おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

「クラシックピアノからジャズピアノ」とは「地動説から天動説」(続き)

 

以下は、20220213にアメブロに書いた記事:

 

前回の記事は、

以下について書こうとしたものであった:

 

ある著名なスター先生の論文を読んだら、

目からウロコが落ちたよ!

 

いや、

大脳の前頭葉では、

言語的にはとっくの昔に把握していたんだよ。

 

ところが、

大脳の前頭葉

言語的に把握していても、

いわゆる

「腑に落ちる」や「腹落ちする」という言葉が日本語にあるように、

本当の意味で、

「腑に落ちて」いなかったんだ。

 

それが、

このスター先生の論文を読むことによって、

心の眼からウロコが落ちて、

今まで認識できていなかったものが、

「腑」で、「腹」で、認識できるようになった!

子どもの頃の10年間の

「クラシックピアノのお稽古の呪い」という

恐ろしく固くて重いウロコが、

一部だけだけど、

心の眼から、はがれ落ちたよ!

 (まだウロコの全部ははがれ落ちていない えーん...orz...

  それでも、ピアノを再開した5年前から比べれば、たいへんな進歩だ!)

 

これが、

本当の意味での、

私が追求する「おんがくの細道」だ。

 

「おんがくの細道」は、

実のところ、

おんがくが楽譜に成る以前の道なのだ。

おんがくについて、

「腑に落ちる」「腹落ちする」ことを目指して、

「おんがく」という言語を使って自由自在に自己表現できるようになる道だ。

 

じつは、

楽譜というメディア(ミディアム)は、

「おんがくの細道」の最終的な結果

であるはずなのだ。

ところが、

世の中では、

楽譜どおりに再現演奏する行為が、

いちばん初歩の行程に据えられて

そればかり練習させられるために、

手先だけで頭と胴体が無い、薄気味悪い存在が

無数に大量生産されてしまっている。

 

  どうして?

  そのほうが、簡単で、

  手っ取り早くお金になるから。

  教える方にとって。

 

  そして、実のところ、

  教える方の100人中98人程度は、

  手先だけで頭と胴体が無い、

  大量生産された存在なんだ。

  だから、

  人に教えられるわけがない。

 

おんがくの「頭」と「胴体」が欲しいよぅ...。

この、妖怪人間ベムのような、心の渇望が、

私の「おんがくの細道」の、一生続く道程である。

 

でも、

このスター先生によって、

私は、「クラシックピアノのお稽古」という呪縛に満ちた地獄から

また一歩、救済された!

スター先生、ありがとう!

このスター先生は、

異次元の作曲&ライブ演奏(当然即興込み)の傍ら、

音大で教える立場にもある方だそうなので、

当然のことながら、

「先生」なんていう肩書きは、後付けだ。

いや、実のところ、

「先生」という呼び方は、蔑称なのだ

「先生」と呼ばれて鼻高々の人間に限って、

「先生」しかできないからだ。

「能ある鷹は爪を隠す」というが、

本当に師匠と呼べる存在は、

ぜんぜん「先生」然としていない。

だって、

本物のミュージシャンが

本業の演奏・作曲仕事の脇で

片手間にやるのが、先生稼業だから。

このスター先生、もとい、

このスターミュージシャンは、

作曲&演奏&即興演奏で超一流だ。

CDポチりました!

次回の配信ライブ有料視聴します!

この人を、市井の実質「家庭内内職バイト教師」たちと比較するのは、

そもそも大変失礼過ぎるのだが、

音楽業界で見世を張っている一流のプロのミュージシャンは、

当然のことながら、

音楽の実力が本物だ!

音楽を数理的に知り尽くしているということだ。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

「クラシックピアノからジャズピアノ」とは「地動説から天動説」(続き) | おんがくの細道

 

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。