もと)」が少しずつ固まってきて、

それとペースを合わせるかのように、

アドリブ演奏がヨチヨチ歩きでできるようになってきた。

 

だから、

冒頭の、中学時代に衝撃を受けた曲のアドリブ演奏が

それなりにできたのだ。

 

もちろん、

「それなりに」だ。

そして、

ここからが、はるかに遠き道のりだ。

 ガンダーラガンダーラ、they say it was in India である。

 

気の遠くなるような道だが、

私は、まったく怖気(おじけ)づいていない。

進み方は既にわかったので、

来年も、変わらずに続けていこうと思っている。

来年の終わりには、また新たな進歩の喜びを噛みしめているに違いない。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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