以下は、20220217にアメブロに書いた記事:
前回の記事(⇒この記事)
で触れた福沢諭吉翁の金言は、
たしか、
「天は人の上に人を作らず、
人の下にも人を作らず」
みたいな文だったと記憶している。
この「天」は、
どんな言葉にも差し替えることが可能だ。
「音楽は人の上に人を作らず、
人の下にも人を作らず」
にもできる。
前回の記事で:
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よく、
人の演奏を聴いて
「なんだあの演奏は!
あんなに下手クソなのにショパンの○○を弾きやがって!
身の程知らずも甚だしい!」
みたいに憤る人も中にはいるらしい
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と書いたが、
19世紀あたりに生きていたショパンが
どんなに偉大な大作曲家だったとしても、
彼が作曲した作品は、現在は全て
パブリックドメインという
ある意味 神の領域に入っているので、
地球上のどんな人間が
どんな風に演奏しようと、
どんな風に作品の一部または全部をパクって使おうと、
どんな風に作品を切り刻んで加工しようと、
どんな風に自演録音した音源をターンテーブルでシャカシャカやろうと、
その人の勝手自由である。
「神の領域」とは、別の言葉で言えば、
公共(パブリック)の領域のことだ。
これは、
きれいな岩清水が湧いている場所(湧き水)が
お寺や神社の管轄地の中に存在することからも、わかる。
京都の清水寺が、代表例だろう。
太古の昔から、人間同士で湧き水のある場所を奪い合って、
争いや殺し合いをしてばかりいると、
人間社会が疲弊するばかりで繁栄進化しないので、
「いいですか、この場所は、
神さま仏さまをお祭りする神聖な場所ですよ! だから、
ケンカや争いごとは一切禁止です!」
と決めて、神殿やお社を建てて
清水が湧く場所を「聖所」にしてしまえば、
異なる部族たちも湧き水を平和的にシェアすることが出来るし、
無駄な殺し合いをせずに済むので、
人口が増えて社会全体が繁栄&安定する
という、人間社会全体の利益(りえき)を考慮して、
昔の人は、
神仏の存在を使わせてもらったのだろう。
いや、もしかすると、
昔の人は、
そのようなことのために、
「神仏」という概念を創り出したのかもしれない。
前述の:
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よく、
人の演奏を聴いて
「なんだあの演奏は!
あんなに下手クソなのにショパンの○○を弾きやがって!
身の程知らずも甚だしい!」
みたいに憤る人も中にはいるらしい
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についても、
いっそのこと、
ショパン翁を神様に奉(たてまつ)って、
ピアノ会の開催場所の
ポーランドの方角の壁に
「ショパン大明神」の神棚をこしらえ、
お神酒にウォッカをお供えして、
演奏する人は
神棚に柏手を打って安全演奏を祈願してから
ピアノを弾き始めてはいかがだろうか。
そうすれば、
ピアノのお稽古的な「上手い」か「下手」かに全く関わらず、
誰もが
ショパン大明神のご利益(りやく)を受けながら、
有難い気持ちで演奏することができるだろう。
そして、
「なんだあの演奏は!
あんなに下手クソなのにショパンを...」
などと、
ショパン大明神のご加護を受けながら神々しく演奏する人に向かって悪態をつく
「にせものショパン信者」には、
ショパン大明神から天罰が下るに違いない。
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
音楽は人の上に人を作らず。人の下にも人を作らず。 | おんがくの細道
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。